2010年1月31日日曜日

ローカリゼーションマップの本を作れないか

2週間ほど前、ローカリゼーションマップを作れないかとのアイデアを書いた。その後も、このことについて考えている。数日前から日本にいるが、これをどうプロジェクト化するかに頭を捻っている。できれば本にできないか、とも考えている。ムック的でややユーモラス溢れる本だ。

必ずしも、各エキスパートが正確な知識や情報に基づいて描く必要はなく、「こういう考え方ができるのではないか」というイメージ提案ができればよいと思う。そのために、「ローカリゼーションマップ研究会」とでもいうべきチームをボランティアベースで立ち上げ、意見交換をしながらカタチにできないかと思うのだ。

製品ごとにもつ世界観の違いを基点に文化の全体像がみえてくる・・・そういう構想だ。製品企画の人たちの参考資料になることもあるかもしれないが、それは該当業界からすれば「ちょっと違うかな」という違和感があってもいいレベルを良しとするから、ポイントは各業界を超えた全体像に迫ることを目指す。

このことで滞在中、いろいろな人に話してみようと思う。

2010年1月14日木曜日

ローカリゼーションマップ

前回、ローカリゼーションについて、AKB48のフォーマット販売を例に書いた。今日、下記「さまざまなデザイン」にサランラップのカッターとパッケージのローカリゼーションの要と不要について書きながら、あらゆる種類の製品や分野の総括的ガイドライン図を描いてみたらどうかと思いついた。

http://milano.metrocs.jp/archives/2755

食品や日用品をローカライズの最右翼におき、最左翼にニンテンドーDSあるいはAKB48的なものをおくことで、色々な分野の人達が考える指標にするのだ。「ローカリゼーションマップ」とでも呼べばよいのだろうか?

これを整理することで、ビジネスサイドはもちろんのこと、一般の人達にもある文化図が描けてこないだろうか・・・と。

2010年1月13日水曜日

AKB48のフォーマット販売をどう考えるか?

ここでプラットフォームを作るにはどうすればよいかを色々と書いてきた。

昨年末にNHKで放映された、日本のコンテンツを輸出するというテーマの番組をみて、以下を「さまざまなデザイン」に書いた。アキバの可愛い子たちをメインとした仕組みを「フォーマット販売」するという内容だ。

http://milano.metrocs.jp/archives/2722

これはまさしくプラットフォームの発想で、かつ「ブランドとは考え方の痕跡の集積である」という主旨とあっている。だから、このプロジェクトをモデルの一つとして応援したいと思う。が、反面、「さまざまなデザイン」に書いたように、このタイプのカルチャーは、ヨーロッパで社会的に可視化するのではなく、個人的嗜好として隠される傾向にあることをどう考えるかについて思いを馳せている。

オリエンタルの可愛い文化を受容する社会層はメインではないがヨーロッパにもそこそこある。そこには、ローカライズのないロジックを持ち込むべきという秋元康の意見も理解できる。ぼく自身が、あのようなカルチャーに個人的にあまり関心がないからか、その先の説得に熱が入らない。

多分、「ヨーロッパ文化にない日本が強みとする」のはアイドル文化しかないのか?というあたりで、最初の躓きがあるのではあるまいか・・・。

2010年1月12日火曜日

「駄目モト」スピリットを育てる

昨夜、事務所から自宅に帰る途中のこと。感じのよい男性が近寄ってきて「すみません。この近くに住んでいるものです。今晩、友人を呼んだ夕食をするのですが、ワインがないことに気づきました。もう8時でエノテカは閉まって困っています。ワイン持っていませんか?」と質問。「〇〇通りはどこ?」「タバコの火はない?」ということは頻繁にあるが、ワインとはまた珍しい。どこかレストランに買いに行く途中、ぼくを見かけて聞いたのだ。もちろん、ワインを都合よく持ち歩いてはいない。もし持っていれば、今晩、ぼくが飲む分だ。

「えっ、ワイン?残念ながら、持ってませんよ」と答えると、「そりゃあ、そうだよね」とニコリと笑いレストランのある方角に彼は去っていった。アル中の風は全くなくーもちろん、ぼく自身、アル中と他人に思われることはないと(信じている)-、この会話、まるで山のキャンプ地じゃないか、と思った。ミラノの街の真ん中での普通の会話じゃない。しかし、それはどうでもいい。ぼくはあらためて「駄目モト」精神に感心したのだ。何か困っていることがあれば、まず一番近い場所で救いを求める。その相手がどういう人間か、助けてくれる可能性が高いかどうか、こういうことは殆ど考えない。「駄目モト」だ。

よく「ミラノで道を聞かれた。どうも現地に住んでいると思われたみたい・・・」と言う日本の人達がいるが、まず、そんなことはない。誰でもいいから、近くにいる人間から情報を獲得したかっただけだ。それ以上でもそれ以下でもない。コミュニケーションの敷居が低いだけの話だ。しかし、冒頭のワインを求める質問は敷居だけでなく、「駄目モト」でチャレンジする幅が非常に広いことを語っている。

この「駄目モト」が、ビジネスの場で不利に働くこともある。「そういうことを聞く奴は、付き合うに値しない」と思われるかもしれない。とてもリスキーだ。全てがダークになる可能性がある。が、「そう、そうやってオープンに言ってくれて嬉しいよ。じゃあ、手伝ってあげよう」と、もしかしたら言ってくれるかもしれない。多分、確率からすれば、前者のほうが多く、後者のほうが少ないだろう。しかし、似たようなメンタリティであればお互い様で、心配するほどには、そのポイントに「特殊視」はしない。

とにかく「駄目モト」スピリットは、生きていくに必要な素養であると思う。ビジネスの場で「駄目モト」をグッドタイミングで発揮するに、日常生活で「駄目モト」を日々使いこなすのは、思いのほか重要なことかもしれない・・・・と昨晩、再認識した次第。

2010年1月10日日曜日

ヨーロッパ関連の本のレビュー(3)

ブックレビューが三冊になったので、ここにまとめておく。

山田文比古のフランスに関する本は、「文明の衝突」などの掴み方に随分と大雑把な感があり、このあたりは内藤正典の『ヨーロッパとイスラム』で補完しておくと良いだろう。

『黒いスイス』はネットでレビューを色々と読むと、かなり評価が高い本となっている。これは、ぼくのレビューに書いたように、日本の常識を崩すという目的で書かれたものであるなら、それは成功しているということだろう。しかし、それを驚きの目でヨーロッパ人に話すのであれば、スイスに対する日本の常識レベルの確認として役立ったという表現をすべきだろう。

『旅して見つけたイタリアの保存食レシピ』は、料理のレシピだ。どうしてこういうテーマが選択されたかをよく考えてみることは大切だ。普通に見えない世界を見る意味を考えることになる。


福原直樹『黒いスイス』
http://milano.metrocs.jp/archives/2597

池田律子/廣瀬智央『旅して見つけたイタリアの保存食レシピ』
http://milano.metrocs.jp/archives/2621

山田文比古『フランスの外交力ー自主独立の伝統と戦略』
http://milano.metrocs.jp/archives/2698

2010年1月8日金曜日

ヨーロッパである理由

2010年初めての投稿なので、年末から年始にかけて思ったことを書こう。

今後アジアが経済の中心になると言われはじめて、それなりの時間を経た。中国、インド、あるいはインドネシアあたりの力強さが言及される。日本企業で海外進出に力を入れるとは、アジア圏を指すことが多い。もちろん、最近のシャープなど、一度は撤退した携帯電話機器メーカーが再度米国や欧州に再挑戦するニュースもある。が、ユニクロの「民族大移動」-数百人単位で海外駐在を経験させるーの記事をみても、中国やロシアが主力市場であることを物語っている。分野によるが、大方、アジア詣で流行であることは間違いない。そこでヨーロッパについて語るのは、何となしに劣勢について語るムードを感じる。

しかし、それはそれ。

ぼくがヨーロッパをテーマにするのは、いってみれば地域そのものについて言っているのではない。スコットランドの自然やドイツの古いお城を愛でているのではない。中国やインドで固定電話をパスして携帯電話が普及している現状があり、あるいは、これらの地域で内燃機関のクルマをあまり経験せずEV市場が急伸する可能性があるが、そういう現実から生じる新しい価値観を否定しない。歴史はすべからく同一には流れない。

が、ぼくは個人的に、アーカイブ社会とも呼ぶべきヨーロッパから生まれる新しい価値に面白さを感じている。封建時代があり、啓蒙時代があり、多くの悲惨な戦争を経て、今、ヨーロッパ圏内でー少なくても西ヨーロッパ世界においてー国家同士の戦争が生じる可能性は極めて低くなっている。あれだけ戦ってきたフランスとドイツが今はEUの牽引車となり、世論調査を行っても両者、お互いを高く信頼している。国家のうえに新しい権威を築いた意味は大きい。こういった新しいカタチで紛争回避の道を探ってきた社会は、同時に新しい強靭な価値を生むはずであると考えておかしくない。

その意味で、巷で聞くヨーロッパ没落論は、ぼくの関心とは別のところにある。多くのヨーロッパ論ー特に日本におけるーは「傍観する」ためのものであり、「生きる」ためではないとぼくには思える。年末、総合研究大学院大学の『人工物発達研究』に掲載する原稿「ヨーロッパ文化のロジックを探る」を書きながら、この「生きるため」ということを意識した。そうは書かなかったが、意識はそこに強くあった。世の中に通用するロジックは無数にある。そのロジックをどれだけ知り、それらをどう繋げるコツを知っているか?は、まさに「生きるため」である。

「さまざまなデザイン」に、今週二つのエントリーを書いた。「海外で働くことをオプションとして考える」「あの人はぼくと違うと思うこと」を指している。ぼくがヨーロッパを必要に思い、1990年イタリアに来たとき、このように世界にフラット感が漂うとは想像していなかった。そのフラット感については、後者のエントリーでテーマとしている。確かに多くの垣根は実際に消滅したようにみえるが、崩壊していないもの、あるいはより高くなったものも多い。この新しい「フラット感」ーフラットではなく、あくまでも「感」が蔓延しているーをどう見極めるが、今、非常に重要だと思う。それは個人ベースだけでなく、ヨーロッパを考えるに際しても、同様だ。

この問題について、引き続き書いていく。