ここでプラットフォームを作るにはどうすればよいかを色々と書いてきた。
昨年末にNHKで放映された、日本のコンテンツを輸出するというテーマの番組をみて、以下を「さまざまなデザイン」に書いた。アキバの可愛い子たちをメインとした仕組みを「フォーマット販売」するという内容だ。
http://milano.metrocs.jp/archives/2722
これはまさしくプラットフォームの発想で、かつ「ブランドとは考え方の痕跡の集積である」という主旨とあっている。だから、このプロジェクトをモデルの一つとして応援したいと思う。が、反面、「さまざまなデザイン」に書いたように、このタイプのカルチャーは、ヨーロッパで社会的に可視化するのではなく、個人的嗜好として隠される傾向にあることをどう考えるかについて思いを馳せている。
オリエンタルの可愛い文化を受容する社会層はメインではないがヨーロッパにもそこそこある。そこには、ローカライズのないロジックを持ち込むべきという秋元康の意見も理解できる。ぼく自身が、あのようなカルチャーに個人的にあまり関心がないからか、その先の説得に熱が入らない。
多分、「ヨーロッパ文化にない日本が強みとする」のはアイドル文化しかないのか?というあたりで、最初の躓きがあるのではあるまいか・・・。
2010年1月13日水曜日
2009年11月30日月曜日
コンテンポラリーアートは特別に難しいのか?
今日、「エコノミスト」のアート市場に関する記事を読んでいて、オークションによるアート市場が極めて偏っていて、これがどれだけ全体を表現しているのだろうかと考えた。2008年のコレクター市場が、米国35.7%、英国34.5%、中国7.7%、フランス6%、イタリア2.8%、ドイツ2.5%、スイス1.5%と続く。その他にはロシアや中東諸国が入るのだろうが、ドイツがイタリアの下に位置しているのは意外だった。それにしても、米国と英国で約70%というのは、かなり異常な数字ではないか。
上記の記事で、コンテンポラリーアートに関心が集まり始めていることは指摘している。そこで、最近、日経BPオンラインで読んだ記事を思い出した。「現代美術、難解だから売れないのか、売れないから難解なのか」というタイトル。
日本市場が小さいのは、エコノミストのデータにも出ているので、多分、およその傾向としてこうなのだろう。この引用した記事はこうデータをひいた後、コンテンポラリーアートの比率が特に低い理由を下のように説明している。
上記の記事で、コンテンポラリーアートに関心が集まり始めていることは指摘している。そこで、最近、日経BPオンラインで読んだ記事を思い出した。「現代美術、難解だから売れないのか、売れないから難解なのか」というタイトル。
美術品全体で見ると、この分野には2つの市場がある。1つは「プライマリー市場」。これは作家が作ったばかりの作品にギャラリーが値段をつけて売る、最初の売買市場である。2つ目に、それが転売される市場があり、これを「セカンダリー市場」という。
両方あわせた日本の美術市場規模は1000億円といわれる(Art Trendy.net調べ)。国内オークション、交換会、百貨店美術部、美術商の取引 の合計である。このうち現代美術は約1割、約100億円程度と見込まれるが、これは世界の美術取引市場のわずか1~2%程度でしかない。
日本市場が小さいのは、エコノミストのデータにも出ているので、多分、およその傾向としてこうなのだろう。この引用した記事はこうデータをひいた後、コンテンポラリーアートの比率が特に低い理由を下のように説明している。
傾向としては海外のコレクターは好んで現代美術を買う。リスクは大きいが、値上がり益も見込めるからだ。これに対して日本のコレクター、特に公立美術館は保守的だ。リスクを避けて現代美術よりも近代作品を購入しがちだ。
今のところ日本の現代美術の市場は海外に比べると極端に小さい。いずれ追いつくと見ていいのか。どうもそうではないようだ。問題は一番最後の段落だ。「特に現代美術の場合は作品が生まれた背景や様式などの理解、つまりリテラシーが必要になる」の部分。学校で近代作品は学んでいると明記しており、そのため日本でも近代作品のリテラシーはあり、市場が成立していると言っている。別に自然な環境で近代作品を学んだわけでもないとするなら、どうして、現代美術に対して奇妙な説明を加えるのか? なんとも意味不明としかいい様がない。ここには言葉によってアートを説明することに対する嫌悪感が漂っている気がする。ある画廊経営者はこう言う。「欧米では学校の行事で現代美術館によく行く。だから抵抗感が少ない。日本人は学校では近代作品しか学ばない」
あたりまえのことではあるが、人は作品の価値を十分に理解しないと作品を買わない。見て美しい、感動するというだけではだめだ。特に現代美術の場合は作品が生まれた背景や様式などの理解、つまりリテラシーが必要になる。
2009年11月11日水曜日
日本の文化産業を考える
昨日、「さまざまなデザイン」に「アニメや漫画で何を伝えたいのか?」を書きました。アニメや漫画というジャンルを語るにしても、この表現形式が何を伝えるのに適しているのか?という論議なしに、「日本の文化産業としてどうにかしろ」という方向に向き勝ちではないかと思ったからです。
先日も、東京で会った出版社の漫画担当の編集者が、「マンガ雑誌も単行本もメタメタですよ」と自嘲気味に市場の下降線を嘆いていました。一時、何でも漫画化されました。外務省の仕事も漫画で解説することで敷居を低くしようとしました。しかし、ぼくが思うに、しかるべき内容は漫画では伝えきれないし、だいたい、漫画という表現形式は難しいことを簡単に説明できる魔術ではないと思うのです。言葉の表現スペースが少ない分、逆により分かりにくい説明を余儀なくされることもあります。絵が言葉で伝えきれない部分を全てカバーするとはありえないのです。
しかし、何か漫画のほうが「文章より説明力に勝る」という思い込みが強くできたように感じます。ここにアニメや漫画の優位性を見すぎたため、海外市場が増えてきたとき、戦略のたて方を間違えた(もちろん、戦略などなかったというのが、多くの意見でしょうが・・・)一つの要因があったように思えます。特に、「難しいことは、如何に噛み砕いても、そのレベルを維持しながら説明する」という文化が強いヨーロッパにおいて、上述の思い込みは空振りを招く結果を促したと言えまいかと考えるのです。
今日の日経ビジネスオンラインに「アニメは次の成長モデルを作れるか?」という記事がありました。
上記が主旨ですが、この表現形式は何を伝えるのに優れるのか?という分析がされるかどうか、そこにぼくは注目してみたいです。
先日も、東京で会った出版社の漫画担当の編集者が、「マンガ雑誌も単行本もメタメタですよ」と自嘲気味に市場の下降線を嘆いていました。一時、何でも漫画化されました。外務省の仕事も漫画で解説することで敷居を低くしようとしました。しかし、ぼくが思うに、しかるべき内容は漫画では伝えきれないし、だいたい、漫画という表現形式は難しいことを簡単に説明できる魔術ではないと思うのです。言葉の表現スペースが少ない分、逆により分かりにくい説明を余儀なくされることもあります。絵が言葉で伝えきれない部分を全てカバーするとはありえないのです。
しかし、何か漫画のほうが「文章より説明力に勝る」という思い込みが強くできたように感じます。ここにアニメや漫画の優位性を見すぎたため、海外市場が増えてきたとき、戦略のたて方を間違えた(もちろん、戦略などなかったというのが、多くの意見でしょうが・・・)一つの要因があったように思えます。特に、「難しいことは、如何に噛み砕いても、そのレベルを維持しながら説明する」という文化が強いヨーロッパにおいて、上述の思い込みは空振りを招く結果を促したと言えまいかと考えるのです。
今日の日経ビジネスオンラインに「アニメは次の成長モデルを作れるか?」という記事がありました。
社会が成熟する中で、これから重要な役割を担うのがアニメ、ゲーム、日本映画、クラシック音楽などの分野だ。これをビジネスととらえるならば、「文化産業 (クリエーティブ産業)」と名づけることができる。製造業が弱体化する中で、こうした産業は日本の次の成長の糧の1つとして期待される。
文化産業自体は昔から存在する。だがきちんと利益をあげる事業形態、つまりビジネスモデルの構築に成功したものは少ない。映像、アニメなど芸術文化のビジネスモデルは、まだ完成度が低い。こうしたビジネスでいかにモデルを構築していくのか。まず、アニメから考察していく。
上記が主旨ですが、この表現形式は何を伝えるのに優れるのか?という分析がされるかどうか、そこにぼくは注目してみたいです。
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