最近、イタリアの大手香辛料メーカーから「七味唐辛子」という名前の商品が販売されていることを知った。商品パッケージの裏には焼鳥のソースレシピが書いてあり、そこに、この七味唐辛子を使うように書いてある。そうか、こういう時代になってきたか。
ヨーロッパにおいて和食は外食であり家庭料理ではない。日本の餃子やカレーのような位置に和食はない。しかし、醤油はかなり浸透をしはじめている。特に和食という料理を作らなくても、肉や魚を食べる時に醤油をかける。若い人が自分たちで寿司を作ったりしているが、それ以上には普及している。これを和食というか?と問えば、日本人の感覚からして和食とは言いがたいだろう。タバスコを使ったからメキシコ料理とは言わないと同じように。オリーブオイルを使っても地中海料理とはならない。
このように調味料がジワジワと伝統料理に影響を与えていく。もちろん醤油を使うのは、やはりあるレベル以上の家庭であろうという仮説は妥当だ。でも、そのレイヤーがだんだんと下がっていくのも確かだ。そして、こういう問いがなされる。「ヤマサとかキッコーマンを買っているんだけど、日本にはもっと別のブランドが沢山あるんでしょう?」と日本人に聞く。ヤマサやキッコーマンに不満だというのではなく、バリッラやデチェコ以外にパスタメーカーはイタリアに数多くあるだろうと日本人が思うように、醤油にも多くのブランドがあり、その一部しか自分たちは味わっていないと認識をはじめている。
醤油を使っても和食とは言わないと前述したが、実は「醤油を使えば日本料理って思っちゃいますよね」とぼくは日本の人に言っている。よく「イタリアの家で何を食べているのですか?」と質問されたとき、「まあ、イタリア食と日本食の半々。でも、醤油や味噌を使えばなんとなく和風を食べた気になることもありますよね」と答えることが多い。つまり日本食の定義自身、かなり危ういところにある。日本人は醤油に慣れているから、醤油があることで和食へ接近が図られる。しかし、肉や魚に醤油をかけるヨーロッパ人は、醤油が日本発であると知っていても、調味料としてもっとニュートラルな存在としてみている。カレー味もそうだが、伝統料理からの脱皮で異文化に触れた気になるが、終点に行き着いたとは違う浮遊したムードを味わうことになる。よって和食を食べているとは思っていない。
調味料は万華鏡だ。
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