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2009年7月14日火曜日

EUと韓国のFTA交渉

この2月、日本はスイスとFTA(自由貿易協定)/FPA(経済連携協定)に調印しました。アジアや南米の国々とは既にそのような関係をもっていますが、ヨーロッパの国とは初めてです。既にスイスとEUの間はスムーズな地ならしがされていますので、この調印により、日本はスイス経由でEUに進出しやすくなります。関税の段階的撤廃だけでなく、日系企業がスイスに会社を設立する際にスイス人を役員に含めなくてもよい、日本人の滞在許可証発行に関する人数が無制限、といった環境ができあがります。

以上が日本の対ヨーロッパ状況ですが、今日の記事によれば、韓国とEUのFTAは年内にまとまる可能性が高いとのことです。

http://www.thelocal.se/20642/20090714/

この7月からEU議長国であるスウェーデンの首相が、年内決着を目指すと発言したようです。EU加盟国27カ国の賛同が得られないといけないわけですが、スウェーデン首相は反対国の賛意を早急に取り付けるつもりであるということのようです。懸念事項はありますが、韓国にとって、EUは中国についで二番目の規模の貿易取引地域であることから、障害は突破したいというところです。

多くの韓国製家電や通信デバイスあるいは自動車が関税なしにEUに入ってくるとき、日本製は更に不利な立場に追い込まれるわけですが、スイスとのFTA/FPAの威力がどう発揮されるか・・・これは注視すべき事柄です。

2009年5月1日金曜日

ミラノサローネ2009あるいは情緒のこと






鈴木光司の『情緒から論理』(ソフトバンク新書)という本が出たようです。まだ読んでいません。ひとつアマゾンのレビューを読んでいて気づきました。

まずこの著者は、日本人は古来から情緒的な民族であり、『国家の品格』の藤原正彦が語る「情緒へ」というのは、非常に合理的な西洋人に対してこそ効果のあるアピールだということを語っています。

現代は情緒の時代であることは、日常生活でも感じることはあります。同時に、近代以降に登場する合理性や論理などといった価値観に疑いの目が向けられてい るという風潮もあると考えられます。そのような意味で、私たちは「情緒」の時代にいると思います。日本においては、大局的にみると明治維新から高度成長ま では日本の近代化の時代であり、それらを性急に推進するためには徹底した合理性と、論理的思考が必要であったと考えられます。また、その間に共産革命や大 戦を経験しています。


上記はレビューの一つですが、現代は「近代以降の合理主義に疑念をもった情緒の時代」と書いています。維新からの合理性の時代が終焉し、情緒の時代に移行したということです。つまり、維新以前の伝統に戻っていると言いたいようです。現代を情緒の時代というかどうかはさておいて、さて、情緒性とは果たして日本の伝統なのでしょうか?少なくても、合理性との相対的な位置において、日本では情緒性が何よりも優先されてきたのでしょうか?ぼくは、ここを突っついてみないと、話は行き詰まりばかりではないかと思います。

「さまざまなデザイン」でミラノサローネにみるデザイン及び文化トレンドを観察した感想文を書いていますが、上記で引用したような意見「日本の伝統は情緒である」という考え方は根強く、それがゆえに、前回のエントリーでも書いたように、レクサス L-finess に見るように「行き止まりのコンセプト」を作ることになっています。

そして、以下でも書いたように、「日本らしさの表現」がコアであるような見方をする限り、開発者もそれに引っ張られます。IKEAのコンセプトにおいて、スウェーデンらしさは「のせるもの」であることに気づくことが大切だと思います。

http://milano.metrocs.jp/archives/1582

6月初めに都内で実施するセミナーでは、八幡さんに、日本の歴史において合理性は異端ではなかったことをお話しいただこうと思っています。この捩れを解いていかないと、「高品質・高機能の日本製品」以降のビジネスは、素材メーカー以外は、冴えない結果を導くばかりです。

2009年4月25日土曜日

ミラノデザインウィークにみるヨーロッパ文化動向




今週はミラノのデザインウィークで、毎日色々な展覧会でデザインを眺めながら、ヨーロッパ文化動向を考えています。イタリアの家具500年展をみて、歴史の使い方が明らかに変化してきているところに気づき、西欧的価値の新たは見直し作業を「次の何かを作るため」にスタートしていることが確認できました。「さまざまなデザイン」に以下、書きました。

http://milano.metrocs.jp/archives/1502

一方、日本の素材産業は良いのですが、完成品メーカーが示す世界像が相変わらずヨーロッパ人に分かるようになっていない、その問題点についても考えました。レクサスの展覧会をみて、ぼくはかなり考えた結果、これは展覧会のキュレーターの問題ではなく、レクサスのデザインコンセプト自身の問題であると思いました。日本の独自性に拘るあまり、本来、日本文化にある「合理性」を西洋的であると勘違いして排除し、洗練さを極めるという相対的な世界に入り込み、立体的な世界像を構築することを結果的に拒否する羽目になっています。以下が、その文章です。

http://milano.metrocs.jp/archives/1513

プラットフォーム構築(手のひらをつくる)ことを目標に、何がユニバーサルか?何がローカルか?というテーマを追い続けていますが、このデザインウィークを過ごしながら、ある定義を仮にですが得ました。とてもシンプルにいえば「ユニバーサルとは言葉で表現し、相手が理解できることである。それ以外をローカルとする」という考え方です。八幡さんが「クラシック音楽とプラットフォーム」で書いていただいた、以下がコアになると思います。

ルネサンス以後のヨーロッパでは『万人の万人に対する戦争』状態にあったので、数学的論理のみが、対立を超えて(普遍的に)認識されえる唯一の言語表現の基軸であったはずです。

レクサスのデザインコンセプトは、言葉で表現し得ない部分を土台として使おうとしています。これは反対であるべきで、とりあえずローカルなレイヤーにのせるのが良いと思うのです。よく「人は皆人類同じ。言葉がなくても、心で通じ合える」と言いますが、そういうことをローカル層に入れるのです。お互い分かり合えることもあるかもしれませんが、分かりえないこともある、不可視の部分です。ですから、とりえあえずユニバーサルレイヤーには含めない。もちろん、ユニバーサルレイヤーとローカルレイヤーの間での相互作用はありますから、何も全てを言葉で表現できることだけで製品アイデアができるわけではありません。少なくても、レクサスで言う「妙」や「予」は、ユニバーサルに入れないという覚悟が必要です。

レクサスのデザインコンセプトの説明で、ニースにあるデザインセンターでの経験をベースに、「日本の独創性に拘った」とあります。日本の歴史を顧みたときに、「合理性」という考え方がなかったわけではないのに、「合理性は西欧的」という先入観で、それを必要以上に排除しようとしたところに悲劇(ヨーロッパでレクサスが売れない)があるのではないかと考えます。

「綺麗だね」「いいね」という第一印象やインスピレーションを否定するわけではありません。コンセプトの構築の方法を語っているのです。それをコンセプトの土台にもってくるのは、ヨーロッパで売れる(完成)製品作りとはならない、ということです。





2009年4月1日水曜日

点を面にするタイミング

日経ビジネスオンラインで以下の記事を読みました。二つは前編・中編になっていて、経済産業省商務情報政策局メディア・コンテンツ課・村上敬亮氏へのインタビューです。気になった文章だけ抜粋します。

「『売れているアーティストの国』という存在感」

http://business.nikkeibp.co.jp/article/tech/20090323/189733/

国際競争力として技術や品質に加えて、「壊れていいからイタリア車に乗りたい」とか「やっぱりブリティッシュでしょ」といった価値を、日本もつくっていかないとだめだろうと思っているんです。 国家戦略として、国が生き残っていくには、技術力、文化力、金融力の3つが必要だと感じています。ソフトパワーというのは、その3つの中のひとつの文化力のことです。

>システム側にいる人間は潤うけど、本当にモノをつくっている人のところにお金がまわらない構造になっている。

そうです。それが、きっと、さっきの「文化力」にもつながることだと思うんです。そこを変えてやれば、多様性や個性も、もっと前に出るでしょうし、そこがリードする国家モデルだってつくれると思うんです。ですから、国としても支援したいわけです。

「壊れてもいいからイタ車」という表現は比喩としていいと思います。イタリア車がこれで良いわけではなく、「もう一つの価値観」が捨てがたくあることを強調しています。「壊れてもいい日本車」という評判が獲得するには、品質を下げるかもしれないリスクを許容する価値観を作っていかないといけません。それは以前話題にした「正解主義との訣別」と言えるかもしれません。

とにかく「文化力」と技術力と金融力と並んだ重要な国力としているのは、プロジェクト・ヨーロッパ文化部の方向を考えるに参考になります。そして、クリエーターが、ピラミッド構造の底辺になるのではなく、マーケットと対峙しながら、お金の流通の現場に近づくストラクチャーの改変の必要性を語っています。これは、タメグチ的フラット志向と近接する方向です。これらの点で、この内容はよいと思いました。さて、以下が中編です。

「産業再生機構的発想でコンテンツ開発するものアリでしょう」

http://business.nikkeibp.co.jp/article/tech/20090330/190480/

日本のコンテンツをそのまま持っていって成功する可能性があるのは、どちらかというとアジアマーケットで、強いて言うとヨーロッパはその真ん中、やっぱり出し物を変えないとワールドワイドは厳しい、という現実があります。

>そうすると、日本国内で売れるということと、世界展開とを、ある種複眼的にとらえて、先ほどのように勧善懲悪型だったり、ある程度シンプルにするとか、そういう作業が場合によっては必要になるかもしれない。

そうかもしれません。そういうプロデューサーが必要ということでしょうね。それには、やはり、経験が必要なんじゃないですかね。

ローカライゼーションの必要性と、それが地域によっていくつかのレベルに分かれるだろうという指摘です。そこには、経験豊かなプロデューサーがいないといけないという認識は的確でしょう。ある程度の地図を描ける人に任すシステムが必要だと思います。

20代向けファッションというコンセプトで商売が成立する日本は、海外での競争相手は少ないわけですから、勝算があるのではないかと。

>そういうファッションに関する動きは、さきほどの「東京ガールズコレクション」だったり、いくつか「点」としては確かに発生しています。

それを、「面」でつなげたいですよね。

>ファッションに限らないですが、さまざまな点の活動を、面でつなげるために、どういう施策が考えられるでしょうか?

ひとつには、海外展開ファンドをやりたいです。やり方としては、よく聞こえるか、ネガに聞こえるか、わかりませんが、「産業再生機構」型のやり方。つまり、国はお金を出すけど、プレーヤーは全部民間のプロの人、というスキームです。

コンテンツの海外展開や、ネットワーク展開というのは、そもそも、できる人そのものが少ないので、知恵を結集してやらなきゃだめだろうと。それがマーケットになる見通しが立ってきたら、その先は、ファンドを解散して各社でどうぞ自由にやってください、という形です。

そういうビジネスネットワークづくりと、海外展開ファンドの、いわば「実弾」みたいなものと、国内での広告主展開含めての普及啓蒙活動と、そうした組み合わせで新しい海外展開モデルを考えたいなと。

ここの仕分けは、かなりデリケートです。クリエイターと予算の問題は、英国の文化オリンピック(下記)でも話題になっていますが、しかし、点が個々に育つのをただ待っているだけでは遅すぎると思います。何らかのファンドが積極的に動き、評価や信用の体系を構築していく第三者の助けが欲しいところです。

http://www.guardian.co.uk/uk/2009/mar/20/olympics-cultural-olympiad

問題は、点を面とする上記の実施タイミングだと思います。早すぎずに遅すぎずのシナリオをどう描けるか、ということだと考えます。そして、プロジェクト・ヨーロッパ文化部の立場からすれば、この面をどう作るかという時に役立つ存在でありたいと思案しています。

2009年3月4日水曜日

タメグチ的なフラット志向





最近、セカイカメラの井口さんのブログはネタの宝庫になっています。今日、また面白いことを書いてくれました。ぼく自身、日本のメーカーに勤めていたことがあるし、その後も、メーカーとの付き合いが続いています。ですからメーカーが「非タメグチ」的な社会であることの、良さと限界は痛いほど分かります。そして、今、 「ウェブインターフェイスとクラウド的なソーシャルグラフの束を目の当たりにした」人たちが、かつてのルールをリファーするばかりで、新しいルールの存在すらも認識していることが少ないのが現状でしょう。

比ゆ的な表現ですが、「タメグチ的な世界」の空気に馴染まないと、どうしようもないのではないかという井口さんの感想は、かなり核心を突いているのではないかと思います。それは「あいつはまだ新人なんだから、あいつから挨拶があって当たり前」と待っていると、いつのまにか美味しい話は何も来なくなってくる、やはり、そこは自ら取りに行かないといけないということでもあるでしょう。井口さんは、フランスの大会社のトップが自ら井口さんに会いに東京に飛んできてくれる、そういう動きをみて、同じことを日本の大企業のトップはしないだろうな・・・と思うわけです。

プラットフォームをつくっていくということは、こういう行動パターン自身の変革も求められているという自覚が必要でしょう。また、名刺はブログ、ブログは名刺という感覚あたりに「タメグチ社会」の肝があると思います。


http://d.hatena.ne.jp/roadracer/20090304/1236129510

それは、今更ですがアップル iPod やアマゾン Kindle などの事例に明らかな様に、ウェブエコノミーこそが利用者のコミュニケーションやコミュニティなどの経験性を変革し続けている昨今、「サービスをベースにする発想でない限り時代的な要請に応えて行く事ができない」という命題なのだと思います。

ここから本題なのですが、実は日経エレクトロニクスさんの事前取材で申し上げたかったのは、そういったサービス視線によるアジャイルなデバイス開発と、現状のエレクトロニクス企業の組織体が非常に大きな不整合を起こしているのでは?ということでした。
<中略>

その双方とも日本の製造業があまり得意としてこなかったというか、むしろ必要がなかったので鍛錬されなかった領域のように思います。考えてみればUIやそのデザイニングなんて、ハード優先の時代(それこそ大した昔ではありません)にはむしろ表面的なお化粧に過ぎなかったのが、今では、それがデバイスの成長と発展をドライブするコア要素だったりします。 それに ウェブインターフェイスとクラウド的なソーシャルグラフの束を目の当たりにしたのはせいぜいここ数年の話です。

ですから、そこのギャップを目先の微調整で切り抜けるというのは相当大変なのでは?と思いますし、またさらに深刻なのが、たとえば上のフェイスブック的なリアリティはネットネーティブな経験や感性と大きく結びついている上に、基本的にはコミュニケーションやコミュニティの領域ですから、従来企業的なマネージメントにとってはある種“水と油”な体験性です。
<中略>

極端な言い方をすると、スケボーで通勤したりiPodで音楽聴きながら仕事する感覚が求められると言いますが(いや、見た目というよりはライフスタイルという意味で)。

<中略>

つまりタメグチ的なフラット志向はウェブエコノミーにはよく合致しているし、逆に非タメグチな組織はなかなかそこの取り込みが(エラい人はウェブソーシャルな場にはなかなか入りにくいですよね)難しい面がある様に思います。 でも、その一方では、海外メーカーやキャリアはメールやスカイプでどんどん迫ってくる(そのスピード感とカジュアルさは、日本の株式会社のイメージとは大きな隔たりがあります)現状がありますから、そのビハインドはますます広がっていくのではないでしょうか?

2009年2月28日土曜日

手のひらを作る人達を応援しよう!






1週間ほど前に書いた「プラットフォーム作りに無関心?」というエントリーに匿名さんより、以下のコメントをいただきました。

ISOなど国際標準化会議では毎度この種の慨嘆が出ます。経営者の時間軸上の視線如何よりも、日本の文化的状況でしょう。お釈迦様の手のひらは与 えられるもの、その上で上手に踊ることに専念するのが先輩達でした。

会議の出席者達はその手のひらを自ら作ろうとしています。その努力や独創への評価には 彼我の差がまだ大きい。それは日本国内では企業間の踊りの競争を第一としているに対し、それを見ている欧州では手のひらをどうするかから検討します。

かつ てのVHSとベータではかろうじてフォーマット競争となり、欧州の戦略から逃れられたと認識します。このストラテジへの評価の土壌は成功例の積み重ね、つ まり文化レベルに到達するしかないでしょう。簡単ではありませんが、現場諸氏のご尽力で確実のその方向にはあります。必要なのは応援です。

ぼくもISOの会議の様子は若干知っていますが、この方が指摘されているように、「手のひらで上手に踊る」という表現が良く分かります。「手のひらを作る」「手のひらを作った人を評価する」応援が必要だと書かれています。このヨーロッパ文化部でも、大いに応援したいと思います。プラットフォーム作りに動いている人達を、どんどんここでも取り上げます。

セカイカメラの井口さんが、今日のブログで次のようなことを書いています。

http://d.hatena.ne.jp/roadracer/20090227

それはともかく、大垣に来る直前、東京芸大の桂先生とお話させていただく機会がありまして、その際に「プラットフォームの構築こそがコンテンツの開発なんだよ」「ソーシャルネット的なシビルエンジニアリングこそがこれからの通信分野のフロンティアなんだよ」というお話をお聞き出来、まさに「その通り!」と膝を打っていました。

全部お話ししようとすると非常に遠大なストーリーになってしまうのですが、ウィキノミクス的な「集合知によってドライブする生態系」をウェブサービスなりモバイルデバイス用アプリなりを繋ぎ合わせて「社会活動的に(シビルなエンジニアリングとして)」回して行くことこそが新しいコンテンツ流通の肝なのだと思います。

プラットフォームがコンテンツを規定する。だけでなく、それが新しいシビルエンジニアリングを浮き彫りにして組織化を促して行くことは、たとえばここしばらくのFacebookに代表されるソーシャルネットの勃興によってリアルに認知されつつあると思います

2009年2月22日日曜日

オープンプラットフォーム化を目指すセカイカメラ





以前に紹介したセカイカメラが、今週、東京で世界初公開されました。以下のように、色々と記事になっています。

http://plusd.itmedia.co.jp/mobile/articles/0902/19/news089.html

頓智.の井口尊仁さんが、ご自分のブログに以下を記しています。オープンプラットフォーム化を推進する理由を書いています。ヨーロッパ文化部ノートは、プラットフォームの形成にあたり主導権をもつことが大事と主張しているので、ケーススタディとしてレポートします。

http://d.hatena.ne.jp/roadracer/20090221
iPhoneで現実をタギングするという表現を最初に用いたのは、確か TechCrunch の Erick Schonfeld だと思いますが、この表現はシンプルでとてもいいと思います。しかもセカイカメラのソーシャル属性を適切に言い表しています。
<中略>

そもそもリアルワールドのソーシャルタギング環境を、より厳格な意味でのAR技術にすべて収納してしまうことは不可能です。デジタルレイヤーで現実空間を拡張することは情報操作のアプローチとしては非常に有効です。ただ、それをアンビエントとして(=社会活動の一環として)あまねく利用可能な状態に拡張しようとした場合、デバイス・オリエンテッドなフロントエンド技術だけで実現するのは困難です(センシングやインタラクションは手段であって目的ではない)。

それと同じ意味でロケーションウェアとしてセカイカメラを語ってしまうのにも抵抗があります。なぜなら人の社会行動には場所以外に時間や状況など、より多層的なコンテキストが存在するからです。

セカイカメラをオープンプラットフォームにしたいというのは上の様な考え方がベーシックにあります。フロントエンドとしてのセカイカメラばかり見ていては見えない部分、バックエンドのクラウド領域は重要です。

ユーザーの社会的活動というクラウド(ソーシャルネットの束)と、インターネット側の多様なマッシュアップを実現するクラウドとの掛け合わせこそがセカイカメラの対象領域だと思います。

2009年2月20日金曜日

プラットフォーム作りに無関心?





東大の宮田秀明さんが、日経BPでリチウム電池を例に、ものづくりの価値を拡大するビジネスの必要性を熱く語っています。興味を引くのは、この記事のアクセスランキングは今現在2位なのに、読後アンケートに「参考にならなかった」「どちらでもいい」という回答が「役に立った」より圧倒的に多いのです。聞き飽きた趣旨と受け止められたのか、危機感が薄いのか、要フォローです。

http://business.nikkeibp.co.jp/article/tech/20090217/186337/?P=1&ST=spc_fl

電池と電気自動車を製造するだけでは、結局下請けになってしまうのだ。日本の製造業が全部製造下請けの立場から脱出できなければ、日本の産業の未来はない。韓国、台湾、中国という具合に第2、第3の製造下請け担当国・地域が後ろにたくさん控えているからだ。

2次電池と電気自動車を生かすビジネスモデル、つまり新しい環境エネルギー社会システムを開発し、その知財をしっかり保全していく戦略は日本に とって最も大切なものだ。日本の製造業にその力がなければ、情報システム会社や商社や電力会社との連携ビジネスも大切な選択肢であろう。こんな経済環境下 でも確実な利益を出しているのは総合商社である。

私たちの研究グループが中心になって進めている「二次電池による社会システム・イノベーション」の活動は、業界横断的なビジネスを創造し、モノ作りの価値を倍にして、日本の産業競争力を取り戻す道を探求するためのプラットフォーム作りの活動とも言える。

モノ作り回帰の論調に同意してはいけない。それ自身は大変価値のあることだが、モノ作りの価値を拡張するビジネスにも力を注がなければ、日本の産業全体の空洞化が進むことになるだろう。

一方、やや前の記事ですが、元NTTドコモの夏野剛氏のダボスでの感想は、この宮田さんの焦燥感を裏付けるものではないかと思います。10年先のあり方を「一人の頭で考える」ということができないと、プラットフォーム作りは敷居が高すぎます。やはり、ヨーロッパ文化部のやるべきことの一つは、「プラットフォームを作る」という目的のために、文化理解のベースを確保することなのでしょう。

http://it.nikkei.co.jp/business/column/natsuno.aspx?n=MMIT33000012022009&cp=2

もっとも、もし日本の経営者がこの場にいても同じレベルで議論できる人はごく少数であろう。言語の問題もある が、そもそも日本のITや通信業界のトップは10年後のインターネットのエコシステムなんて、自分の頭で考えたことがあるのだろうか。原稿なしで議論でき るのだろうか。

え、10年後なんて自分の任期ではない?でも、会社の方向性を決めるうえで意識しなければいけないテーマであることは間違いないと思うけれど・・・。

なにしろ、他のメンバーと比べた自分の存在の小ささに日本自体のプレゼンスのなさが追い討ちをかけて、本当に落ち込んだセッションだった。

ともかく世界のリーダーたちはよく議論する。自分が専門知識を持っていなくとも、正しいと思うことは遠慮なく発言する。議論によって、いろいろな考え方を知り、それによって自分の意見をさらにブラッシュアップしていく。

そして主語で語る。「私はこう思う」「私のポリシーは…」という言葉が溢れている。


2009年2月9日月曜日

MADE IN JAPANブランドの復活-1




日本製品は「過剰品質」ではないかという指摘が繰り返しなされてきましたが、その「過剰論」を指摘している記事が日経BPのTechonにあります。製品のメッセージの伝え方の重要性を指摘しています。当然でしょう。

http://techon.nikkeibp.co.jp/article/COLUMN/20090206/165317/?P=1

しかし今や,製品機能は複雑化し,ちょっと見ただけではその良さを理解できない状況になってきた。以心伝心の日本国内ならまだしも,海外では「つくった だけ」では受け入れてもらえることは難しい。「売りづくり」や「ことづくり」と言われるように,「ものづくり」という概念を,単に生産部門に閉じるのでは なく,顧客に設計情報を的確に届けるというトータルな活動として「拡張」することが,これまで以上に重要性を増していくのだろう。


<中略>

コモディティ化が進んだ低価格な領域で日本など先進国のメーカーが利益を上げるもっとも最適な方法は,当コラムでも何回か書いているように, プラットフォームを形成して,その中から外部のグローバル市場をコントロールすることである。プラットフォーム作りに関しては,欧米企業が強みを発揮して おり,日本企業は一部で頑張っているものの,それでもプラットフォームの外で頑張るしかないケースも多い。そうしたケースでは特に,日本企業が高品質・高価格なところにポジショングして,その下の部分は新興国のメーカーに譲るという流れは,歴史的,そして倫理的にも避けられないことなのかもしれない。

ただ、このプラットフォームの形成の弱さに諦めが漂っているところが気になります。まさしく、昨日指摘したコンセプトの作り方に時間をかけるかかけないかという問題は、ビジネス現象として、プラットフォームの勝負に勝つか負けるかという分岐点を表します。日本製品が高品質・高価格にポジションをもつ動機付けの一つに「プラットフォームを作るのは苦手」ということがあり、これを克服しようとの意志と方策をもたない限り、なかなか長期戦の主人公になれないでしょう。

この記事の筆者が、2年ちょっと前に、「ものづくり」ではなく「売りづくり」という言葉の紹介を以下のようにしています。

http://techon.nikkeibp.co.jp/article/COLUMN/20061010/122084/?P=1

日本企業の伝統的な考え方は,まず現場のものづくり力を磨く→その結果として製品が売れる→さらにその結果として利益が出る――というものである。それに 対して,欧米企業の考え方は,その逆だと言われている。まず利益を出すことを考える→そのための製品を企画する→さらにそのためにものづくりを活用する ――と「方向」がまったく逆である。

確かに欧州の会社はより利益率重視ではありますが、上記は単純化しすぎていないかとも思います。「方向が全く逆である」とぼくは思ったことがありません。でも、ここでは立命館大学大学院 経営管理研究科教授の濱田初美氏の指摘の部分を引用します。「2番手の人材を海外に出している」というのはどうかと思いますが、文化理解の必要性を強調している点はヨーロッパ文化部ノートの趣旨と一致しています。

「売りづくり」を進めるための人材育成の重要性を説いたのが濱田氏であった。グローバル市場で成功している企業は,その国の文化に精通した人材を育成して いると言う。母国と担当する国のどちらの暮らしぶりにも精通し,そして両文化を許容できる「二重市民」を育てるほどの徹底振りだという。こうして,その国の消費者のニーズをくみ取って「売りづくり」を進めるのである。これに対して日本企業は,そうした文化に溶け込むような努力が足りず,もともと「社内で最 も優秀な人材でなく2番手の人材を海外に出しているのではないか」と濱田氏は手厳しい。

以下は2008年の特許出願件数動向ですが、これらの数字を眺めていて、特に会社別で1位に中国メーカーが出てきているところをみると、高級品質・高価格の戦略は早晩行き詰るのではないかという気になります。

2009年2月8日日曜日

MADE IN JAPANブランドの復活-0





英国誌『エコノミスト』が日本の電気業界の落下ぶりを以下のように伝えています。この最後のコメント欄をクリックして見えてくるのは、MADE IN JAPAN の存在感の低下です。が、それだけではなくこの現象が、欧州の人達にとって決して分かりやすいとは思えなかった戦略の結果である点にも気づきます。

http://www.economist.com/research/articlesbysubject/displaystory.cfm?subjectid=348969&story_id=13059765

さて、ぼくが「ヨーロッパ文化の理解」の必要性を強調するのは、他でもなくMADE IN JAPANブランド 復活のためです。残念ながら(?)教養主義を懐かしむためではありません。内需経済重視云々の論議は脇におき、自分の製品を世界中に売るために、何がユニバーサルな文化であり、何がローカルな領域であるかを把握するためのワンステップとしての「ヨーロッパ文化理解」です。上記のコメントのなかにも、「日本製品はインターフェースに弱い」という指摘があります。文化理解と大いに関連してくる分野です。

1月28日、「セカイカメラはフランスでどう評価されるか」(以下)を書きました。現実拡張としてのiPhoneの新しいアプリケーションを提案し、パリでのNetExplorateurにおける授賞式に向けての準備段階の井口尊仁さんのフランス文化に関する感想を紹介しました。

http://european-culture-note.blogspot.com/2009/01/blog-post_28.html

その井口さんが昨日パリのリュクサンブール宮殿で行われたイベントの模様を早速、自身のブログ頓智・日記でこう報告しています。

今回は、これも前日ギリギリまで粘って会場(=元老院=リュクサンブール宮殿)にエアタグを設置して、その場でライブ状態でお見せしたのですが、やはりデモビデオやスライドよりもこれが一番受けました。とにかく印象的だったのが、テレビ、新聞、雑誌などの既存メディアや元老院議員、銀行家、弁護士、博物館長など、エスタブリッシュメントにすごく歓迎されたことで、この勢いだと日本の総理大臣と面会するよりもフランス大統領と会談する方が早いのでは?と(いや、何を話し合うのだ?というポイントは全く不明ですが)。

コンセプトの受けがとても良かったようです。それもいわゆるネット世代ではなく、その上の世代や業界外の人達からも評判が良かったことがキーです。そして、以前にも紹介したように、新先端技術をどのような社会文脈におくかが盛んに語られたかと記しています。

とにかくITを含んだ先端技術をエコノミーやイノベーションとして語るだけでなく哲学的領域や社会学的文脈で理解・消化しようとする(傾向の強い)彼らの発想はユニークだと思いますし、産業見本市的な日本流のITイベントや TC50に代表されるようなイノベーションとエコノミーの化学反応を最大化しようとする米国(なかでもシリコンバレーですね)の流儀と比較して、より「人類的見地」とか「思想としての技術」とかに光を当てようとする今回の様なイベントは(どういう効果があるのか?は、僕もよく分かりませんが)非常に面白かったです。

井口さん自身、大学では哲学を勉強し、その後ソフト業界に入った人です。その間、松岡正剛氏とも仕事をしたことがあります。彼のフランスでの受けに対する面白がりを読み、ぼくは、ここにポイントがみえると思います。コンセプチュアルな議論に「如何にウンザリしないか」、これが欧州市場に入るための大きな資質であり素養ではないかと考えています。


<ここで書いていることは、もう一つのブログ「さまざまなデザイン」(http://milano.metrocs.jp/)で書いている「ミラノサローネ 2009」とリンクしています>