2009年3月4日水曜日

タメグチ的なフラット志向





最近、セカイカメラの井口さんのブログはネタの宝庫になっています。今日、また面白いことを書いてくれました。ぼく自身、日本のメーカーに勤めていたことがあるし、その後も、メーカーとの付き合いが続いています。ですからメーカーが「非タメグチ」的な社会であることの、良さと限界は痛いほど分かります。そして、今、 「ウェブインターフェイスとクラウド的なソーシャルグラフの束を目の当たりにした」人たちが、かつてのルールをリファーするばかりで、新しいルールの存在すらも認識していることが少ないのが現状でしょう。

比ゆ的な表現ですが、「タメグチ的な世界」の空気に馴染まないと、どうしようもないのではないかという井口さんの感想は、かなり核心を突いているのではないかと思います。それは「あいつはまだ新人なんだから、あいつから挨拶があって当たり前」と待っていると、いつのまにか美味しい話は何も来なくなってくる、やはり、そこは自ら取りに行かないといけないということでもあるでしょう。井口さんは、フランスの大会社のトップが自ら井口さんに会いに東京に飛んできてくれる、そういう動きをみて、同じことを日本の大企業のトップはしないだろうな・・・と思うわけです。

プラットフォームをつくっていくということは、こういう行動パターン自身の変革も求められているという自覚が必要でしょう。また、名刺はブログ、ブログは名刺という感覚あたりに「タメグチ社会」の肝があると思います。


http://d.hatena.ne.jp/roadracer/20090304/1236129510

それは、今更ですがアップル iPod やアマゾン Kindle などの事例に明らかな様に、ウェブエコノミーこそが利用者のコミュニケーションやコミュニティなどの経験性を変革し続けている昨今、「サービスをベースにする発想でない限り時代的な要請に応えて行く事ができない」という命題なのだと思います。

ここから本題なのですが、実は日経エレクトロニクスさんの事前取材で申し上げたかったのは、そういったサービス視線によるアジャイルなデバイス開発と、現状のエレクトロニクス企業の組織体が非常に大きな不整合を起こしているのでは?ということでした。
<中略>

その双方とも日本の製造業があまり得意としてこなかったというか、むしろ必要がなかったので鍛錬されなかった領域のように思います。考えてみればUIやそのデザイニングなんて、ハード優先の時代(それこそ大した昔ではありません)にはむしろ表面的なお化粧に過ぎなかったのが、今では、それがデバイスの成長と発展をドライブするコア要素だったりします。 それに ウェブインターフェイスとクラウド的なソーシャルグラフの束を目の当たりにしたのはせいぜいここ数年の話です。

ですから、そこのギャップを目先の微調整で切り抜けるというのは相当大変なのでは?と思いますし、またさらに深刻なのが、たとえば上のフェイスブック的なリアリティはネットネーティブな経験や感性と大きく結びついている上に、基本的にはコミュニケーションやコミュニティの領域ですから、従来企業的なマネージメントにとってはある種“水と油”な体験性です。
<中略>

極端な言い方をすると、スケボーで通勤したりiPodで音楽聴きながら仕事する感覚が求められると言いますが(いや、見た目というよりはライフスタイルという意味で)。

<中略>

つまりタメグチ的なフラット志向はウェブエコノミーにはよく合致しているし、逆に非タメグチな組織はなかなかそこの取り込みが(エラい人はウェブソーシャルな場にはなかなか入りにくいですよね)難しい面がある様に思います。 でも、その一方では、海外メーカーやキャリアはメールやスカイプでどんどん迫ってくる(そのスピード感とカジュアルさは、日本の株式会社のイメージとは大きな隔たりがあります)現状がありますから、そのビハインドはますます広がっていくのではないでしょうか?

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