2010年10月8日金曜日

ローカリゼーションマップ研究会の勉強会(10月と11月)

今年3月末にキックオフ したローカリゼーションマップ研究会ですが、半年を経て第二ステップに入ります。一つ目は今月後半から経済誌オンラインでの連載スタートです。二つ目は活 動領域の拡大です。もっと色々なところに顔を出していこうと思います。そのなかで、従来の勉強会も定期的に開催していきます。以下、5回目と6回目の実施 要領です。

参加希望者は、anzai.hiroyuki(アットマーク)gmail.com かt2taroo(アットーマーク)tn-design.com までお知らせください。議論に積極的に参加していただける方、本研究会の今後の活動に貢献していただける方、大歓迎です。内容に一部変更になる可能性がありますが、その際は、ご了承ください。場所はいつもと同じく、六本木アクシスビル内のJIDA事務局(http://www.jida.or.jp/outline/)です

10月28日(木)18:30-20:15 「アメリカで寿司を食べる人はカップ麺を食べる?」

世界で寿司はブームではなく定着をはじめたといわれます。もちろん国によって違い、あるところでは定着し、あるところはブームになる兆候がみられる ということだと思います。しかも、それは日本人の舌に満足する寿司が必ずしも基準になっていません。だが、そこに大きなマーケットが広がっているのも事実 です。東京のイタリアンが日本人向けにローカライズされているように、海外で外国人が食べる和食も寿司を筆頭に日本とは違ったものになっています。メキシ コではカップ麺に辛みをつけて食べるといいます。

今回は海外における日本食の受容をテーマとし、食評論家の横川潤さんにお話いただきます。日本食が海外で浸透するにいたった過去の流れをおさえなが ら、現在、どのようなカタチで、どのような層に、どのような日本食が受け入られているのか。これらを具体的な事例に沿いながら、食の受容が意味することに ついて考えていきます。

参加定員数:20名
参加費:1500円(20:30以降の懇親会参加費を含む)

講師:横川潤
1962年長野県諏訪市生まれ。すかいらーく創業者・端を父に持ち、飲食店を庭として育つ。慶大大学院村田昭治門下でマーケティングを修め、NY大で MBAを取得。1994年『レストランで覗いたニューヨーク万華鏡』柴田書店)でデビュー。以後『美味しくって、ブラボーッ!』(新潮社)『東京イタリア ン誘惑50店』(講談社)など多数の著書を上梓。アメリカの食ガイド『ザガット』を翻訳してわが国に初めて紹介。『ルイ・ヴィトンシティガイド東京 2009』レストラン部門を執筆。『FRaU』『週刊現代』『FLASH!』等々の連載を抱えて今日に至る。(株)ローソン等の顧問を歴任。海外日本食レ ストラン普及振興機構(JRO)委員。近著は『恐慌下におけるA級の店選び究極の法則』(講談社+α新書)現在、文教大国際学部国際観光学科准教授(フー ドサービス・マーケティング論)。

11月4日(木)18:30-20:15 「スウェーデンの歯ブラシから世界がみえる」

歯ブラシは、箸やスプーンと同じく毎日の生活に馴染んだ道具です。一日2回歯を磨く人が5歳から80歳まで歯を磨くと、トータルでは54750回歯 磨きをします。一ヶ月に1本歯ブラシを取り替えると、912.本必要となります。ただ、箸やスプーンと違い、デザインにより目的達成度にかなりの差異がで るのではないかと思われる道具です。ですから、膨大な種類の歯ブラシを前に懸命に研究を重ねる人が多数いる一方、呆然として立ち尽くし「まあ、どうでもい いや」と何も考えずに逃避的に選ぶか、それなりにはっきり分かれやすい道具ではないかとも思います。

今回は、この歯ブラシをテーマにします。80歳以上の自分の歯の平均本数が、日本と比べて三倍以上といわれる予防歯科先進国のスウェーデンにおい て、前述した二つの態度が日本と比較してどうなのか?それが歯ブラシの形状やサイズとどう関連してくるのか?歯ブラシを取り囲む文化コンテクストをス ウェーデンで歯科を勉強された田北行宏さんにお話いただきます。

参加定員数:20名
参加費:1500円(20:30以降の懇親会参加費を含む)

講師:田北行宏
1982年 東海大学海洋学部入学 1984年よりカリフォルニア州メサカレッジで生物学専攻 1991年 日本大学松戸歯学部入学 1997年同校卒業 1997年 日本歯学センター勤務 2000年 青山、田北歯科医院開業 2005年 スウェーデンNAL総合病院口腔外科に留学、現在、日本歯学センター勤務

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2010年10月3日日曜日

醤油を使えば和食か?

最近、イタリアの大手香辛料メーカーから「七味唐辛子」という名前の商品が販売されていることを知った。商品パッケージの裏には焼鳥のソースレシピが書いてあり、そこに、この七味唐辛子を使うように書いてある。そうか、こういう時代になってきたか。

ヨーロッパにおいて和食は外食であり家庭料理ではない。日本の餃子やカレーのような位置に和食はない。しかし、醤油はかなり浸透をしはじめている。特に和食という料理を作らなくても、肉や魚を食べる時に醤油をかける。若い人が自分たちで寿司を作ったりしているが、それ以上には普及している。これを和食というか?と問えば、日本人の感覚からして和食とは言いがたいだろう。タバスコを使ったからメキシコ料理とは言わないと同じように。オリーブオイルを使っても地中海料理とはならない。

このように調味料がジワジワと伝統料理に影響を与えていく。もちろん醤油を使うのは、やはりあるレベル以上の家庭であろうという仮説は妥当だ。でも、そのレイヤーがだんだんと下がっていくのも確かだ。そして、こういう問いがなされる。「ヤマサとかキッコーマンを買っているんだけど、日本にはもっと別のブランドが沢山あるんでしょう?」と日本人に聞く。ヤマサやキッコーマンに不満だというのではなく、バリッラやデチェコ以外にパスタメーカーはイタリアに数多くあるだろうと日本人が思うように、醤油にも多くのブランドがあり、その一部しか自分たちは味わっていないと認識をはじめている。

醤油を使っても和食とは言わないと前述したが、実は「醤油を使えば日本料理って思っちゃいますよね」とぼくは日本の人に言っている。よく「イタリアの家で何を食べているのですか?」と質問されたとき、「まあ、イタリア食と日本食の半々。でも、醤油や味噌を使えばなんとなく和風を食べた気になることもありますよね」と答えることが多い。つまり日本食の定義自身、かなり危ういところにある。日本人は醤油に慣れているから、醤油があることで和食へ接近が図られる。しかし、肉や魚に醤油をかけるヨーロッパ人は、醤油が日本発であると知っていても、調味料としてもっとニュートラルな存在としてみている。カレー味もそうだが、伝統料理からの脱皮で異文化に触れた気になるが、終点に行き着いたとは違う浮遊したムードを味わうことになる。よって和食を食べているとは思っていない。

調味料は万華鏡だ。

2010年10月1日金曜日

やはりヨーロッパはちゃんと見ておこう


以前から言われていたが、リーマンショック以来、特に言われ始めたことの一つに、「ヨーロッパは終わりだ。これからはアジアの時代だ」という台詞がある。こういうのは、終わりも始まりもカレンダーが変わるように分かるわけではなく、後になって「あれと、これと・・・」という象徴的なコトが集まって時代区分が見えてくるのだろう。確かにヨーロッパ人も、「これからのビジネスはアジアやアフリカだ」と言葉に出して言ったり、実際、そちら方面の出張が多くなったりしている。しかし、心のなかで、「自分が生きている間に、今のヨーロッパの心地よい文化的生活が壊れることもなかろう」と思っている。

日本や韓国あるいは中国のモノやコトがヨーロッパの風景をどれほど変えていくかが議論されてきたけど、案外、そう簡単に変わらない空気が強いことを、ぼくはミラノで感じている。適当な異文化のエッセンスは刺激になるし、商品で高くなければ買わない理由はない。そんなものだ。日本が変わらなくちゃいけないと大騒ぎしながら変わらないと嘆くより、もっと変わっていないのがヨーロッパだ。それでも、突如として「どうしてこんな法案が通ったのか?」と驚かされるように変化するのもヨーロッパだ。環境政策なども、その一つだろう。



ぼくは、ヨーロッパに肩をもつわけでもないし、アジアに肩をもつわけでもない。じょじょなる変化がいつの日か大きなうねりとなっていく。その時、多くの人の考え方の傾向がどうなっているのだろうか?ということに興味がある。「アジアの時代だ。ヨーロッパは終わった」というときに、どういう感じ方や考え方がアジアで主流になっているのか?アジア的なのか?ヨーロッパ的+アジア的なのか? ここで一つ言っておくなら、ヨーロッパ的とは、必ずしもヨーロッパでだけで通用するというのではなく、かなりユニバーサルに流通していることも含んでいる。いつの間にかあった痕跡の元を辿るとヨーロッパであった、ということだ。この逆もあろうが、どちらか一方が多いだろう。

もちろん、そもそも何がアジア的で何がヨーロッパ的かという定義がきちんとしてあるわけではない。およそのタイプとして、こんな感じの考え方をする人が多い、あんな感じをする人が少ない、という程度だ。しかし、「という程度だ」は無視出来ない程度に影響力がある。だから、ややこしい。とにかく、このごろミラノの街を歩きながら、ヨーロッパの頑固なレイヤーのあり方を読み間違えると、酷いやけどをすることになるのではないかという危機感をもつ。道行く人の素振りから商店のショーウィンドウまで、街の風景を形づくっているディテールを眺めながら、ヨーロッパへの見方を研ぎ澄ますことを怠ってはいけないと自戒する。

2010年8月4日水曜日

ローカリゼーションマップ研究会の8月の勉強会

ローカリゼーションマップ研究会の勉強会、8月のお知らせです。

先月、7月の勉強会は2回実施。 どちらも色々な分野から多くの方に参加いただき、これから日本企業が活性化するにあたり、ローカリゼーションが重要な視点であるとの認識がじょじょに芽生 えつつあることを肌で感じました。一回目は「明日の日本発を描く試み」として日本デザインの動向を整理。 二回目は「アジアを向いたローカリゼーショ ン」。アジア研究の動向と住宅機器の海外市場戦略の一端をご紹介しました。

さて、今月の勉強会は以下要領で実施します。参加希望者は、安西洋之(anzai.hiroyuki(アットマーク)gmail.com) か中林鉄太郎(t2taro(アットマーク)gmail.com) 宛てに、お知らせください。あるいはTwitter上で@anzaih か@designer_tetsuあてに#lmap を入れて参加希望と書いてく ださい。議論に積極的に参加していただける方、本研究会の今後の活動に貢献していただける方、大歓迎です。内容に一部変更になる可能性がありますが、その 際は、ご了承ください。


2) 8月16日(月曜日) 1830-2030 六本木JIDA事務局
(http://www.jida.or.jp/outline/)


「ローカリゼーションの基礎を学ぶ」


ローカリゼーションという言葉は、対象市場の法的規制や文化的に期待される言葉やカタチあるいは色などに適合させる作業を指す、比較的一般的な言葉です。 しかし、コンピューターソフト産業が拡大するにつれ、ローカリゼーションといえばソフトウェアの現地化を指し、ローカリゼーション産業といえば、言葉やソ フトウェア(インターフェースも含む)の周辺と限定されることも多いようです。

一方、ローカリゼーションマップ研究会は、オリジナルの意味に近い広義の視座を提供することを目的としています。しかしながら、狭義のローカリゼーション を基礎知識として学んでおく必要も同時にあると考えます。この理解が、ハードやサービスの商品企画にあたり何を最初に考えないといけないのか?の助けにな るはずです。そこで、世界に数千人規模のスタッフを抱えるこの分野のリーダー的存在であるナスダック上場会社、ライオンブリッジ(http://www.lionbridge.com/lionbridge/ja-jp.htm)のお二人を講師に招き、お話いただきます。

ソフトウェアに関わる方が知識整理を目的に参加される方ももちろん歓迎ですが、ソフトウェアのローカリゼーションノウハウを他の分野に応用する意欲をお持ちの方、今回の勉強会は見逃せないはずです。


―グローバリゼーションとは何か?国際化とどう違う?
ーローカリゼーションとは何か?(特にソフトウェアローカリゼーション)
―ローカリゼーションプロセスとその事例
―Q&A

参加定員数:20名
参加費:1000円

永島 和暢(ながしま かずのぶ)

1976-83まで製造会社勤務後、アメリカに渡り1984年にKansas State UniversityでMS in Industrial Engineeringを取得。帰国後、システム会社勤務を経て、再度渡米1996年にUniversity of Texas at Austin でMBA を取得。1997年よりライオンブリッジ ジャパン株式会社にてSolutions Architectとして様々なローカリゼーション業務のシステム作りをしている。


古河 師武 (ふるかわ おさむ)

1996年大学卒業後、広告代理店勤務。1998年に渡米し、2002年にCalifornia State University, FullertonでBA in Communicationを取得。その後、ロサンゼルスの広告代理店に勤めながら2005年にCalifornia State University, Long BeachでMBAを取得。2009年よりライオンブリッジ ジャパン株式会社にてアシスタント セールスマネージャーとして海外進出する企業へ向け、 ローカリゼーションのコンサルティング、ソリューションを提供している。


→ローカリゼーションマップ研究会とは?

ローカリゼーションマップ研究会をJIDA東日本ブロックのデザインプロセス委員会でキックオフしたのが今年3月。それよりTwitterの #lmap やリアルで討議や勉強会を重ねています。そして、目標としては、来年、ローカライズされたモノを陳列し、その背景を説明した展覧会を開催することを考えています。

2010年7月19日月曜日

ローカリゼーションマップ研究会の勉強会(7月)

7月も半ばを終わろうとしている時に、7月の案内をするのも気が引けるが、24日と31日、以下要領の勉強会を予定している。8月のプログラムも現在、検討中。とにかく、走りながら考えていく。それゆえに不手際や未熟な点もあろうが、それゆえにどうなるか分からない面白さがある。ご寛容に....


<以下案内>

ローカリゼーションマップ研究会をキックオフしたのが今年3月。その後、Twitter上で#lmapを使って色々な情報や意見を集めてきました が、定期的な勉強会で各種のローカリゼーション事例を通して情報を共有していくことにしました。そして、目標としては、来年、ローカライズされたモノを陳 列し、その背景を説明した展覧会を開催することを考えています。

今月の勉強会は以下要領で実施します。参加希望者は、anzai.hiroyuki(アットマーク)gmail.com かt2taroo(アットーマーク)tn-design.com までお知らせください。あるいはTwitter上で#lmapに参加希望と書いてください。議論に積極的に参加していただける方、本研究会の今後の活動に貢献していただける方、大歓迎です。内容に一部変更になる可能性がありますが、その際は、ご了承ください。

1) 7月24日(土曜日)1500-1700 なかのデザインプラットフォーム
中野駅より徒歩7-8分 (http://www.tn-design.com/

「明日の日本発を描く試み」

日本のデザインを促進するプロジェクトが「新日本様式」や「感性価値創造」という名称で推進されてきましたが、日本デザインとはどのように見られる ことが多いのか?その見方はビジネス的にポジティブに働くのか?等をテーマとします。最初にアクシス編集部・記者の神吉弘邦さんにプレゼンしてもらいま す。ミラノサローネでの日本企業の展示や「世界を変えるデザイン展」に対する反響なども織り交ぜ、ここ数年の日本デザインの動きを整理してもらいます。そ の後、パネルディスカッションを行います。

参加定員数:15人
参加費:1000円

講師:神吉弘邦
1998年、慶應義塾大学(SFC)環境情報学部卒。日経BP社「日経パソコン」編集記者、メタローグ「recoreco」創刊などを経て、2002年よ りアクシス「AXIS」編集部。この7月より、現代社会を「デザインの切り口」で考えることをコンセプトに、フリーランスとして「AXIS」ほか複数のメ ディアで活動。テーマは、プロトタイプデザイン、インタラクションデザイン、都市デザイン、産業とデザインの連携、ユニバーサルデザイン、自動車文化の継 承、文芸とデザインの融合など。Twitterは@h_kanki

2) 7月31日(土曜日) 1600-1900 六本木JIDA事務局(http://www.jida.or.jp/outline/)

「アジアを向いたローカリゼーション」

今、アジアの新興市場に多くの企業の目が向いています。特に、ボリュームゾーンの市場確保に関心が高まっています。そもそも「アジア」とはなにか? 日本をはじめとした先進国は研究というフィールドでアジアをどう見てきたのか?などをアジア経済研究所ERIA支援室の吉田暢さんに話してもらいます。 ローカリゼーションを考えるにあたっての基礎的素養の一例を学ぶという位置づけです。

その次に、住宅機器のローカリゼーションとはどのようなプロセスを経て判断・決定されるのか?を元TOTOのデザイナーである橋田規子さんにプレゼンしてもらいます。特にアジア向けと限らず、日常生活視点から市場を把握することの意味と重要性について語ってもらいます。

これらのプレゼンの後、7月24日の「明日の日本発を描く試み」の結果要約をお話しし、アジア市場向けのローカリゼーションは何を考えればよいかをディスカッションします。

参加定員数:20名
参加費:1500円(1900以降の懇親会参加費を含む)

講師:吉田暢
2001年、東京学芸大学国際理解教育課程欧米研究専攻卒後、JTBで法人営業。その後、ジェトロに転職。現在、アジア経済研究所ERIA支援室リサーチ コーディネーションオフィサー。東アジア経済統合を推進するために日本政府が設立した国際機関である、東アジア・ASEAN経済研究センター(ERIA)の立ち上げおよび経営支援、研究プロジェクトのコーディネーション、PR業務等に従事。Twitterは@44D44D

講師:橋田規子
1988年、東京芸術大学美術学部デザイン科卒業後、東陶機器株式会社(現在TOTO株式会社)入社。商品研究所生活研究課にて生活者トレンド研究、商品 企画提案。1991年以降、同社デザインセンター第一デザイン課にて便器、水栓金具、洗面器などのデザイン、2000年より、デザインセンター第二デザイ ンGにて洗面化粧台、浴室、浴槽、キッチンのデザインに携わる。2005年からデザインセンタープロジェクトデザインGのデザインディレクター。2008 年、同社退社。芝浦工業大学システム工学部機械制御システム学科教授に就任。2009年より、同大学デザイン工学部デザイン工学科教授。

2010年5月23日日曜日

異文化体験の切り口

雨が続いたミラノの天気も、今週になって晴天続きの5月らしい陽気だ。ほんとうは、今ごろ日本に向っているつもりだったが、ちょっと後ろにずらさないといけないかもしれない。ローカリゼーションマップ研究会をはやく軌道にのせないといけないが、3日前からアマゾンではじめた七味オイル+オリーブのオンライン販売はしばらくオンラインに張りつかないと「現場感」を得られないような気がする。なかなかスケジュール調整が難しい。

ローカリゼーションというタイトルで書いたわけではないが、最近、”se vuoi(if you want)”は日本語の「すみません」と同じようなもので、文脈重視のフレーズとブログに書いた。

http://milano.metrocs.jp/archives/3322


アラブ社会やヨーロッパの他の国で生活している人たちからも同感との反応があった。常に相手の意思を重んじるのが礼儀であると頭で理解することと、それがメンタルな部分にまで染み付く、その言葉の第一義ではなく文脈にのりきってしまう。この両者にある溝はものすごく深い。このブログで紹介しているように、単にその文化圏で生まれ育ったかという問題だけでなく、自分の文化に対する距離感・同意の程度も影響する話だ。特に、ここで例を挙げた友人は、いくつかの国での生活経験があるから、なおさら自分の文化に対して客観的だ。

この例が示唆するのは、異文化に接しないと母国の文化がカタチとして見えてこないということでもある。カタチとは二次元ではなく三次元のカタチであり、これがストラクチャーとして見えるようになるには、違った文化のなかで生活してみることだ。頭で分かるけど、どうしても乗り切れない部分にぶちあたり、自分の生きてきた文化がいかに根強く自分のなかにあるかを意識することになる。そのうえで嫌な面も気になる。それが上記の友人だ。

佐藤淑子『イギリスのいい子 日本のいい子』のレビューを書いたが、これも別の点で「どうしても乗り切れない」部分。この著者が英国の教育を語る背後にある堅苦しさが気になってしかたがなかった。ぼくはイタリアに住み始める前はラテン気質と言われるものが嫌いだった。しかし、それは後で分かったのだが、「・・・と言われる」もののネガティブな面は今も嫌いだが、そのポジティブな面がいかにリーズナブルなものであるかを理解し、ラテン文化が好きというより納得がいくものになった。

http://milano.metrocs.jp/archives/3342

http://milano.metrocs.jp/archives/3355

2010年5月14日金曜日

ローカリゼーションワールドを考える

来月7-9日、ベルリンでローカリゼーションワールドというイベントが開催される。展示と会議の両方。ソフトウェアの意見が強そうだが、サービス産業を中心に幅広くローカリゼーションを扱っている印象を受ける。

http://www.localizationworld.com/

このサイトの中にスピーカーのプロフィールが掲載されている。100人以上のそれを読んでみたが、主流は明らかに言葉の専門家だ。通訳や翻訳がバックグランドの人。マーケティングもいるが、プロダクトのプランニングに直接関わっていそうな人は思いのほか少ない。

http://www.localizationworld.com/lwber2010/speakers.php

つまり、前工程ではなく後工程に従事する人が多いのでは? 通常、マーケットやユーザーにより近いのは後工程だが、ローカリゼーションは製品のコンセプト構築の段階からタッチしている人間が関与すべきという考え方がどれほどに浸透しているのだろうか?という疑問が残る。

ヨーロッパ人が多そうなのは、この開催地がベルリンだからだろうか。それだけでなく、EUの多言語主義もあり、ヨーロッパにはローカリゼーション産業が発達しやすい条件があるからと考えるべきか。やはり、イメージや形状の差異ではなく、まずは言葉の差異が何よりもバリアになる。ここは最低要求ライン。

そして、言葉による表現はロジックそのものと密接な関係をもつ。昨日、ぼくはイタリア語のse vuoi(if you want) を食事などの誘いではなく、自分の依頼を人に受けてもらう時に使うことへの違和感を払拭できないと、「イタリア文化が分からない」というタイトルのブログを書いた。

http://milano.metrocs.jp/archives/3322

日本語の「すみません」が本来の謝る意味を離れて潤滑油的な機能を果たしているのと同じく、se vuoiも丁寧な依頼表現であったのが、依頼側の立場を守る方便に変わり、そしていつの間にか、方便であること自身をも意識しなくなったのではないか・・・とあれこれ想像してみた。かように、ロジックは不可視で頑固なものだ。理解しづらい。ソフトウェアのロジックのローカリゼーションが、色やアイコンのローカリゼーションより(コンセプト構想上)優先されるべきというのは、こういう認識に基づいている。

が、だから言語表現が全ての収斂の場所であると考えると、これも道を誤る。言葉で全て表現しきれない世界に人は生きているという意味もあるが、言葉の専門家は言葉の専門家であるだけで、その他を見切れているわけではないということもある。ある言葉の表現の差異を理解し説明できることが、必ずしも文脈全体の差異を理解し説明できるとは限らない。いわんやアイコンなどの視覚表現への理解度はまた別の経験や能力を要する。

こういう観点から、ぼくはローカリゼーションマップ研究会の趣旨を考えているわけだが、ローカリゼーションワールドのスピーカーのプロフィールではファッション関係が一人だけ。食品や日用品の専門家が少なそうなのは、ローカリゼーションという分野あるいは産業が、日本に限らずこれからのものであることを示唆しているといえそうだ。あるいは、デザイナーなどの参加がもっとあっていいように思う。

上述したヨーロッパはローカリゼーション産業が発達しやすいという部分だが、これはヨーロッパ内でローカリゼーションのバリアが比較的はっきり見えていて、そのバリアが困難を極めるほどではなかったー各国文化の近似性ーという理由が考えられないだろうか。いずれにしても、ローカリゼーション産業の現状を知ることで、ローカリゼーションマップ研究会(Twitter上では #lmap) の行方を考える参考になる。

2010年4月24日土曜日

ミラノサローネ見学は思索の旅といえる




4月14日から10回に渡って、「さまざまなデザイン」にミラノサローネを散策しながらの感想を書き連ねてきた。事前にプレスリリースされた作品をネットや雑誌でチェックするということは極力せず、毎日歩き回る地区だけ決めて、目についた展示会に片っ端から覗く。膨大なデザインを観察しながら、「全体として人はどんな気分で、どっちの方向を見ているのだろう」を考えていく。ここでのデザインはインテリア周辺が中心だが、実は対象はデザインでなくてもいい。しかし、ライフスタイルやビジネスとのリンクが見えやすいから、デザインは良い材料と言ってよい。それもクルマではなくインテリアや雑貨がいいのだ。

あるデザインを眺めた時、別のどういうデザインや概念を想起するか?という、思索のプロセスを書いてみたのだが、同時にそのデザインをみる人たちの反応の観察結果も記すようにした。たとえば、ガエタノ・ペーシェのデザインの前でカップルでキスしているシーンを頻繁にみたのは、単にモチーフがキスだったからだけではないだろうとも考えた。写真展でキスの写真をみて、カップルがそれを真似るかどうかは、その写真の質にもよるのではないかと思う。いずれにせよ、作品をみてモチーフの物真似をするのは楽しいし、それを眺めるのも気分がよいが、キスという行為はその気分をかなりたかめた結果であるといえる。




プログラムされた散策は面白くない。だいたい、それは散策とは言わないだろう。ある程度心に余裕をもって通りをジグザグに歩きまわらないと発見はないし、今接した作品を消化する楽しみがなくなる。直線的歩行など、この文脈において何の役にも立たない。とにかく浴びるようにデザインを見続け、その記憶が脳内に堆積していくなかで、ある時、「あれは、こういう意図ではないか?」とか「今、人が望んでいる世界ってこんなのでは?」とー自分にとってはまったく脈絡も無いようにーアイデアが浮かんでくる。

その意味であらゆるデザインは、そのマッピングのなかでのコンポーネントでしかなく、しかし重要なコンポーネントである。主役は常にマッピングする自分にある。このことを忘れてはいけない。各デザイナーの意図はできるだけ写実的に理解しないといけないーそれは視覚情報通りという意味ではなく、文字で説明されている視覚とデザイナーや企業の意図も含めてという意味だー。だが、その後の生成作業は器の設定、自身の頭と心のセットアップにかかっているのだ。このセッティングにミスがあると、壊れたコップに水を注ぐような無駄な時間つぶしに自らつきあうことになる・・・そして、本人は徒労を感じるだけ。

あるテーマが、かつての時代において面白く、今の時代において面白くないということはない。常にアングルによって面白さが見出される。面白くないと思われても、一方でそのテーマに一定の支持者がいるのならば、テーマのおかれる文脈そのものの変貌に注意を払わないといけない。何らかの軋みがあり、次の地殻変化が現出させる異なった風景を、今、想像してみる。この態度をキープするのは骨でないとは言わないが、それを辞めた時、地雷を踏んだことになる。多くのテーマは普遍的であり歴史がある。知るべきは、我々の人生はここにしかないということだ。

・・・・だから、思索の旅はエキサイティング。

2010年3月31日水曜日

ローカリゼーションとは敬意の仕方

3月20日に六本木AXISにあるJIDA(社団法人インダストリアルデザイナー協会)で行った、デザインプロセス委員会のローカリゼーションマップ研究会キックオフについては「さまざまなデザイン」で即日に書いておいた。

http://milano.metrocs.jp/archives/3047

その後、色々と協力関係がもてそうな人や団体と話し合いをしたり、Twitterのログをどういうカタチで議論しやすいようなプラットフォームにもっていくかを検討している。内需不足で海外に進出するしかない住宅産業がローカリゼーションの問題に頭を悩まし、同様に国外ビジネスを増加させていきたいが、そのノウハウがなくて困っている中小企業も多いと聞く。結局のところ、ローカリゼーションのノウハウは個々の人やメーカーに蓄積されているに過ぎず、それが全体としてみることができないから、多くはテクニックの次元に即入ってしまう。テクニックが必要ではあるが、それは最後に来る話で、最初に来てはいけない。

入り口の見せ場としての事例である限りにおいてテクニックはよいが、そのテクニックに至った思考プロセスを理解できないと、応用がきかないから大きなミスをする。また、「全てはローカリゼーションしないといけない」という逆のプレッシャーに追い立てられ発想の貧弱な企画しかできない羽目に陥ってしまう。こういう問題点を解決するすべを提供していくことが大切だと思う。文化論がここまで重要になってきているのにも関わらず、ビジネス書のなかで文化論は殆ど省みられていないといえるし、文化論を専門とする人たちがビジネスの世界に貢献する方法が分かっていない。

こういったことはどこの世界でもあるといえばそれまでだが、少なくても「ローカリゼーション」というアイテムを囲んで、文化人とビジネスマンがどれほどに議論したことがあるか?と問えば、実に怪しい。あったとしても多くの結論は、「いわゆる文化は難しいね」というところだと思う。そこから一歩出て行くこと。それも果敢に。ローカリゼーションは相手側に全て従うということではない。差異にセンシティブであることは求められるが、その差異をなくすことがローカリゼーションの目的ではない。

ローカリゼーションとは二つが見合ったときの敬意の仕方ではないかと考える。

2010年3月18日木曜日

JIDA東日本ブロック・デザインプロセス委員会

以前からお知らせしているように今週の土曜日、六本木のAXISビル内JIDA(日本インダストリアルデザイン協会)のデザインプロセス委員会が開催され、このなかでローカリゼーションマップ研究会が発足しますので、ふるってご参加ください。

http://www.higashi.jida.or.jp/


東日本B デザインプロセス委員会 & 交流会
日時3月 20日 (土), 16:00 ~ 20:00
場所JIDAギャラリー(六本木 JIDA事務局) (地図)
説明  ◆◆ 「デザインプロセス委員会 & 交流会」開催のご案内 
◆◆ 東日本B・デザインプロセス委員会  代表 : 中林鉄太郎 

この度東日本ブロック・デザインプロセス委員会では、来年度のための活動計画をテーマとした委員会と、交流会を開催することになりました。 また、来年度は勉強会、交流会だけでなく、部会活動として、ビジネスで活用できる文化理解のための「ローカリゼーションマップ」プロジェクトを推進していくことになり、そのキックオフも兼ねております。JIDA会員でない方も多数出席される予定ですので、年度末のお忙しい時期とは存じますが、多数の方のご参加をお待ちしております。
注釈:ローカリゼーションマップとは http://european-culture-note.blogspot.com/2010/02/blog-post_24.html

◆テーマ「平成22年度の活動方針策定と部会活動について」   http://jida-design-process.jimdo.com/
◆日時: 平成22年3月20日(土)  委員会 16:00~17:45  交流会 18:00 20:00
◆場所: JIDAギャラリー(六本木 JIDA事務局) 港区六本木5-17-1 AXISビル4F http://www.axisinc.co.jp/
◆定員: 25名程
◆参加費(交流会費含む): JIDA正会員・賛助会員・会友=1,500円、一般=2,000円、 一般学生=1,000円、学生会友=無料
◆申込 下記返信票に記載の上、JIDA事務局までご返信ください。 JIDA事務局  E-mail:jidasec@jida.or.jp Tel:03-3587-6391 Fax:03-3587-6393

2010年3月14日日曜日

ローカリゼーションマップに正解はない

昨日は中野で来週土曜日にAXISビル内で開催する「ローカリゼーションマップ研究会」キックオフミーティングの事前打ち合わせ。JIDA(日本インダストリアルデザイン協会)のデザインプロセス委員会の活動の一部としてもらうが、会員デザイナーだけでない外部の人たちも多く参加してもらうという会。僕自身も会員ではないし、昨日も学生さんや国際交流基金の方に来ていただいた。

デザインプロセスの前段階の土壌を豊富にしていくことは、ジョン・ホールデンのいう「政治が文化を造るのではなく、文化が政治を造る」という内容と相似で、「ビジネス活動が文化を造るのではなく、文化がビジネス活動を造る」ということになろうが、文化がビジネスを造るとはどういうことなのか?が、この研究会で可視化できればと考えている(以下は、ジョン・ホールデンの講演会で思ったこと)。

http://milano.metrocs.jp/archives/3031

政府や文化機関の行う文化政策的なポイントや下から出てくる日常性の強い文化-今であればYouTubeに代表されるデジタル文化の多くがここに立脚するーにプラスして、コマーシャル文化があるが、このコマーシャル文化への突っ込み方が、今までのアプローチでは弱かったのではないかと感じた。この点をローカリゼーションマップ研究会は、それぞれのモノやコトにある世界観をマッピングしていくのが重要だろう。

基本的に議論のレベルに合わせたネットでの住み心地をよくすることが大事で、かつ誰もが検索エンジンなどからアクセスできる状態にしておくのがいい。クローズドな環境では進めにくいプロジェクトであると思う。また、繰り返すようだが、このローカリゼーションモデルにおいて「正しい解答は存在しない」ということをよく認識しておく必要がある。特にデジタル環境の発展速度を考えると、静的状況把握は意味の薄いものになる可能性が高い。しかし、デジタルとは距離をもっている人たちの文化が、冷蔵庫や洗濯機のローカリゼーションへの期待度を強いことを考慮すると、この非デジタル文化への注視が重要でないことはない。

2010年2月27日土曜日

「設定」を巡る文化差

前回、ローカリゼーション研究会の趣旨を書いてから、Twitter上の#lmap でじょじょに賛同者が集まりつつある。ローカリゼーションは対象を文化適合させることだから、国だけでなく世代文化にも関わってくる。したがって間口が広いため、比較的幅広い人たちの協力が得られるのではないかと思う。

ある大学生が、「機器の設定を変更すれば、使い勝手がよくなるのに、どうしてそうしない人が多いのか?」という疑問を書いていた。携帯やPCなど電子機器を中心とすると、そのような発想になる。一方、TVや自動車、冷蔵庫を中心に生きてきた人たちにとって、「設定」を変更するという発想自身乏しい。ダイヤル式の黒い固定電話に「設定」などなかった。プッシュフォンになり、番号の短縮化や記憶化が進み、ケータイでそのバリエーションは膨大になった。「設定」を巡る、この文化差の指摘、時間による文化差の解消は面白いテーマになると思う。

何が「設定」の標準項目になるかの選別は、何をユニバーサルと考え、何をローカライズするかの基準設定の問題になる。どういう項目であれば、地域文化差の話になりーたとえば、住所表示を通りの番号から書くか、郵便番号から書くかなどー、あるいは文字の大きさなら視力のレベルの話になる。今からたった10年数前、ケータイの着信音に電話をかけてくる相手によってバリエーションをもたせることは、まだ一般的な技術として普及していなかった。しかし、現在、極めて当たり前のものになっている。が、それ以前の電話に馴れている人たちは、あえて着信音を「設定」する必要性を感じないこともある。

「そうすれば、便利なのに・・・」と言われても、何が便利なのかさっぱり分からない。が、一度、その便利さを理解すると、その機能を採用していなかった自分がとても愚かだったと思う。「設定」の敷居はものすごく高そうで、しかし、思ったより低いこともあるというわけだ。

問題は、敷居の越え方である。敷居の設計の問題なのか、敷居の見せ方の問題なのか、あるいは超える人間の能力や心理的要因に多く起因する問題なのか。こういったことを文化的側面から見つめていくことが、ローカリゼーションマップ研究会のテーマの一つになるだろう。

2010年2月24日水曜日

ローカリゼーションマップ研究会のキックオフ

昨日、デザイナーの中林鉄太郎さんと会った。事前に以下メモをお送りしておいた。その結果、3月20日(土曜日)、六本木AXISビルにあるインダストリアルデザイン協会内でキックオフミーティングを開催することになった。プロジェクトプロセスをできるだけオープンにするため、Twitter( #lmap)やその他で常時発信していくことにする。対象はハードとソフトの両方の製品だけでなく、アートや文学も領域に入れる。

<プロジェクトの趣旨>

今、プラットフォーム構築の主導権を握る重要性が盛んに語られる。そこに利益の源泉があるからだ。しかし、日本企業がプラットフォームのリーダーになることはあまりない。それを日本文化の伝統ゆえであると解説する向きもあるが、そう解説したところでビジネス上の解決には至らない。

過去、海外の文化情報が日本に蓄積されてきた。あるいは日本文化の分析も膨大だ。だが、それがどれほどにビジネスに活用されてきただろうか。メーカーの商品開発に生かされているか?ソフトの設計に生かされているか?否としか言わざるを得ない状況が多数だ。

どう文化を理解すれば、こういう形でビジネスに活用できる。そういう事例が示されないと、多くの人がビジネス上の文化理解の必要性になかなか気づかない。いや、正確に言えば、何となく気づいているが、その先に行けない。靄のかかった奥に入り込めない。これを案内するのが、ローカリゼーションマップ研究会の役目だ。

1、ローカリゼーションマップ研究会は何をやるのか?

日本人が好む茶碗はフランス人が好む茶碗とは異なる。日本人が好む茶碗がフランスでは売れにくい。携帯電話に期待するローカリゼーションと洗濯機に期待するそれは異なる。洗濯機にはユーザーの国のロジックが定着している。そして、その変化のスピードが携帯電話ほど早くない。こうやって、それぞれのモノやコトから違ってみえる世界観を具体的に描いていく。なぜ違うのか?そこに時間軸はどう関係してくるのか?を考えながらマップを作成していく。

このマップを見ることによって、自分が扱う製品の世界での位置づけが分かってくる。あるいは、文化の理解の仕方がみえてくる。

2、アウトプットは何か?

可視化されたものであることが重要。電子と紙の書籍化を目指す。タイトルは「2015年のローカリゼーションマップ」とし、現在から5年後に日本の製品が海外市場からどのような(どのレベルの)ローカリゼーションを要求されているかを予測する。これは主観的であることを基本とする。世界各地の正確な文化把握を基調として考案していたら金と時間がいくらあっても足りない。想像を含め個人的な経験をもとに大胆に考えていき、それを他メンバーとのディスカッションでより実効性の高い成果を出していく。複数の主観の重なり合いが見所のひとつとなろう。

3、プロジェクトの進め方

インダストリアルデザイナー協会のデザインプロセス委員会の2010年度(2010年4月ー2011年3月)のプロジェクトとして扱っていただき、そこを母体として外部の人間も参加する形をとる。定期的なリアルとヴァーチャルのミーティングを基本とし、早い段階での個々の参加者の第一次アウトプットがプロセスの進め方として重要。

2010年2月15日月曜日

三つの視点をもつこと

昨日、一橋大の学生たちと勉強会をやった。ユニバーサルとローカルの領域確定というテーマに殊の外、関心が強く、また視点を3点もつ重要性に予想以上に頷いてくれた。その詳細は、以下に書いたTwitterの# に記録が残っている。

http://milano.metrocs.jp/archives/2914

上記で3点とは、日本、アングロサクソン、大陸ヨーロッパとぼくの事例をあげた。もちろん、これはアジア、南米、アフリカという視点でもいい。問題は言語の違いが生む世界観や感覚の差異でお互いの距離感を知ることが必要という意味だが、これは言語的文化圏だけでなく、モノを考えるとき、生産者、小売、消費者という三つの立場を考慮するということも意味している。また、以下で書いたことも同様だ。

http://milano.metrocs.jp/archives/2884

テーマの対象となる主人公ー担架で運ばれる病人であったり、小さな子供であったりーがどう思うかよりも、それらに対面する人たちー救急署員や親ーからの視点が重視されていることに、少々違和感を覚えました。たとえば、電車のなかで子供たちは煩い。他の乗客は迷惑に思う。それを感じる親たちは肩身の狭い思いをする。だから、子供づれは別車両に分けて、気ままになれる空間を用意する。こういう発想プロセスになっています。弱者の周囲をテーマにしながら、弱者の目線に立とうとした軌跡がパネルにはないのです。

ここでは弱者の立場を強調しているが、子供車両のアイデアについて言えば、子供、親、他乗客という三つの立場を最低考慮しないといけないということだ。日常生活のなかで、常に三点とは何か?を「気にする」ことが大事なのだ。

2010年2月13日土曜日

「ワインで考えるグローバリゼーション」

ヨーロッパの本ではないが、ヨーロッパ文化部の活動にとても参考になる本なので紹介しておく。山下範久『ワインで考えるグローバリゼーション』だ。以下にレビューを書いた。

http://milano.metrocs.jp/archives/2895

ローカリゼーションマップを構想していくにあたり参考になる本だ。一昨日、池袋のジュンク堂で書棚を眺めながら、思ったのだが、モノを介した文化史の本はそれなりにある。箸、酒、食、服飾・・・・と。しかし、どうも薀蓄の域を出ていない感じがつきまとう。それぞれの思い入れが強いのが伝わるが、これで今の何が語れるか?が不足している(ような気がする。本屋で全部読めるわけがない)。

その意味で、『ワインで考えるグローバリゼーション』はタイトル通りの目的を果たしているだろう。少なくても、このレベルの意識があってビジネスをしないといけないだろうと思う。

2010年2月10日水曜日

ヨーロッパ文化部と家事塾

昨日、「さまざまなデザイン」に「辰巳渚さんの家事塾」を書いた。

家のことをやるのは、特に義務的ではないのと同様、趣味的でもなく、普通に生きることそのものであるということを説いている。当たり前といえば当たり前ながら、伝統的行事を家のなかで維持しようとすれば何らかの主張を求められたりする無理を解消していかないといけない。この活動が、ヨーロッパ文化部の活動と狙いは同じであるとぼくはみた。そして、この二つを同じ地盤でみられる考え方を説くことが重要ではないかとも思った。

文化とは芸術あるいはそれに近い領域を指すという立場がある一方、生活文化こそが文化の要であるとする立場もある。しかし、その立場は職業的それであり、人の生き方そのものではない。両方を包括してはじめて一人の生活が成り立つ。だからこそと言えるかもしれないが、だからこそ、あることが分かると、もう一つのほうも分かる。しかし、それは「一般化」ではない。

上記をすべての人に即望むのは、かなり厳しいと思う。それなりに多角的な経験を積んでこないとみえてこない場合が多いかもしれない。よって、まずは、これが見れる人がどの程度いるのか、それを確認していきたいと思っている。必ずしもヨーロッパを対象としなくても、趣旨が分かる人がどのくらいいるのか?という意味だ。

今、色々な人に会いながら、この確認作業を進めている。

2010年1月31日日曜日

ローカリゼーションマップの本を作れないか

2週間ほど前、ローカリゼーションマップを作れないかとのアイデアを書いた。その後も、このことについて考えている。数日前から日本にいるが、これをどうプロジェクト化するかに頭を捻っている。できれば本にできないか、とも考えている。ムック的でややユーモラス溢れる本だ。

必ずしも、各エキスパートが正確な知識や情報に基づいて描く必要はなく、「こういう考え方ができるのではないか」というイメージ提案ができればよいと思う。そのために、「ローカリゼーションマップ研究会」とでもいうべきチームをボランティアベースで立ち上げ、意見交換をしながらカタチにできないかと思うのだ。

製品ごとにもつ世界観の違いを基点に文化の全体像がみえてくる・・・そういう構想だ。製品企画の人たちの参考資料になることもあるかもしれないが、それは該当業界からすれば「ちょっと違うかな」という違和感があってもいいレベルを良しとするから、ポイントは各業界を超えた全体像に迫ることを目指す。

このことで滞在中、いろいろな人に話してみようと思う。

2010年1月14日木曜日

ローカリゼーションマップ

前回、ローカリゼーションについて、AKB48のフォーマット販売を例に書いた。今日、下記「さまざまなデザイン」にサランラップのカッターとパッケージのローカリゼーションの要と不要について書きながら、あらゆる種類の製品や分野の総括的ガイドライン図を描いてみたらどうかと思いついた。

http://milano.metrocs.jp/archives/2755

食品や日用品をローカライズの最右翼におき、最左翼にニンテンドーDSあるいはAKB48的なものをおくことで、色々な分野の人達が考える指標にするのだ。「ローカリゼーションマップ」とでも呼べばよいのだろうか?

これを整理することで、ビジネスサイドはもちろんのこと、一般の人達にもある文化図が描けてこないだろうか・・・と。

2010年1月13日水曜日

AKB48のフォーマット販売をどう考えるか?

ここでプラットフォームを作るにはどうすればよいかを色々と書いてきた。

昨年末にNHKで放映された、日本のコンテンツを輸出するというテーマの番組をみて、以下を「さまざまなデザイン」に書いた。アキバの可愛い子たちをメインとした仕組みを「フォーマット販売」するという内容だ。

http://milano.metrocs.jp/archives/2722

これはまさしくプラットフォームの発想で、かつ「ブランドとは考え方の痕跡の集積である」という主旨とあっている。だから、このプロジェクトをモデルの一つとして応援したいと思う。が、反面、「さまざまなデザイン」に書いたように、このタイプのカルチャーは、ヨーロッパで社会的に可視化するのではなく、個人的嗜好として隠される傾向にあることをどう考えるかについて思いを馳せている。

オリエンタルの可愛い文化を受容する社会層はメインではないがヨーロッパにもそこそこある。そこには、ローカライズのないロジックを持ち込むべきという秋元康の意見も理解できる。ぼく自身が、あのようなカルチャーに個人的にあまり関心がないからか、その先の説得に熱が入らない。

多分、「ヨーロッパ文化にない日本が強みとする」のはアイドル文化しかないのか?というあたりで、最初の躓きがあるのではあるまいか・・・。

2010年1月12日火曜日

「駄目モト」スピリットを育てる

昨夜、事務所から自宅に帰る途中のこと。感じのよい男性が近寄ってきて「すみません。この近くに住んでいるものです。今晩、友人を呼んだ夕食をするのですが、ワインがないことに気づきました。もう8時でエノテカは閉まって困っています。ワイン持っていませんか?」と質問。「〇〇通りはどこ?」「タバコの火はない?」ということは頻繁にあるが、ワインとはまた珍しい。どこかレストランに買いに行く途中、ぼくを見かけて聞いたのだ。もちろん、ワインを都合よく持ち歩いてはいない。もし持っていれば、今晩、ぼくが飲む分だ。

「えっ、ワイン?残念ながら、持ってませんよ」と答えると、「そりゃあ、そうだよね」とニコリと笑いレストランのある方角に彼は去っていった。アル中の風は全くなくーもちろん、ぼく自身、アル中と他人に思われることはないと(信じている)-、この会話、まるで山のキャンプ地じゃないか、と思った。ミラノの街の真ん中での普通の会話じゃない。しかし、それはどうでもいい。ぼくはあらためて「駄目モト」精神に感心したのだ。何か困っていることがあれば、まず一番近い場所で救いを求める。その相手がどういう人間か、助けてくれる可能性が高いかどうか、こういうことは殆ど考えない。「駄目モト」だ。

よく「ミラノで道を聞かれた。どうも現地に住んでいると思われたみたい・・・」と言う日本の人達がいるが、まず、そんなことはない。誰でもいいから、近くにいる人間から情報を獲得したかっただけだ。それ以上でもそれ以下でもない。コミュニケーションの敷居が低いだけの話だ。しかし、冒頭のワインを求める質問は敷居だけでなく、「駄目モト」でチャレンジする幅が非常に広いことを語っている。

この「駄目モト」が、ビジネスの場で不利に働くこともある。「そういうことを聞く奴は、付き合うに値しない」と思われるかもしれない。とてもリスキーだ。全てがダークになる可能性がある。が、「そう、そうやってオープンに言ってくれて嬉しいよ。じゃあ、手伝ってあげよう」と、もしかしたら言ってくれるかもしれない。多分、確率からすれば、前者のほうが多く、後者のほうが少ないだろう。しかし、似たようなメンタリティであればお互い様で、心配するほどには、そのポイントに「特殊視」はしない。

とにかく「駄目モト」スピリットは、生きていくに必要な素養であると思う。ビジネスの場で「駄目モト」をグッドタイミングで発揮するに、日常生活で「駄目モト」を日々使いこなすのは、思いのほか重要なことかもしれない・・・・と昨晩、再認識した次第。

2010年1月10日日曜日

ヨーロッパ関連の本のレビュー(3)

ブックレビューが三冊になったので、ここにまとめておく。

山田文比古のフランスに関する本は、「文明の衝突」などの掴み方に随分と大雑把な感があり、このあたりは内藤正典の『ヨーロッパとイスラム』で補完しておくと良いだろう。

『黒いスイス』はネットでレビューを色々と読むと、かなり評価が高い本となっている。これは、ぼくのレビューに書いたように、日本の常識を崩すという目的で書かれたものであるなら、それは成功しているということだろう。しかし、それを驚きの目でヨーロッパ人に話すのであれば、スイスに対する日本の常識レベルの確認として役立ったという表現をすべきだろう。

『旅して見つけたイタリアの保存食レシピ』は、料理のレシピだ。どうしてこういうテーマが選択されたかをよく考えてみることは大切だ。普通に見えない世界を見る意味を考えることになる。


福原直樹『黒いスイス』
http://milano.metrocs.jp/archives/2597

池田律子/廣瀬智央『旅して見つけたイタリアの保存食レシピ』
http://milano.metrocs.jp/archives/2621

山田文比古『フランスの外交力ー自主独立の伝統と戦略』
http://milano.metrocs.jp/archives/2698

2010年1月8日金曜日

ヨーロッパである理由

2010年初めての投稿なので、年末から年始にかけて思ったことを書こう。

今後アジアが経済の中心になると言われはじめて、それなりの時間を経た。中国、インド、あるいはインドネシアあたりの力強さが言及される。日本企業で海外進出に力を入れるとは、アジア圏を指すことが多い。もちろん、最近のシャープなど、一度は撤退した携帯電話機器メーカーが再度米国や欧州に再挑戦するニュースもある。が、ユニクロの「民族大移動」-数百人単位で海外駐在を経験させるーの記事をみても、中国やロシアが主力市場であることを物語っている。分野によるが、大方、アジア詣で流行であることは間違いない。そこでヨーロッパについて語るのは、何となしに劣勢について語るムードを感じる。

しかし、それはそれ。

ぼくがヨーロッパをテーマにするのは、いってみれば地域そのものについて言っているのではない。スコットランドの自然やドイツの古いお城を愛でているのではない。中国やインドで固定電話をパスして携帯電話が普及している現状があり、あるいは、これらの地域で内燃機関のクルマをあまり経験せずEV市場が急伸する可能性があるが、そういう現実から生じる新しい価値観を否定しない。歴史はすべからく同一には流れない。

が、ぼくは個人的に、アーカイブ社会とも呼ぶべきヨーロッパから生まれる新しい価値に面白さを感じている。封建時代があり、啓蒙時代があり、多くの悲惨な戦争を経て、今、ヨーロッパ圏内でー少なくても西ヨーロッパ世界においてー国家同士の戦争が生じる可能性は極めて低くなっている。あれだけ戦ってきたフランスとドイツが今はEUの牽引車となり、世論調査を行っても両者、お互いを高く信頼している。国家のうえに新しい権威を築いた意味は大きい。こういった新しいカタチで紛争回避の道を探ってきた社会は、同時に新しい強靭な価値を生むはずであると考えておかしくない。

その意味で、巷で聞くヨーロッパ没落論は、ぼくの関心とは別のところにある。多くのヨーロッパ論ー特に日本におけるーは「傍観する」ためのものであり、「生きる」ためではないとぼくには思える。年末、総合研究大学院大学の『人工物発達研究』に掲載する原稿「ヨーロッパ文化のロジックを探る」を書きながら、この「生きるため」ということを意識した。そうは書かなかったが、意識はそこに強くあった。世の中に通用するロジックは無数にある。そのロジックをどれだけ知り、それらをどう繋げるコツを知っているか?は、まさに「生きるため」である。

「さまざまなデザイン」に、今週二つのエントリーを書いた。「海外で働くことをオプションとして考える」「あの人はぼくと違うと思うこと」を指している。ぼくがヨーロッパを必要に思い、1990年イタリアに来たとき、このように世界にフラット感が漂うとは想像していなかった。そのフラット感については、後者のエントリーでテーマとしている。確かに多くの垣根は実際に消滅したようにみえるが、崩壊していないもの、あるいはより高くなったものも多い。この新しい「フラット感」ーフラットではなく、あくまでも「感」が蔓延しているーをどう見極めるが、今、非常に重要だと思う。それは個人ベースだけでなく、ヨーロッパを考えるに際しても、同様だ。

この問題について、引き続き書いていく。