昨日、「さまざまなデザイン」に「辰巳渚さんの家事塾」を書いた。
家のことをやるのは、特に義務的ではないのと同様、趣味的でもなく、普通に生きることそのものであるということを説いている。当たり前といえば当たり前ながら、伝統的行事を家のなかで維持しようとすれば何らかの主張を求められたりする無理を解消していかないといけない。この活動が、ヨーロッパ文化部の活動と狙いは同じであるとぼくはみた。そして、この二つを同じ地盤でみられる考え方を説くことが重要ではないかとも思った。
文化とは芸術あるいはそれに近い領域を指すという立場がある一方、生活文化こそが文化の要であるとする立場もある。しかし、その立場は職業的それであり、人の生き方そのものではない。両方を包括してはじめて一人の生活が成り立つ。だからこそと言えるかもしれないが、だからこそ、あることが分かると、もう一つのほうも分かる。しかし、それは「一般化」ではない。
上記をすべての人に即望むのは、かなり厳しいと思う。それなりに多角的な経験を積んでこないとみえてこない場合が多いかもしれない。よって、まずは、これが見れる人がどの程度いるのか、それを確認していきたいと思っている。必ずしもヨーロッパを対象としなくても、趣旨が分かる人がどのくらいいるのか?という意味だ。
今、色々な人に会いながら、この確認作業を進めている。
2010年2月10日水曜日
2009年11月15日日曜日
結構売れているヨーロッパ史の本
ジャック・ル・ゴフの『子どもたちに語るヨーロッパ史』について、「さまざまなデザイン」に書いたのですが、アマゾンでの売り上げランクをみてちょっと驚きました。一回目見たときは200番台、二回目で3000番台でした。今年の9月に発売されたヨーロッパ関係の本としては意外です。塩野七生のイタリア関係を別にすれば、最近、売れないと言われるヨーロッパの本も売れるものは売れるのか、と。それも、特に前半の通史で目新しいところはありません。中世への切り込みに新鮮さを感じたとすれば、それはアナール学派ならではの日常世界の心性で引っ張ったとしか考えれません。
また、随分と重版が続いている松岡正剛『17歳のための世界と日本の見方』と同じように、実は大人を対象としながらも子供がメインの相手であるかのように装う方法が、敷居の下げ方の定番としていいのかとも思います。とするならば、敷居さえ下げれば関心がひけるということは、ヨーロッパの心理的距離感の問題ーヨーロッパは面倒で遠いーは、実につまらないところで躓いていると言えまいか、ということになります。いや、塩野本はそこまで敷居を下げているわけではないですから、これは一体何が障害なのだろうと疑問を呈さざるを得ません。
それなりのマーケットはあるということなのでしょう。日本の工芸品が売れ、パリにブランドの洋服を買いにくるより、日本国内の温泉にでかける方がまったりとできてよいーパリでブランド品を買い捲っていた、あの林真理子でさえーという傾向が強くあったとしても、イタリアオペラや北欧デザインである程度の人が集まるように、一定の層は相変わらずヨーロッパに目が向いています。問題は、この関心の活かし方ではないか?と考えます。あるいはコアグループの力の集結度なのかもしれません。
かつてのようにヨーロッパに関心を集中させるべきというのではなく、文化多元化の現況においての分散化は決して悪いわけではありません。考えるべきなのは、分散化への認識とヨーロッパの影響力の適正評価ではないかと思います。
また、随分と重版が続いている松岡正剛『17歳のための世界と日本の見方』と同じように、実は大人を対象としながらも子供がメインの相手であるかのように装う方法が、敷居の下げ方の定番としていいのかとも思います。とするならば、敷居さえ下げれば関心がひけるということは、ヨーロッパの心理的距離感の問題ーヨーロッパは面倒で遠いーは、実につまらないところで躓いていると言えまいか、ということになります。いや、塩野本はそこまで敷居を下げているわけではないですから、これは一体何が障害なのだろうと疑問を呈さざるを得ません。
それなりのマーケットはあるということなのでしょう。日本の工芸品が売れ、パリにブランドの洋服を買いにくるより、日本国内の温泉にでかける方がまったりとできてよいーパリでブランド品を買い捲っていた、あの林真理子でさえーという傾向が強くあったとしても、イタリアオペラや北欧デザインである程度の人が集まるように、一定の層は相変わらずヨーロッパに目が向いています。問題は、この関心の活かし方ではないか?と考えます。あるいはコアグループの力の集結度なのかもしれません。
かつてのようにヨーロッパに関心を集中させるべきというのではなく、文化多元化の現況においての分散化は決して悪いわけではありません。考えるべきなのは、分散化への認識とヨーロッパの影響力の適正評価ではないかと思います。
2009年11月9日月曜日
相手にすべき対象はもっと大きいかもしれない
昨晩、ミラノに戻りました。今日のミラノは雨です。そこで二本のブログを「さまざまなデザイン」に書きました。今週読んだ本を二冊とりあげました。管啓次郎『本は読めないものだから心配するな』と立花隆・佐藤優『ぼくらの頭脳の鍛え方』です。趣向の全く違う読書案内ですが、結局、人は分かるところまでしか分からず、分からない地平を分からないとどう自覚するかにかかっているというのが、二つの本に関する共通点です。あるいは真空地帯で見知らぬ吸入口に惑わされないための力をもっていないといけない、というのも両者に通じる内容でしょう。
一昨日、明治大学で宮下芳明さんの講演会『「面白さ」の計算科学:エンターテイメントコンピューティング~その誤解と真実』で、コンピューターは100%の完全性をもっていないことを前提に、インターフェースが設計されないといけないという指摘がありました。これはぼくも同じ認識をもっているので、「そうか、時代の方向はこちらと考えていいのだな」と思いました。ただ、こういう分野は、往々にして「方向さえ合っていれば」が端緒であり全てであることがあるので、その矢印の及ぶ範囲の目測を誤ってはいけません。真空地帯の見極めです。
「文化とビジネス」をテーマに色々と考えてきましたが、ヨーロッパ文化部が相手にすべき対象は、もっと大きいのかもしれません。そういうことを思う日が何日かありました。文化自身のもつ力と範囲の認識や、その出力の方法に貢献すべき課題がもっとあるのではないか、と。
そういう意味で、ヨーロッパ文化部はいわばマーケティングをさらに重ねる必要があるとの自覚を新たにしました。逆に、われわれが話す内容に意味があると思われるには、相手がどこの地平までを見ているかを知らないといけないということでもあります。
活動は継続してこそ意味があります。
一昨日、明治大学で宮下芳明さんの講演会『「面白さ」の計算科学:エンターテイメントコンピューティング~その誤解と真実』で、コンピューターは100%の完全性をもっていないことを前提に、インターフェースが設計されないといけないという指摘がありました。これはぼくも同じ認識をもっているので、「そうか、時代の方向はこちらと考えていいのだな」と思いました。ただ、こういう分野は、往々にして「方向さえ合っていれば」が端緒であり全てであることがあるので、その矢印の及ぶ範囲の目測を誤ってはいけません。真空地帯の見極めです。
「文化とビジネス」をテーマに色々と考えてきましたが、ヨーロッパ文化部が相手にすべき対象は、もっと大きいのかもしれません。そういうことを思う日が何日かありました。文化自身のもつ力と範囲の認識や、その出力の方法に貢献すべき課題がもっとあるのではないか、と。
そういう意味で、ヨーロッパ文化部はいわばマーケティングをさらに重ねる必要があるとの自覚を新たにしました。逆に、われわれが話す内容に意味があると思われるには、相手がどこの地平までを見ているかを知らないといけないということでもあります。
活動は継続してこそ意味があります。
2009年11月4日水曜日
味から語る文化
前回、「JETROでの勉強会」で書きましたが、その後、ますます「味と文化」がぼくのなかで大きなテーマになってきました。そのあたりの動向を「さまざまなデザイン」に今日書きました。「人の舌で寿司を食うな!」というちょっと品のないタイトルです。そして、これを書いておこうと思った直接の動機は、社会学者の八幡さんとの会話です。この内容は「長期戦は思想の確立で勝つ」で記しました。思想と舌が直接リンクするかどうかは別にして、ある痕跡を頭や心に強く残すことが非常に重要であるという意味において、ぼくはデザイン以外の武器をもっと使わないといけないと思ったのです。
ぼくはデザインの分野に20年近く軸足を置いてきましたが、同時に食品の世界にも15年ほど関わってきました。それで昨年より、長野善光寺前にある七味唐辛子の老舗、八幡屋礒五郎の七味とトスカーナのエキストラヴァージンオイルのミックス(250mlの新鮮なオイルに7gの七味唐辛子)により、両方の食材の両方の文化圏へのローカリゼーションを図っています。この商材の発展系で今、七味オイル味のオリーブをテスト販売しているのですが、ここに大きな潜在性を見出してきています。
よく人に話すのですが、「日本文化が好きで寿司を食べるのではなく、ヘルシーという価値のもとに寿司を選択し、それを何度か食べるうちに寿司が好きになり、だんだんと日本文化にも興味をもつようになる」のであって、「クールジャパンという旗印のもとに寿司を食べるのではない」のです。しかし、そこで記憶された味は強いインパクトを与えることになります。
したがって、味を持ち出すことで、デザインの話だけでは到達し得ない部分にアプローチできると思います。が、デザインというテーマでアプローチすることの可能性を見切ったわけではなく、人の生活がさまざまな要素で成立している以上、こうした多様なアングルから説明していくことが大事であると再認識したのです。以前、紹介したYouTubeのビデオ(下記)ですが、この映像から語れる文化をもっと増やすつもりです。
ぼくはデザインの分野に20年近く軸足を置いてきましたが、同時に食品の世界にも15年ほど関わってきました。それで昨年より、長野善光寺前にある七味唐辛子の老舗、八幡屋礒五郎の七味とトスカーナのエキストラヴァージンオイルのミックス(250mlの新鮮なオイルに7gの七味唐辛子)により、両方の食材の両方の文化圏へのローカリゼーションを図っています。この商材の発展系で今、七味オイル味のオリーブをテスト販売しているのですが、ここに大きな潜在性を見出してきています。
よく人に話すのですが、「日本文化が好きで寿司を食べるのではなく、ヘルシーという価値のもとに寿司を選択し、それを何度か食べるうちに寿司が好きになり、だんだんと日本文化にも興味をもつようになる」のであって、「クールジャパンという旗印のもとに寿司を食べるのではない」のです。しかし、そこで記憶された味は強いインパクトを与えることになります。
したがって、味を持ち出すことで、デザインの話だけでは到達し得ない部分にアプローチできると思います。が、デザインというテーマでアプローチすることの可能性を見切ったわけではなく、人の生活がさまざまな要素で成立している以上、こうした多様なアングルから説明していくことが大事であると再認識したのです。以前、紹介したYouTubeのビデオ(下記)ですが、この映像から語れる文化をもっと増やすつもりです。
2009年10月18日日曜日
JETROでの勉強会
この前に書いた駐日ドイツ大使の講演会の後、溜池のアークヒルズにあるJETRO(日本貿易振興機構)で勉強会を行いました。いろいろな部署の方が30名近く参加くださり、また外部からも数名おいでいただきました。最初に、ぼくがPPTでプレゼンをし、それから質疑応答という形をとりました。
プレゼンのなかで、「ユニバーサルとは言葉で理解し合えることで、心で通じ合えると思わない」ということを言いました。これは「少なくても、マスレベルでのビジネスを企画するにあたって」という前提がありますが、この点に質問がありました。「感性的にいいと思える共通点があるような気がするのですが・・」と。
ぼくも、感性的な共通点はあると思います。「さまざまなデザイン」で書いた「夏の虫の鳴き声」もそうですが、日本人独自であると思っている感じ方には、かなりユニバーサルに通じるものがあります。しかし、一方、それは記憶や経験あるいは学習ということがベースになっている面もあります。つまり、ある事象に対する感じ方に自慢するのもおかしいし、卑下するのもおかしいというのが、ぼくの考えです。
寿司や刺身をはじめて食べて美味しいということはあまりないことだし、子供の食の好みをみれば分かるように、ある価値的説得によって「これは美味しい」と思わせることが、かなりのケースに当てはまるのではないかと思います。明治時代に来日した西洋人が日本の音楽を聞き、「これはすばらしい」とは即言わなかったことも、一例になるでしょう。
勉強会の後、赤坂で数人と食事をともにしたのですが、七味オイルの開発ストーリーやYouTubeのビデオの話がかなり受け、このような事例から文化の話に持ち上げていくのがいいのかなと思いました。今回の勉強会は20-30代の若手がメインだったのですが、彼らにもっと語りかけること、彼らがポジティブに動いていくことができるような外部的バックアップ(環境づくり)をすること、このあたりにぼくのやるべきことがありそうだと感じました。
プレゼンのなかで、「ユニバーサルとは言葉で理解し合えることで、心で通じ合えると思わない」ということを言いました。これは「少なくても、マスレベルでのビジネスを企画するにあたって」という前提がありますが、この点に質問がありました。「感性的にいいと思える共通点があるような気がするのですが・・」と。
ぼくも、感性的な共通点はあると思います。「さまざまなデザイン」で書いた「夏の虫の鳴き声」もそうですが、日本人独自であると思っている感じ方には、かなりユニバーサルに通じるものがあります。しかし、一方、それは記憶や経験あるいは学習ということがベースになっている面もあります。つまり、ある事象に対する感じ方に自慢するのもおかしいし、卑下するのもおかしいというのが、ぼくの考えです。
寿司や刺身をはじめて食べて美味しいということはあまりないことだし、子供の食の好みをみれば分かるように、ある価値的説得によって「これは美味しい」と思わせることが、かなりのケースに当てはまるのではないかと思います。明治時代に来日した西洋人が日本の音楽を聞き、「これはすばらしい」とは即言わなかったことも、一例になるでしょう。
勉強会の後、赤坂で数人と食事をともにしたのですが、七味オイルの開発ストーリーやYouTubeのビデオの話がかなり受け、このような事例から文化の話に持ち上げていくのがいいのかなと思いました。今回の勉強会は20-30代の若手がメインだったのですが、彼らにもっと語りかけること、彼らがポジティブに動いていくことができるような外部的バックアップ(環境づくり)をすること、このあたりにぼくのやるべきことがありそうだと感じました。
2009年10月12日月曜日
国際文化会館での勉強会
先週、六本木の国際文化会館で勉強会を主宰しました。業界を超えた十数人の方にお集まりいただき、最初の40-50分がぼくの側からの話題提供、残りの2時間余が皆さんとのフリーディスカッションです。話題提供は、6月に日欧産業協力センターのセミナーで話した内容が中心ですが、最後のまとめに「ものの見方」を出しました。
議論の中での、ある方の発言「ヨーロッパでは目標は目標であり、それが達成できるかどうかを日本ほど強く求められない。目標をたてることに意味があり、結果、未達であっても日本ほど責められない」には大いに頷くものがありました。目標自身への考え方の違いがありますが、ぼくは、この発言からヨーロッパ統合を推進したジャン・モネのことを思いました。
ヨーロッパのあり方では、何かが上手くいかなかったとしても、それは手段や手順のまずさであり、目標自身の設定について反省することはあまりありません。だから長年のプロセスを経てEUが成立したのであり、日本でよくある「目標設定が悪かったと反省し、ゼロから出直します」という考え方では、EUは成立しなかったであろうということを、ぼくはモネの「回想録」を読んで思ったのです。
日本のよさのひとつは道徳的優位性であるとするなら、目標に対する考えの違いは、世界での道徳的優位性に役立つのだろうか?ということがテーマになるのではないかと思うのです。約束を守るとかいうことは信義上の問題として道徳圏内として、計画の目標は圏外ではあるまいか?という意味で、我々が損をしない評価軸はどこにあるのか、自分の文化定義とヨーロッパの文化定義をエレメント的にもっと突き詰めることが必要と思われます。
もちろん文化をどこまでブレイクダウンできるかは難しい問題ですが、それを諦めていると、話はまるっきり前進しません。どうにかして前進させるための試行錯誤をやるしかありません。今週の水曜日も他の場所での勉強会です。そのあたりでひとつの実践的方向性をみつけたいと考えています。
尚、「さまざまデザイン」に「石倉洋子『戦略シフト』を読む」を書きました。日本に来てから1週間に至らぬ時点でどんなことを思ったかの記録でもあります。
議論の中での、ある方の発言「ヨーロッパでは目標は目標であり、それが達成できるかどうかを日本ほど強く求められない。目標をたてることに意味があり、結果、未達であっても日本ほど責められない」には大いに頷くものがありました。目標自身への考え方の違いがありますが、ぼくは、この発言からヨーロッパ統合を推進したジャン・モネのことを思いました。
ヨーロッパのあり方では、何かが上手くいかなかったとしても、それは手段や手順のまずさであり、目標自身の設定について反省することはあまりありません。だから長年のプロセスを経てEUが成立したのであり、日本でよくある「目標設定が悪かったと反省し、ゼロから出直します」という考え方では、EUは成立しなかったであろうということを、ぼくはモネの「回想録」を読んで思ったのです。
日本のよさのひとつは道徳的優位性であるとするなら、目標に対する考えの違いは、世界での道徳的優位性に役立つのだろうか?ということがテーマになるのではないかと思うのです。約束を守るとかいうことは信義上の問題として道徳圏内として、計画の目標は圏外ではあるまいか?という意味で、我々が損をしない評価軸はどこにあるのか、自分の文化定義とヨーロッパの文化定義をエレメント的にもっと突き詰めることが必要と思われます。
もちろん文化をどこまでブレイクダウンできるかは難しい問題ですが、それを諦めていると、話はまるっきり前進しません。どうにかして前進させるための試行錯誤をやるしかありません。今週の水曜日も他の場所での勉強会です。そのあたりでひとつの実践的方向性をみつけたいと考えています。
尚、「さまざまデザイン」に「石倉洋子『戦略シフト』を読む」を書きました。日本に来てから1週間に至らぬ時点でどんなことを思ったかの記録でもあります。
2009年9月23日水曜日
文化理解の目的を書く
「ヨーロッパ文化を伝える」を6回にわたり書きましたが(下記が最終回)、結局のところ、自分の立場と見方をヨーロッパ文化理解の仕方を通じて確立する実例という位置づけになりました。
http://milano.metrocs.jp/archives/2210
「生活シーン」を重んじながらエピソードの羅列で終わらない鳥瞰的なポジションの獲得の方法。しかし、そのポジションの使い方は慎重を要する。こういう作業を経て、自分のオリジナル文化をどう見直すか。こんなことを書きました。これをプレゼンのストーリーに作りこんでいこうと思います。
http://milano.metrocs.jp/archives/2210
「生活シーン」を重んじながらエピソードの羅列で終わらない鳥瞰的なポジションの獲得の方法。しかし、そのポジションの使い方は慎重を要する。こういう作業を経て、自分のオリジナル文化をどう見直すか。こんなことを書きました。これをプレゼンのストーリーに作りこんでいこうと思います。
2009年9月21日月曜日
「ヨーロッパ文化の伝え方」
本当はここに書こうと思ったのですが、どうも気分的(?)に「さまざまなデザイン」に「ヨーロッパ文化の伝え方」というエントリーを連日書いています。以下がスタートです。今日、3回目を書きました。
http://milano.metrocs.jp/archives/2163
これをどういう目的で書いているかというと、ぼくなりのヨーロッパ文化の見方をポリシーという面から整理しておこうと思ったのですが、もう一つは、ヨーロッパに関係のない人達にも参考になる部分とは何かなということを前々から考えていたので、そのためのポイントを要約するという役割もあります。事前に構想をまとめて書いているわけではなく、その日に書き終えた時点で、次に何を書かなければいけないかを考えている状態で、話しが前後するところが出るかもしれませんが、勘弁してください。
ただ、このあたりのまとめを来月日本で行う勉強会のプレゼンに使おうとは思っています。
http://milano.metrocs.jp/archives/2163
これをどういう目的で書いているかというと、ぼくなりのヨーロッパ文化の見方をポリシーという面から整理しておこうと思ったのですが、もう一つは、ヨーロッパに関係のない人達にも参考になる部分とは何かなということを前々から考えていたので、そのためのポイントを要約するという役割もあります。事前に構想をまとめて書いているわけではなく、その日に書き終えた時点で、次に何を書かなければいけないかを考えている状態で、話しが前後するところが出るかもしれませんが、勘弁してください。
ただ、このあたりのまとめを来月日本で行う勉強会のプレゼンに使おうとは思っています。
2009年9月2日水曜日
プレゼンにおける層分け
ヨーロッパ文化部のプレゼンの仕方を色々と考えています。
ヨーロッパを切り口にするという点では何も変更の必要を感じないのですが、もう少し問題を多層に明確化し、どこが一般レイヤーで、どこがヨーロッパレイヤーか、という層別をしないといけないかなと思っています。どういうことかというと、アピールすべき相手は様々で、それこそヨーロッパに関心も縁もないけど、問題の深層には関心があるという方にどう話していくか?も、考えないといけないと思い始めたのです。
そこで、どのような表現が一般レイヤーにくるかですが、ビジネスと文化の関係性をもってこようと検討しています。ビジネスにおいて文化が無関係であると思っている人は誰もいないでしょうが、実際の交渉ごとや人事管理を対象とした「異文化コミュニケーション論」がカバーしてきた領域など、文化理解はいつも見え隠れしています。もちろん言葉や生活習慣の違いなど、市場つくりや商品つくりでの課題も文化領域に入ってきました。そして、ぼくがポイントにしているのは、これらにプラスして「違った感覚」「違った認知」なのだというのが一点目になります。
二点目は、文化は総体的な理解を求めるものであるがゆえに、一人で行う文化理解の重要性を語ることです。そこは自分の専門ではないからという理由で、どこかに穴をあけることを怖がる、あるいは自分の言葉や考えの表明を避ける、こういう態度をどうやって変えていけばいいのかというテーマがあります。全てにおいて知識が均一にあることはありえないし、どこのレベルであれば合格ということがないのは、どこのレベルにおいても失格はないのだという認識に自信をもって辿り着くとは、どういうことなのか?が、分かりやすく語られないといけないでしょう。

次にヨーロッパのレイヤーです。これは、「ミラノサローネ2008」で書き、本にも使ったヨーロッパ文化の4つの特徴をあげることかなと思います(下記から4回分のブログ)。これが「理解の大枠」の一例になります。実は、定番のプレゼンのなかで、これらの特徴を言うのをあえて落としてきました。何か結論じみた言い方になるのではないか、と。
http://milano.metrocs.jp/archives/205
しかし、こういう結論じみたところを更に発展させることに意味があるのではないかと思い、これを再び引っ張り出してくることにします。できれば、もう少し肉付けはしたいと思います。これにあわせた視覚的資料も揃えてみましょう。この流れのなかで、「重さ」「軽さ」の問題も扱えそうです。また、チャールズ・イームズの映像「パワー・オブ・テン」の発想が活かせればいいのだが・・・と考えています。
・・・・まだまだ悩みそうです。
ヨーロッパを切り口にするという点では何も変更の必要を感じないのですが、もう少し問題を多層に明確化し、どこが一般レイヤーで、どこがヨーロッパレイヤーか、という層別をしないといけないかなと思っています。どういうことかというと、アピールすべき相手は様々で、それこそヨーロッパに関心も縁もないけど、問題の深層には関心があるという方にどう話していくか?も、考えないといけないと思い始めたのです。
そこで、どのような表現が一般レイヤーにくるかですが、ビジネスと文化の関係性をもってこようと検討しています。ビジネスにおいて文化が無関係であると思っている人は誰もいないでしょうが、実際の交渉ごとや人事管理を対象とした「異文化コミュニケーション論」がカバーしてきた領域など、文化理解はいつも見え隠れしています。もちろん言葉や生活習慣の違いなど、市場つくりや商品つくりでの課題も文化領域に入ってきました。そして、ぼくがポイントにしているのは、これらにプラスして「違った感覚」「違った認知」なのだというのが一点目になります。
二点目は、文化は総体的な理解を求めるものであるがゆえに、一人で行う文化理解の重要性を語ることです。そこは自分の専門ではないからという理由で、どこかに穴をあけることを怖がる、あるいは自分の言葉や考えの表明を避ける、こういう態度をどうやって変えていけばいいのかというテーマがあります。全てにおいて知識が均一にあることはありえないし、どこのレベルであれば合格ということがないのは、どこのレベルにおいても失格はないのだという認識に自信をもって辿り着くとは、どういうことなのか?が、分かりやすく語られないといけないでしょう。

次にヨーロッパのレイヤーです。これは、「ミラノサローネ2008」で書き、本にも使ったヨーロッパ文化の4つの特徴をあげることかなと思います(下記から4回分のブログ)。これが「理解の大枠」の一例になります。実は、定番のプレゼンのなかで、これらの特徴を言うのをあえて落としてきました。何か結論じみた言い方になるのではないか、と。
http://milano.metrocs.jp/archives/205
しかし、こういう結論じみたところを更に発展させることに意味があるのではないかと思い、これを再び引っ張り出してくることにします。できれば、もう少し肉付けはしたいと思います。これにあわせた視覚的資料も揃えてみましょう。この流れのなかで、「重さ」「軽さ」の問題も扱えそうです。また、チャールズ・イームズの映像「パワー・オブ・テン」の発想が活かせればいいのだが・・・と考えています。
・・・・まだまだ悩みそうです。
2009年8月11日火曜日
秋の活動への準備スタート

ヨーロッパ文化部の秋の活動に対して着々と準備をはじめています。ヨーロッパ文化を伝える趣旨に関し、最近「さまざまなデザイン」に以下を書きました。これは明治大学大学院の管啓次郎さんのゼミに提出した「安西洋之の36冊」レポートに対する感想の抜粋です。
今、ぼくはヨーロッパ文化をどう日本の人に伝えるかを考えている。そして、実際、本やブログも書き、多くの人の前で話すこともはじめた。もともと全体性の理解に対する拘りが強かったが、多くの経験を積み、それをある時点で統合しようと思ったとき、「ヨーロッパ文化」という具体的な名称で、ぼくの頭のなかに統合の事例として現れたのだった。
ただ、実を言えば、ヨーロッパ文化を伝えるとは、ヨーロッパに関する情報を伝えることと同義ではない。言ってみれば、新たな視点や考え方を提供するにあたってのネタである。しかし、それはよく言われる「〇〇で何が分かる」「〇〇に役に立つ」「〇〇に学ぶ」という次元とは距離をもつ。ぼくの狙いは、異文化の人達と一緒に何かをするための文化理解とは何か?を突き詰めることだからだ。そして、まずは、その目標ラインを「ビジネスのため」と限定している。あえて線引きすることで、伝える内容の構造が見えてくるのではないかと考えている。
これをここでもう一度引用したのには、一つのブログと一つのネット記事を読んだからです。まず地政学あるいは戦略論が専門の奥山真司さんのブログです。これから英国に留学する方へのアドバイスとして、日本の研究方法を「八百屋」とし西洋のそれを「料理人」と比喩されたと書かれています。その理由を下記としています。
なぜ八百屋なのかというと、彼らはデータの品揃えが勝負であり、ひとつのテーマについてどこまで詳しいことを知っているかということで勝負しているからです。
なぜ料理人なのかというと、彼らは厳選された材料を選らんで自分のやり方で調理するのが勝負なのであり、ひとつのテーマについてどのような鋭い解釈・分析をできるのかで勝負しているからです。
なるほど、上手いことを言ったなぁと感心したのですが、八百屋は八百屋という線引きがありながら、料理人よりは線引きが緩いからなと思いました。それは職種としてよりも、(比ゆ的にいえば)視覚的に見える目的枠が、後者においてより明確なのではないかとも考えます。加藤周一が指摘した、時間の出発点と終結点が明白なユダヤ的思考が西洋文化の根にあり、その限られた時間枠であるがゆえに建築的構造的世界観を作る傾向にあるとしたことは、研究の方法をも当然変えていくだろうということになります。意図的に線引きし、そのなかで出る例外をどう扱うかのルールを自分で決めていくことが日本の研究者は苦手であるがために、情報量で範囲を確保する方向にいくのではないかともいえます。
もう一つのネット記事とは、日経ビジネスオンラインにあった作曲家の伊東乾氏と湯浅譲ニ氏の対談なのですが、現代音楽やその周辺に対する膨大な情報が交信するなか、これを主要読者であるビジネスマンがどれほどに読み込むかを考えるとき、奥山真司さんが比喩する「料理人」的な訓練が問われているだろうと思います。以下は伊東乾氏の対談冒頭部分の発言ですが、この部分の意図と背景を知ったうえで、この対談を読み込むと色々なことが見えてきます。
この対談のテーマは、ぼくが問題にしている「ユニバーサルとローカルあるいはローカリゼーションの必要性」と直結しています。電子デバイスのインターフェースに地域差を尊重することと、バッハやベートーヴェンにあるフォークロア的な要素に関する感じ方の違いと共通部分をどうみるか。こういう視線でみれば日本的インターフェースをヨーロッパで平気な顔をして売れなくなるはずなのですが、どうも面の皮が厚いのではなく、単に自慢の感性にも磁場があるようだとしか言いようがないと結論づけざるをえない状況を「半ば意図的」に作っています。垂直構造でもやれる、水平展開には耐えられない・・・という次元の前に、こういう問題が横たわっているので、そのためにヨーロッパ文化を理解する意味をまず把握してもらわないと困る、ということになっています。―― ところが、メディアの前面で、そういう声を出せる場がなくなっているわけです。僕の作品を聴いてくださる方があるのは、とてもありがたいことです。 でも、もしマーケティングで考えられたら、現代音楽の聴衆は本当に数が知れています。これが同じ僕でもベートーベンとかバルトークとか古典を演奏すれば、 クラシックファンというのはもう1ケタくらい増えるでしょう。でもそれだって、クラシックは徹底してマイナーで、ポップスの比ではありません。
それらと比べて、40歳を過ぎてから、考えがあって書き始めた読み物の方が、はるかに社会的反響は大きいわけですね。この日経ビジネスオンライン も毎日、数百万人のアクセスがあって、毎週僕が書くものも何十万という人が目にして、厳しいコメントを返してもらえることも多くて。もう3年目に入りまし たが、とてもいい経験というか、勉強にもなっているわけです。
今月は、このブログももっと頻繁に書いていこうと思います。
*「安西洋之の36冊の本」は以下から3回連続で書名と200文字コメントをレポートから転載しました。
http://milano.metrocs.jp/archives/1942
2009年7月20日月曜日
ヨーロッパ企業の対日消極性
ヨーロッパ企業が日本進出にあまり積極的ではないことは、今に始まったことではなく、随分以前から気になっていますが、昨日、その消極性が「漠然とした不安」に基づいていることをあらためて確認し、どうしたものだろうかと思っています。その昨日のエピソードは「さまざまなデザイン」(下記)に書きました。
http://milano.metrocs.jp/archives/1820
あれがなくなったらいい、これがなくなったらいいということではなく、何らかの具体的な情報より、多くの間接的に耳にして目にする情報というのが如何に影響力があるか。ブランド構築の反証のような話です。中国のことも、否定的なニュースや経験を沢山しているのに、まだ「その気になる」確率が圧倒的に高い。
人は全ての情報を1から10まで揃えられるわけではないので、どこか不透明な部分で「前進か、停止か、後退か」を判断していかないといけませんが、日本へのアクセスに思い至る決定的な部分で何かが日本側に欠如しているとしかいい得ないとするか、それに至るためのヨーロッパ側の文化的特性がどこかで邪魔をするのか、かなり漠然としたテーマですが、もう一度深く考えないといけないなと思い始めました。
「日本文化部」を作るということではなく、「ヨーロッパ文化部」のコンセプトとしてもっと織り込むべき内容なのでしょう。
2009年7月4日土曜日
スイスを中心としたゾーニング

先月、日本で買ってきた本を何冊も並行して読んでいます。それらの多くは、ヨーロッパに関する内容で、日本でヨーロッパが一般の人たちに向けてどう語られているのかを知る目的です。知識として勉強になることは多いのですが、正直言って、あまり面白い「見方」「視点」に出会えません。ヨーロッパ近代批判は底が見えていることが多いし、その証拠に現在のリアリティにあまり触れていません。また経済、政治、歴史、これらの専門家が書くと、どうしても社会の底に流れる層が視野に入りにくく、専門家にあえてお越し願うなら、文化人類学や社会学の系統の人間ではないかとの思いが強くあります。
触れているにしても、「フィナンシル・タイムズ」「エコノミスト」「インターナショナル・ヘラルド・トリビューン」あたりからの引用が多く、アングロ・サクソン系です。「アングロ・サクソン系の英国人でさえ、このように米国とヨーロッパに線を引くのだ」という注釈をつけたりはするのですが、ヨーロッパ域内同士の心理的距離感が描けていないのです。
やはり、米国症候群の一例として、ぼくの目には映ります。日本におけるアメリカの存在があまりに絶大過ぎ、その全面的賛辞でないとすると、ヨーロッパを「もうひとつの選択肢」として扱うわけです。したがって、選択肢としての有利な部分をまた実像以上に強調するという「突っ走り」が目立ちます。
こんなことを、昨日、八幡さんと電話で長話していたとき、スカンジナビアモデルが日本でよく引き合いに出されるのは、他諸国より歴史が浅いとみられ、したがってモデル移植が容易ではないかと勘違いするからだと指摘されました。実は、最近、ぼくがスカンジナビア地域を話題に多く出すのは、南欧に住むぼくが「対比としてのスカンジナビア」を考えているからですが、ぼくが「日本でヨーロッパを分かりにくくしているのは、フランスの存在が大きくないですか?フランスの北と南の違いを覆い尽くすフランスの存在感が強すぎる・・・」というと、八幡さんはアルプスを中心としたゾーニングの考え方を示してくれました。
南フランス、スイス、北イタリア、オーストリア、南ドイツ、バルカン諸国の一部、これらを帯状の共通文化ゾーンとしてみるわけで、このゾーンのもうひとつが、オランダ、デンマーク、スウェーデン、ノルウェー、北ドイツあたりとなります。この二つのゾーンをメインにしたヨーロッパ理解というのは、現在の「英国と大陸」「英国、フランス、ドイツ」「スカンジナビア」「地中海」というそれぞれの地域を中心とした見方より、よほど実際的ではないかというわけです。また、今年2月、経済連携協定に調印したスイスに焦点をおいたヨーロッパ理解が新しい視座を提供してくれるのではないかと話し合っており(八幡さんは、スイスの出版社からでている"Switzerland Inside Out" という、スイスの政治からアートまでの全貌を語りつくす本の編集に関わった経験があります)、この帯ゾーンの考え方を推進するバックボーンにもなります。
この趣旨で、つまり二つのゾーンのどちらかの担当を決め、色々な方に参加していただくブログをスタートしたらどうだろうかという話しになりました。
参考までに書いておきますと、本ブログ「ヨーロッパ文化部ノート」は、今年の1月からスタートしました。現在、グーグルでもヤフーでも検索に「ヨーロッパ文化」と入れると、両者とも2百万以上のヒットがあり、「ヨーロッパ文化部ノート」はトップページに出てきます。検索で上位にあげるためのSEO対策は何もしていないので、「ヨーロッパ文化」に対する動きが日本語の世界で如何に鈍いかとの反証だとぼくは見ています。
新しい動きをしないといけないと考えています。
2009年6月13日土曜日
次回のセミナーを考えていく
日本滞在中に感じていることを、ブログ「さまざまなデザイン」に日本のものづくりや市場づくりに関する問題点に絞って記事を書いています。以下です。
http://milano.metrocs.jp/archives/1682
http://milano.metrocs.jp/archives/1687
至極あたりまえながら、「深くよく考える」ところにしか解決策がありません。そこを飛び越えて、よい商品やデザインが生まれようがないはずです。それなのに安易な自己規定や時代規定が闊歩しているのが現状。これをみるにつけ、ぼくの危機感は募るばかりです。
ぼくはヨーロッパ市場で売れるための戦略や意味を考えながら、その一方で、日本の産業界の問題点に思いをはせているわけですが、きわめて比ゆ的に言えば、すべての人が自分のもっている現状認識をワードに書きつめていくところしか始まらないという気がします。それをお互いが読み合い、問題点を指摘していく。これはパワーポイントの世界ではだめです。あまりに曖昧な言葉と論理が助長されるだけです。PPTだけでは問題点が浮かび上がってこないのです。
自分たちが苦手と思い込んでいるところ、あるいは強みだと思い込んでいるところ、これらは本当に能力的な問題として定義されるうることなのか? そういう点への突込みがあまりに甘い・・・そういう認識をもっています。
そこで、日欧産業協力センターで実施したようなセミナーをいろいろと角度を変えながら、ある時期、連続的に行っていく必要があると痛感するに至りました。それも、まさに今、皆が新たな道を探し求めているこの今、やっていくしかないでしょう。この秋をめどに、どれだけの場を作れるか? そういう目標で、動き始めました。
http://milano.metrocs.jp/archives/1682
http://milano.metrocs.jp/archives/1687
至極あたりまえながら、「深くよく考える」ところにしか解決策がありません。そこを飛び越えて、よい商品やデザインが生まれようがないはずです。それなのに安易な自己規定や時代規定が闊歩しているのが現状。これをみるにつけ、ぼくの危機感は募るばかりです。
ぼくはヨーロッパ市場で売れるための戦略や意味を考えながら、その一方で、日本の産業界の問題点に思いをはせているわけですが、きわめて比ゆ的に言えば、すべての人が自分のもっている現状認識をワードに書きつめていくところしか始まらないという気がします。それをお互いが読み合い、問題点を指摘していく。これはパワーポイントの世界ではだめです。あまりに曖昧な言葉と論理が助長されるだけです。PPTだけでは問題点が浮かび上がってこないのです。
自分たちが苦手と思い込んでいるところ、あるいは強みだと思い込んでいるところ、これらは本当に能力的な問題として定義されるうることなのか? そういう点への突込みがあまりに甘い・・・そういう認識をもっています。
そこで、日欧産業協力センターで実施したようなセミナーをいろいろと角度を変えながら、ある時期、連続的に行っていく必要があると痛感するに至りました。それも、まさに今、皆が新たな道を探し求めているこの今、やっていくしかないでしょう。この秋をめどに、どれだけの場を作れるか? そういう目標で、動き始めました。
2009年6月6日土曜日
明治大学大学院のゼミに参加

今週、明治大学の大学院ゼミに外部生として参加してきました。理工学研究科新領域創造専攻ディジタルコンテンツ系という長い名前のなかにあるのですが、文化人類学に造詣の深い管啓次郎さんが先生です。ぼくと同じ年齢です。ヨーロッパ文化部をやっていくにあたり、彼のような幅広い領域をカバーする文化人類学の方に、色々と教示してもらいたいと思ったのです。
4時間あまり、20代の学生さんの発言を聞くのは楽しかったし、刺激に満ちていました。実は、ゼミでは36冊の本を自分で選び、それぞれに200文字の要約をつけていくという課題があります。ぼくの36冊は以下リストで提出してありました。
http://monpaysnatal.blogspot.com/2009/05/blog-post_7753.html
自分の判断基準になっている本12冊、自分の専門の本12冊、それから現代性を感じる12冊。これは自分を「整理」するのに、とても有効な分類方法だと思いました。このリストは若干すでに変更するにいたっていますが、この200文字で表現するところに「的確性」が求められます。
ゼミ終了後、管さんと秋葉原のパブで酒を一緒に飲んだのですが、すべてをしゃべりまくったという感じです。下記、彼のブログです。
http://monpaysnatal.blogspot.com/2009/06/blog-post_05.html
「一人でわかる文化理解」という考え方に賛同いただけてうれしい限りです。
2009年5月16日土曜日
袋小路にはまり込まない方法論

6月3日に日欧産業協力センターで行うセミナーですが、ぼくと八幡さんのディスカッションでは、「ユニバーサルとは何か? 日本文化のユニバーサル性とは何か?」をテーマにしていきます。これらの点が整理されないと、どうにも袋小路的な思考経路に入っていきます。
以下はトヨタと日産、それぞれのデザイントップがイタリア人デザイナーと対談した内容です。
http://response.jp/feature/
http://response.jp/feature/
日本人のデザイナー達は、非常に理解するのが難しいことを話しています。何百万台という量産体制の会社のデザインフィロソフィーが、こんなに理解不能な内容で良いのだろうか?という疑問をもちます。ユニバーサルとは、コミュニケーションで理解しあえることです。どうも日本文化の特徴とは「言葉にならない固有のこと」だけであると思い込んでいる方たちが多く、この点にぼくは疑問を呈し、八幡さんと話し合うつもりです。
合理性はヨーロッパの特権ではなく、日本でも昔からある文化の一パートであると分かれば、上記のような難しい話に逃げ込まなくてすむはずなのです。昨年亡くなった加藤周一が『羊の歌』に書いていました。昭和の世界大戦時、日本は数量的に世界一となれないと、「もののあわれ」などに逃げ込んだ、と。もっと、我々は自由に日本文化を考えていいと思うのです。それが結果として、ヨーロッパ文化と手の繋げる部分を増やすことになります。即ち売れる商品開発です。
2009年5月12日火曜日
日・EU フレンドシップウィーク欧州セミナーのご案内

この2月より、ヨーロッパ文化部ノートでセミナー企画の方向性を探ってきましたが、第一弾が決まりました。経済産業省とEUのJVである日欧産業協力センター(千代田区一番町)で実施します。以下、ご案内をペーストします。6月3日、お会いできることを楽しみにしています。
日・EU フレンドシップウィーク欧州セミナーのご案内
欧州市場の文化理解とビジネスへの活かし方
日 時 2009 年6 月3 日(水)午後15:00 ~ 17:00
会 場 日欧産業協力センター
参 加 無料 言 語 日本語
5億人の市場をもつ欧州。その市場でいま、日本製品の存在感は低下しているのだろうか。それは、日本企業の欧州あるいは欧州文化への関心の低さと関わりがあるだろうか。このたび、日・EU フレンドシップウィークを記念して、欧州文化の再認識と、文化理解をビジネス・製品開発へどう活かすかをテーマにセミナーを開催致します。
概 要
孤立したガラパゴス諸島からの脱出方法
― プラットフォーム作りに方向転換する時代の文化理解 -
独自の生物進化を遂げた南太平洋のガラパゴス諸島になぞらえ、日本市場のガラパゴス化が言われるようになって久しい。日本では成功する製品が、多くは標準仕様の設定のギャップから、海外では悉く敗北する傾向にあることを指している。先行する発展が世界を引っ張ることなく逆に乖離を促してしまう。携帯電話の孤立性を表現するために使われはじめ、その他、ゲームソフトやカーナビなどが例にあげられやすい。しかし、残念ながら、この傾向はITや電機業界だけでなく、あらゆる分野にあてはまることを、あらゆる分野のエキスパートが指摘している。
‘70年代に日本の輸出力が高まり、MADE IN JAPAN が高品質のブランドとなったが、今からみると、そこにもガラパゴス化への分岐点はあった。高品質は肯定されるが、過剰品質は否定される。その問題に正面から向き合わなかった。高品質で多機能であることに普遍性があると思い込んだ。ここに陥穽があった。我々にとって良いものが、必ずしも隣人にとって良いものとは限らない。
一方、海外の国に目を向けてみると、ガラパゴス的陥穽に落ち込む危険が全くないわけではなく、同じようにその危険性はある。ただ、共通する文化土壌の広さや、常に隣人の存在を意識せざるを得ない環境があることが多い。米国製品や欧州製品がガラバゴス的とは言われにくい背景がここにある。すなわち、プラットフォームが共有されやすいことが有利に働いている。
プラットフォームとは基盤という意味で使っている。製品仕様ではソフトウェアがのるハード部分を指したり、ソフトウェアではオペレーションシステムを意味したりする。階層の下部構造である。プラットフォームの成功具体例では、スウェーデンのIKEA(家具)やオランダのTomTom(カーナビ)が挙げられると思う。
ここで我々は一つの仮説をたてた。ヨーロッパ文化には「普遍性への志向」という特徴があった。日本文化がどちらかといえば「固有性への拘り」が強かった。それが世界で普及するプラットフォーム作りを不得手にした遠因ではないか、と。したがって、何がユニバーサル文化か?何かローカル文化か? これらを把握するフレームをもつことが大切ではないか、と。
従来、ヨーロッパ文化は「北欧エコロジー」「地中海ライフスタイル」という範疇で扱われることも多い。ここではユニバーサル文化を推進してきたアイデアマンたちの考え方の土台とその今を知ることフォーカスする。
プ ロ グ ラ ム
司会進行 安西 洋之 氏(ヨーロッパ文化部主宰:在欧ビジネスプランナー)
15:00 開会の辞 日欧産業協力センター 事務局長 塚本 弘 氏
15:05 「なぜ欧州ビジネスに文化理解が必要か?」
‘80年代後半の冷戦終結で文化が前面に出るようになったと言われるが、製品ビジネスでは電子機器のインターフェースの普及が、市場文化理解が求められる一つの理由となろう。また、プラットフォームを考えるにあたっても文化理解は必要になる。それもアカデミックな知識ではなく実践的な理解が大切だ。今年4月のミラノデザインウィークの事例なども示しながら、具体的方向を探る。
講師:ヨーロッパ文化部主宰 在欧ビジネスプランナー 安西 洋之 氏
15:45 「ヨーロッパのプラットフォームと日本文化」
江戸の賢人たちは、かなり西洋的合理性を理解していたと思われる。しかし、維新による歴史の断絶が「日本らしさ」とは情緒性や繊細な感性のみであるとの思い込みを生んだ。これがユニバーサルなプラットフォームを作りにくくしている。ヴィジョンのあり方や作り方のヒントを考えていく。
講師:元上智大学教授(社会学) 八幡 康貞 氏
16:25 質疑応答
17:00 閉会の辞 日欧産業協力センター 事務局長 塚本 弘 氏
講 師 の 紹 介
安西 洋之
ビジネスプランナー:1983年、上智大学文学部フランス文学科卒業 いすゞ自動車勤務後、1990年よりイタリア在住。2000年 日本と欧州のインターフェースとしてモバイルクルーズ株式会社を設立。自動車、建築、デザイン、ユーザビリティなど多岐の分野に関与してきた。ブログ「ヨーロッパ文化部ノート」(http://european-culture-note.blogspot.com/)「さまざまなデザイン」(http://milano.metrocs.jp/)で広義のデザインのあり方を探っている。
八幡 康貞
社会学者:ミュンヘン大学博士課程で社会学を勉強後、15年以上ドイツにてジャーナリスト活動や研究を行う。帰国後、日本大学国際関係学部助教授,上智大学比較文化学部教授を歴任。その間(1992-1997)ザンクトガレン大学,チューリヒ大学,ハレ=ヴィッテンベルク大学客員教授。現代欧州を多角的にフォローしている。
申 込 み
申込用紙にご記入の上、FAX(03-3221-6226)またはEmail(seminar@eujapan.gr.jp)でお申込みください。申込み受領後に受講書・会場地図をお送りいたします。
氏名
会社
部署
役職
Tel
Fax
業種
<問合せ> 日欧産業協力センター TEL : 03-3221-6161 Fax: 03-3221-6226 (担当:樋口・宮本)
※ご記入頂いたお客様の情報は、適切に管理し、本セミナー運営のために利用いたします。
2009年4月20日月曜日
白洲次郎は文句を言えばいいのか?

NHKが3月に放映したドラマ「白洲次郎」を見ました。これはミュージカルなのだろうか・・・と思いました。ミュージカルはテーマとなる内容を伝える場面で、通常ではありえないことですが、突如登場人物たちが歌い踊ります。このドラマでは、歌ではなく、次郎と正子が英語で会話するわけです。もちろん、この二人が英語で喋りあったことは事実なのかもしれませんが、ぼくにはミュージカルの歌のシーンに思えてしかたがなったのです。皆、この場面をどう思ったのだろうかと好奇心が湧き、番組の掲示板を覗いてみました。下のURLです。
http://www3.nhk.or.jp/drama/drames/drama/211/page_001.html
今日時点で700以上のコメントがあります。ぼくは400近いコメントに目を通しましたが、この場面をミュージカル的と記している人はぼくの読んだ限りではおらず、やや意外感をもちました。それではぼくの感想は個人的に胸のうちにしまっておこうと思い(と、言いながら、こうブログに書いているのですが)、もう一つのことを考えました。「今の日本に、マッカーサーに文句を堂々というような、次郎さんがいれば!」という意見が多いことです。
白洲次郎は大戦を止め切れなかった近衛文麿を結局のところ説得しきれなかった。単身、英国に向い有力者の前で日英の衝突を避けるべく説得を試みるが、それは現実的な解決には一向に至らなかった。そして、今(あるいは今もって)、日本の憲法はGHQの押し付けであるとの声が多いなかで、白洲次郎はまさにその渦中にいた。それでいながら、マッカーサに天皇のクリスマスプレゼントを届けた時、司令官の態度がフェアではないと文句を言うエピソードが過大に持ち上げられる。外国人に文句をずばりと言えば、結果がどうあれ、それはそれでいいと皆さん思っているのだろうか・・・そう感じました。
ぼくは白洲次郎とEU統合の父と呼ばれるフランス人のジャン・モネに多くの共通点をみます。ベースにビジネスマンの感覚があり、政治家にはならずとも公的な役割を時機に応じて果たし、その立場だからこその自由な意見を力ある政治家が耳を傾けた。そして、それらの経験が生き、前者は通産省の土台に力を尽くし、後者は欧州石炭鉄鋼共同体を設立していく。モネは欧州間の共通利益の確定と、そのための実現策にエネルギーを注いだわけですが、仮想物語ですが、もし白洲次郎も同じような考え方をしていたとすると、白洲次郎自身の構想は実現していない別のことだったのだろうなと思います。
話を元に戻すと、こうした文句を言うことが現在の日本にないわけではなく、現実、政府関係者やビジネスマンの現実の世界で大いにあると思うのですが、それが大局を作りえていないことに焦燥感があるのではないかと考えます。それが「今の日本に次郎さんを!」という声になるのだと思いますが、少々行き過ぎた感がします。
2009年4月17日金曜日
ヨーロッパを俯瞰するメディアがない

ヨーロッパをどう俯瞰すればいいのか、あるいはどういう手段で俯瞰できるのかということをヨーロッパ文化部ノートでは思案しています。その探索の一つとしてぼく自身、毎朝、1時間くらいで10-15のヨーロッパ各国紙・誌オンラインのトップページをざっとチェックしています。どうすれば「勘」を鍛えられるか?というトレーニングです。今日、その問題に触れている記事をオランダのサイトで見つけました。
http://www.nrc.nl/international/Features/article2214904.ece/Getting_Europeans_to_talk_to_each_other
このコラムは、ヨーロッパを全体としてみようとすると以下のメディアくらいしかなく、中央銀行や議会もあるのに、どうしてその役割に相応しいメディアがないのか?というのです。
International Herald Tribune
The Economist
Financial Times
各国紙の積み上げでは断片的な姿しか浮かび上がってこないではないか、もっとヨーロッパについてヨーロッパの人達が議論しあえるプラットフォームをもつべきだというのです。この状況をオランダの社会学者SWAANは「ヨーロッパの真空」と呼んでいます。ただ、それを打破する動きがないわけではなく、下記のようなサイトがあります。
Cafebabel
EUobserver
Eurointelligence
European Voice
Europe&me.
ドイツ政府のファイナンスを受けている Eurotopics は毎日各国新聞記事から要約をし、詳細はオリジナル記事にリンクしています。こういう色々な試みがありますが、どれも大きな影響力をもつには至っていません。議論が盛り上がる舞台は各国メディアであり、「インテリは大学か自国メディアで稼ぐ」事情は、世界共通のようです。しかも一般の人は、隣国で生じている現象に個別の事件以外にはさほど興味がなく、議論のための共通プラットフォームを求める勢力そのものが弱いのです。
ヨーロッパの社会的に共通の問題、例えば、ティーンの飲酒、ドラッグ、セックス等の問題が英国で一番大きく注目を浴びても、それに対して大陸側は人事ではないのだけど、なんとなく後回しにしがちであったり、フィンランドは逆に飲酒率が下がっているにも関わらず、それは英国で大きく取り上げられないとかアンバランスをぼくも感じています。そして、こういう現象が経済的状況とリンクしているか?という問題意識をもつことで、もっと立体的にヨーロッパが把握できるはずなのに、そういう話題が日々のオンラインニュース上では見えてこないことが不満でした。
結論として、ぼくはこの記事を読んで、要するに自分でやるしかないんだと思いました。どこかのメディアが圧倒的に強くなるのは、ある特定分野や趣味に限ったことが多いと考 えるべきで、とりあえず今のところ「これを読めば、ヨーロッパの全体が分かる」というものがないことを確認するのは、「ヨーロッパの俯瞰的な分かり方」の コツを習得する以外には(今のところ)ないのではないかと思います。理解度にはもちろん差は出ますが、ある集中力と持続した関心をもてば日本人でもできない話ではない、少なくても一般の欧州ビジネスマン並の「勘」をもつことは超難問ではないかもしれない、と楽観的なことを思いました。
2009年3月15日日曜日
ヨーロッパ文化研究所 in ヨーロッパ

ここ最近、また「一人で理解するヨーロッパ文化」というテーマをよく考えています。まず多数のエキスパートの情報と意見を統合したうえで判断しないと怖いという恐怖心からの脱却です。これをブログ「さまざまなデザイン」で下記のように二日連続で書いています。
http://milano.metrocs.jp/archives/1009
http://milano.metrocs.jp/archives/1018
この「一人で理解するヨーロッパ文化」にある程度自信がもつことが、ビジネスの行動に役立ちます。エキスパートの統合された研究結果を軽視せよということではなく、ある程度の大枠でよしとする、その割り切り方を知らないといけません。それがプロジェクト・ヨーロッパ文化部のひとつの狙いです。この目的達成のための啓蒙活動です。
一方で先週、八幡さんより、ドイツの日本研究所のあり方を教えていただき、プロジェクト・ヨーロッパ文化部のやるべきことは、これではないかとアドバイスを受けました。ドイツの日本研究所とは、以下です。1980年代後半に東京に設立されています。ドイツ人が日本でドイツ研究をする場所です。人口動態と幸せの関係など、非常によいポイントをついた研究を行っているようです。
http://www.dijtokyo.org/?lang=ja
翻って日本をみた場合、日本の戦略的な目的のためにヨーロッパにヨーロッパを研究する場所がない(知る限るにおいて)。つまり今の経済、社会、政治を対象とした研究所が、日本の大学にではなく、ヨーロッパという土地にないのです。これは実践的でないでしょう。企業やマスコミに頼りになる存在のリサーチ施設があるべきではないかと考えます。これを「あるべき」と言うだけでなく、ないのなら何とかしてつくるためのアレンジを自らやろうというのがプロジェクト・ヨーロッパ文化部の方向です。
どういうお金でどういうストラクチャーをつくるか、これから構想を練りたいと思います。時間はかかりますが、具体的なイメージをもつのは大切です・・・というわけで、写真はフィレンツェです。ブリュッセルのような政治的な匂いがしない、学術ムード溢れる都市で、極めて現実的なリサーチを行う。これがアイデアイメージになります。
また、セミナー構想について、Hishikawa さんより生態心理学の佐々木正人氏を呼んだらどうかとのアイデアをコメントでいただきました。佐々木氏がヨーロッパについてどういう経験をお持ちなのか存じ上げませんが、とても面白いと思います。というのは、プロジェクト・ヨーロッパ文化部では、従来ヨーロッパ文化研究にあまり熱心でいなかった文化人類学や心理学の領域からの参加があればと考えていました。セミナーは色々な形で実施することを予定しているので、心理学畑の方が参加できるテーマも試みたいです。
2009年3月12日木曜日
セミナー構想の進展具合
5月に都内で実施するセミナー構想です。まだこれから練りますが、こういう方向で考えていますということで、ここにアップしておきます。「手のひら」(プラットフォーム)をつくるに必要な考え方を、ヨーロッパ文化を題材にして考えていこうという趣旨です。対象により複数の場所で少しずつ内容を変えて行えればと考えています。
1、タイトル
高品質・高機能のものづくりは「逃げ」にならない
―プラットフォーム作りに方向転換する時代の文化理解―
2、セミナーのプログラム
2-1 ヨーロッパ人はどんな気分と考えで生活しているのか
―講師 八幡康貞氏
現教皇が10年ほど前、ドイツの大学で「キリスト教にとって脅威なのはイスラム教ではない。仏教だ」と話したことがある。新しい価値観が欧州においても求められている。自然に優位にたつ人間という考え方に行き詰まりを感じていることは確かだ。最近、日本と経済連携協定を締結させる一方、銀行口座情報やその他の独自路線で他国と衝突することを厭わないスイスの例もあげながら、新しい展望の入り口を探る。
2-2 外交とデザインからメッセージ力を測る
―講師 山下一根氏
2000年の歴史を経て、欧州では信者の数を減らしながらも、どうしてカトリックが生きながらえてきているのか。それは知識ではなく知恵の結晶の世界だからだ。ローマ教皇庁とヨーロッパ名門貴族の世界がみている社会像を語りながら、そのなかで伝えるメッセージ力の重要性について、外交や紋章デザインを通して説く。
2-3 ヨーロッパの都市空間にどのような変化が起こっているか
―講師 渡辺泰男氏
「歴史的遺産を守ることは先端的な考え方である」と主張し、都市の歴史地区の保存を提唱したのがイタリアのボローニャの都市計画者だった。1950年代のことだ。この動きが欧州各地に伝播した。何故、伝播できたのか。その理由にヨーロッパ文化理解の鍵がある。
2-4 まとめと質疑応答
―コーディネーター 安西洋之
1、タイトル
高品質・高機能のものづくりは「逃げ」にならない
―プラットフォーム作りに方向転換する時代の文化理解―
2、セミナーのプログラム
2-1 ヨーロッパ人はどんな気分と考えで生活しているのか
―講師 八幡康貞氏
現教皇が10年ほど前、ドイツの大学で「キリスト教にとって脅威なのはイスラム教ではない。仏教だ」と話したことがある。新しい価値観が欧州においても求められている。自然に優位にたつ人間という考え方に行き詰まりを感じていることは確かだ。最近、日本と経済連携協定を締結させる一方、銀行口座情報やその他の独自路線で他国と衝突することを厭わないスイスの例もあげながら、新しい展望の入り口を探る。
2-2 外交とデザインからメッセージ力を測る
―講師 山下一根氏
2000年の歴史を経て、欧州では信者の数を減らしながらも、どうしてカトリックが生きながらえてきているのか。それは知識ではなく知恵の結晶の世界だからだ。ローマ教皇庁とヨーロッパ名門貴族の世界がみている社会像を語りながら、そのなかで伝えるメッセージ力の重要性について、外交や紋章デザインを通して説く。
2-3 ヨーロッパの都市空間にどのような変化が起こっているか
―講師 渡辺泰男氏
「歴史的遺産を守ることは先端的な考え方である」と主張し、都市の歴史地区の保存を提唱したのがイタリアのボローニャの都市計画者だった。1950年代のことだ。この動きが欧州各地に伝播した。何故、伝播できたのか。その理由にヨーロッパ文化理解の鍵がある。
2-4 まとめと質疑応答
―コーディネーター 安西洋之
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