2009年1月31日土曜日

世の中で一番怖いもの・・・それは水です




さて、山下一根さんの師匠であったハイム大司教は、グーグルでBruno Heimで検索すると129万件ヒットします。ウィキペディアでは以下のように書かれています。上の写真は英国の小説家アガサ・クリスティと一緒に並んだハイム大司教です。

http://en.wikipedia.org/wiki/Bruno_Heim

2003年に亡くなったそのハイム大司教は甥と山下さんに遺言状を残しました。

<ここから引用>

ハイム大司教からの小生へのA4で23枚にもなる遺言からの一つを伝えます。

『Mio Carissimo Amatissimo Ikkon、 世の中で一番怖いものは何か分かりますか?私は水だと思います。私は、この90年以上の人生で、第1次世界大戦も第2次世界大戦も、実際にこの目でヒトラーの演説も見ました。そしてユダヤ人をスイス国内にかくまうことにも手を貸し、大司教になってからもエジプト、スウェーデン、イギリスとみてきました。それでも水は怖いのです。何をいいたいか、霊的息子よ、わかりますか? ようは水、流れということなのです。

洪水はすべてを流し去って無になり何も残りません。流れも、それまでの思想、考え、方向を一瞬のうちに『気づかないうちに』変えてしまいます。だから、流れをかぎつける力を養いなさい。たとえ、その時代時代の教会と異なる流れでも、その流れは見ていなさい。社会あってのこの世、われわれは神の子であって、神じゃないのですよ。人間です。一人では生きていけないのです。。。。以下続く。。。。。 2002年11月22日

あなたの血のつながりのない、しかし誰よりも愛した父、ザントの大司教より』
とかかれています。すごいです。この言葉。。。

<ここまで>

水が怖い・・・これは、ぼくの胸にもズシンときました。

2009年1月30日金曜日

ヨーロッパにおけるカトリックとは何か




ぼくはどこの宗教にも属していないのですが、山下さんの語るヨーロッパにおけるカトリックとは何かを読んでいて、やはりひとつの文化体系そのものだなあという印象を持ちます。それもイタリア文化と相似です。イタリア人が良く言うシンパティコ(人に対して感じが良い)ということが如何に重要か、山下さんは別の面から語っているように思えます。以下、昨日に引き続き、山下さんの文章です。

<ここから>

本来、2000年も歴史的にはいいことも悪いことも、この世のすべてにおいてきわみを歩んできたカトリックが今なお現在も存続しているということは、決して、その権威や権力からではありません。それはこのカトリックという枠組み(組織だけでなく、その考えにおいても)この世を渡るための大きな「知恵」(知識ではない)の最高の結晶というところにあります。

人が壁にぶつかったときに、どのように耐えるか、、例えばローマの父親代わりの多くの枢機卿は、僕の日本への出発前に口を大にしてこのように「あえて」いいました。

『ぶち当たったら希望を持つな、現実をみてカトリシズムに基づいて歩め!』。これは、一見聖書の言葉とあい矛盾するように見えます。しかし、人間は現実と向き合って、どんな困難にあってもそれを一度受け入れ『なにくそ~』という力を育てたいということからなのです。

この点から、例えば日本のカトリックは、知恵からすこし離れて、知識でものを判断していこうとする傾向があります。そうなると、その組織はドイツ語で言うところの『ゲットー』のようにどんどん視野が狭くなり、困難がさらに困難になり、行き着くところは、『自分たちはがんばっているのにうまくいかないのは、社会が悪いからだ』という考えになります。しかし、なぜこの点がまちがえかというと、もちろん社会が悪いとしても、例えばその施政側が悪いとしても、もし本来のカトリシズム、キリスト教ヒューマニズム、そして法学的に言えば、自然法論でいえば、かれらも権利のある、あえてキリスト教的に言えば神の子なのです。なので一番大切なのはやはり『対話(コミュニケーション)』がたりないということなのです。

小生の紋章のモットーは、SIMPLICITER ET CONFIDENTER (単純に、信頼を持って!)です。
これは小生がマルタ騎士修道会に入ったときに、上長が選びました。この言葉は、キリスト教の言葉ではなくローマ帝国の時代によく言われた言葉だそうです。信頼関係→対話→単純に→スマートな生き方
ということです。

本来のカトリック主義、そこから拡大した汎ヨーロッパ主義のエッセンスを見直してきたときに、この対話は大切なことです。それも、万人に刺激を与えず、対話をすることが肝心なのです。それを社会に迎合するという人もいますが、それは間違えです。なぜなら、まず、最初の一歩は、簡潔に言えば、相手にモノを頼むときにはまず相手に合わせ、『もぐりこみ』、(小生の日本に派遣されたときのスタンスもこれです)、徐々に自分の意見を言っていくということです。

これは、トレーニングが必要となりますが、なぜ大切かというと、たとえ相手が間違えているとしても、その相手と向き合う場がなければ先に進みません。その点で、カトリック社会では、特にアジア、南米が確実にその貧困問題や左傾化からローマとのヨーロッパとのBONDが立たれようとしています。そして、教皇庁は、その汚染がローマに及ぶことを必至に食い止めようと躍起なようです。ヨーロッパでは信者の数は減る一方ですが、意外と余裕なようです。なぜなら、自分たちは自分たちの資金を増やすことをしっかりダブルスタンダードで考えているからです。

<ここまで>、


昨日の「ダブルスタンダードの世界が語るもの」について、八幡さんよりコメントを頂きました。以下です。ぼくは昨日の文章を書いてから、ダブルスタンダードという表現は他を批判するための言葉ではないかと考えはじめました。自らを統一的に一律にとらえることは、八幡さんのおっしゃるように、個人であれ社会であれほぼ不可能であると考えるのが現実的でしょう。

<ここから引用>

ここでテーマになっている、ダブルスタンダード、トリプルスタンダードと言うのは、どこかに書いてある原則にしたがって出来ている制度ではなくて、どこにもそんなことは書いてないが、実際はそう成っているという事態ですね。

これはむしろ、社会の現実としてどの国にも、どの文化圏にも、そしてどのサブカルチャーにもあることではないのでしょうか。

法律が社会を作っているのではなくて、ある社会、ある文化圏において、多くの人々が昔からやっていて、そうすることが当たり前だと思っていることを文言にしたものが、法律である(モンテスキュウ)と言うことを考えれば、マルティスタンダードは、そこら中にあるし、それを撲滅しようとすることは無意味であると思われます。

現実社会を観察し、認識することが第一であると思います。先ず、広い世界を見ても、貴族の制度、とそのタイトルを廃止してしまった国は、日本とオーストリアなどが近代では思い当たりますが、オーストリアでは、旧貴族が実質的な主導権を握っている公共性のある組織(旧貴族の覆面クラブになっている)もあり、政府が、優れた業績を上げた人に、帝政時代の称号をそのまま或いはきわめてそれに近い形で授与し、ある種の共和制下の新貴族見たいな物を作っている例もあります。

第一、土地(所有制度)改革を徹底的にやった(やらされた?)国は、日本、それと、台湾くらいしか思いつきませんが、ヨーロッパでは、この二百年くらい、その例はないはずです。そう言う背景があれば、事実上、金持ちや貴族達だけが集まるような社会的な『場』も当然発生しますし、それなりの『習慣』もうまれます。

日本では、公務員のアマクダリや、ワタリが問題になっていますが、あれも、法律でそう定まっているのではなく、法律の穴を利用して行われている習慣ですので、日本的なマルティスタンダードの一例ではないでしょうか? それを廃止させることは、勿論日本人の権利ではありますが。

こういう事実は、よくよく認識し把握しないと、実務上、大きな失敗をすることになるのではないでしょうか? 理論と現実は、特に社会的な次元では、けっして一致しないのがごく自然なことであるとおもいます。

<ここまで>

明日は、山下さんの師匠であるハイム大司教の山下さんあて遺言の一部をご紹介します。

2009年1月29日木曜日

ダブル・トリプルスタンダードの世界が語るもの




もう一つのブログ「さまざまなデザイン」で西洋紋章画家の山下一根さんを紹介したことがあります。ケンブリッジ大学紋章系図学会総裁やスペイン・ブルボン王家付高位聖職者も勤めた、前駐イギリス教皇庁大使のブルーノ・ハイム大司教 (l’arcivescovo Monsignor Bruno B. Heim)の弟子でした。ハイム氏は歴代のローマ教皇やハプスブルグ家・ブルボン家などの紋章を手がけてきた大司教です。下記URLが山下さんを紹介した文章です。

http://milano.metrocs.jp/archives/date/2008/08/page/4

今日、その彼から「ヨーロッパ論の一つとして」と題したメールを受け取りました。上の写真はローリングストーンズやブレア首相のアドバイザーを勤めたLoewenstein公と山下さんです。勲章は、これから文化を担ってくれそうな若い人に与えるものだ、というのは欧州文化を理解するうえで重要なコンセプトだと思います。

<ここから引用>

ヨーロッパ社会ではネガティブな意味でなくてポジティブな意味で、ブルジョワ階級とノブルス(聖界・俗界貴族)階級が謳われます。くだんなく言えば、金持ちは地位がほしい、貴族は金がほしい、 それがうまく結びついています。実際、小生の欧州時代も、勲章がほしい有産階級の人にそれなりの爵位や勲章を仲介して、謝礼やスポンサードを得ることはかなりありました。

それはヨーロッパ人が紋章の標語でも最も好むラテン語の格言、ATTENTIO MAGNA ET VIRTUS AUDAX = 細心の注意力と大胆な行動力裏付けられた一見ダブルスタンダードのようなことですが、実は日本人が忘れてしまった上手な、上品な協調性がもたらした結果なのかもしれません。

ハイム大司教は32個の勲章を持っていましたが(ちなみにま小生はまだ4個ですが、、、)それは、前にも話したように、外国では王様は勲章は年寄りにではなく文化をになってくれ「そう」な若人に与える風習からきているのかもしれません。

例えば、小生の大親友の、Prince Rupert zu Loewensteinというババリアの最後の国王の孫で、イギリスで、BANKERをしていて、30年以上ローリングストーンズのファイナンシャルアドバイザーをしていたかれは、その貴族の人脈を生かして、有産階級には地位と冨を、そして、自分はその対価としてそれなりの金をもらい、文化を擁護するというスタンスが出来上がっていました。以下リンクは彼のミックジャガーとの記事です

http://www.citywire.co.uk/professional/-/news/wealth-management/content.aspx?ID=326765&ViewFull=True


http://www.dailymail.co.uk/tvshowbiz/article-459659/Mick-Jaggers-secret-divorce.html


このように、古くからの伝統を形を変えても資本主義の中に取り入れて生き残ってきましたが、それに対する教会の役割は、何の因果が、衰えてきました。それはそのような社会で、まず第1に、いわゆる、流れにのることも必要なときにもう一つの流れを作ろうとしてしまったこと。第2に、実はこれは僕の師匠のハイム大司教が、あらゆるデザインはもちろん工業デザインだが、前提としてコミュニーケーション・デザインでなければならないといったように、すなわち、今時代は何を必要としているかということの計算の前に、権力闘争や、またお金が出て行く一方で、あらゆるこのコネクションをつかって、このコミュニケーションを増やすことが大事です。

例えば、ローマ市内の不動産の3分の1はVの字(VATICANO)、イタリア・コカコーラ、イタリアのシェルのBOARDING STAFFには多くの貴族、サケッチ公爵やボルゲーゼ公爵をバチカンは送り込んでいるし、FIAT会長のコルデオ・ランツァ・ディ・モンテゼメロCordeo laza di montezemelloの兄は枢機卿です。

つまりダブル・トリプルスタンダードにローマ以外の教会が慣れていなかったことがあるかもしれません。
私は、西欧での10年間で、徹底的に、神学よりもじっさいには外交論・学を学んだのですが、(もともと僕の修道会、マルタ騎士団の司祭はロビイストとして、その権力とともに活動することが多いので)、つねに、とりあえず、ものを語るときには1,2,3と3つの論が即座にいえるようにというトレーニングはよくされたものです。これは、フランスの小学校の国語の授業でもそのようになっています。

<ここまで>

このなかで世の中の流れにのえなかった教皇庁のことに触れていますが、それについて、山下さんは以下のような見方をしています。

<ここから>

世の中の流れに乗れなかった大きな原因は、愚衆政治的にはカリスマと愛されたヨハネ=パウロ2世といわれています。かれは大衆の求めていることにさまざまな波を起こした代わりに(ポーランドの共産党打破にバチカン銀行 IORから多額の資金を流したこと)、教会そのもの求心力を失ってしまいました。今のベネディクト16世はそれをなんとか元の原点に返ろうと努力していますが、前教皇のまいた種が育ち「すぎた」ことに苦労しているようです。

<ここまで>

ダブルスタンダードやトリプルスタンダードと呼べばよいのか、それともスタンダードにある幅をどう寛容の心をもって広げておくか、こういう問題を指摘していると考えます。スタンダードとは何なのか、その定義自身が今の世の中で見直されるべき時なのでしょう。

2009年1月28日水曜日

フランスでセカイカメラがどう評価されるか




先日の東京滞在中、頓智ドットの井口さんと久しぶりに会い、色々とお話しをしました。

彼は昨年9月にサンフランシスコで行われたTech Crunch50でセカイカメラを発表し、ネット技術の世界で一気に時の人になりました。YouTube で、その時のプレゼンを見ることができます。
iPhoneをもって街に出かけ、カメラを目の前にあるモノに向けると、そこにさまざまな情報がタグされています。セカイカメラがみせてくれる世界とは、リアルに対する仮想空間という構図ではなく、今あなたがいる現実をより豊かにしようという願いと仕組みが根本にあります。この彼が自身のブログでVCの動きについて、こういうことを書いています。

http://d.hatena.ne.jp/roadracer/20081231

<ここから>

細かい事をはぶいておおざっぱにまとめると、国内VCでは海外市場向けの展開を積極的に支援しているところが圧倒的に少ないことと、国外VCは、逆に日本のITスタートアップの海外展開をはなから相手にしていない。

でも、これらも根拠があって、まず国内VCはファンド規模が総じて小さくキャピタリストの海外経験も乏しいうえ、国内がそれなりに規模が有るため海外市場への積極進出を支援する際のバックグランドを形成するインセンティブがそもそもなかった。そして、海外VCにしてみれば、シリコンバレー中心のウェブ生態系以外から新しいシードを探して投資育成する価値が見いだし得ないということに尽きるだろう。

考えてみれば、TC50出場時の仲間達(つまりシリコンバレーのITスタートップ達)はまだまだシードの段階なのに数億のファイナンスを受けており、これは下手すると国内IT企業新興市場で獲得する資金に匹敵する!)、まずもって資金的なベースが全く違っていた。

<ここまで>

何がこういうメカニズムの差異を生んだのかは実に興味深いのですが、この日米比較から進んで、来月初旬にパリで行われる NetExplorateurで革新的なネット技術10に選ばれた授賞式とスピーチの準備に触れた今日のブログもまた面白いです。フランスの先端技術志向とそのロジカルな思考プロセスに感銘を受けています。

http://d.hatena.ne.jp/roadracer/20090128

<ここから引用>

それはともかフランス人のテクノロジー好きは日本人あるいは米国人とまた異なった独特のテイストがあって面白いですね! NetExplorateurのページにあるセカイカメラ解説記事(社会学的考察)を読むと相当ショックを受けます。なにしろ触った事の無いプロトタイプをここまで思考的に深耕できるというのはある意味想像を超えています。そしてちりばめられた哲学的かつ詩的な言葉の数々!米国流が「まず最初に結論」「最初に製品を見せるべき」「寸秒を惜しむ姿勢」「数字もロジックも簡潔明瞭に」といった合理主義精神の塊なのと比べると、対極とも言えるマニエリスム的感性が本当に素敵です。開発した我々さえ掘り下げられていないところまで深く深く掘り下げてあります。

<ここまで>

拙著の関連部分をあえて挙げると、「フランスの三つの災難」「ワードとパワーポイント」「解説を読む人 読まない人」「欧州人の直感と日本人の直感」あたりが、井口さんの上記の文章と絡んでくると思います。日本からみる近代合理主義が如何に米国経由の歪んだものかという点が浮き彫りにされています。こうしたフランスの対応に関する井口さんのコメントを拝見するにつけても、是非とも新しいタイプのビジネスで成功して欲しいと願わずにはいられません。

2009年1月26日月曜日

小国の重層的なしたたかさ





昨日の文章に、早速、八幡康貞さんよりメールで下記フィードバックを頂きました。ご意見に同感です。ぼくの昨日の文章で一つ欠けていた点を追加しておきたいです。ぼくが内向きを素の姿と表現しているのは、いかなる努力も放棄したネガティブな姿ではありますが、今の閉塞的な日本では、こういうベースから話すしかないのではないのかという認識があり、そのような書き方をしました。

ぼくは決して内向きを「自然のあり方」として肯定的に捉えているのではなく、「努力の欠如した」自然であるがゆえに否定的におさえています。昨日の文章の冒頭に海で戦うヨットマンのイメージを使ったのは、そのような姿を目指すべきものとして考えているからです。

<ここから引用>

内向きと外向きを較べれば、内向きの方が自然で本来のあり方だというのはどうでしょう。

古事記、日本書紀以前の日本は、結構外向きであったと思われます。朝鮮半島の諸王国とのかかわり合いがそうです。倭国・大和朝廷時代の日本を見ると、内向きが、すなわち日本人の自然の姿であるとは思われませんし、内向き一辺倒でなかったことが、日本の(柵封からの)独立、つまり、日本という固有の文明の成立に欠かせない条件であったように思います。

いまの日本が内向きに偏心している社会であることは、マスメディアのニュースの内容を、とくにヨーロッパのそれと比較してみるとよく判ります。世界の中での日本の立ち位置を、読者が判断できるようなニュース配分をしているとは言えないでしょう。日本という国の、サイズや能力から考えてみれば、日本人が自分の国の状態を、世界各国の政治・社会・経済・文化との関係で鳥瞰できるような心象地図をもてることが、生き残る為に重要だと思います。

マスコミ報道の内向き偏心も、翻訳物の文学作品が売れないというような現象も、現在の日本社会に蔓延している閉塞感、ペシミズム、いやむしろそこはかとなく漂っている一種のニヒリスティックな気分に対応しているのではないでしょうか。

国内市場が、人口構造の変化に伴って、さらに矮小化して行く近未来を考えると、外向きに舵を切り替えることこそが生き残りの条件だと思います。

幕末期の江戸幕府は、総じて日本国を『弱小』な『小国』であると、クールに認識していたからこそ、海外情報の収集と分析につとめ、ペリー艦隊の来航以前に、アヘン戦争やメキシコ戦争等の経緯を分析し、平和裏に、かつなるべく有利な条件で修好条約を締結する戦略を立てた上で交渉に当たった、しかも、当時はまだ超大国でもなく、海外拠点もなく、外交的にも弱体であった米国を、最初の交渉相手と狙い定めていた(加藤佑三氏、井上勝生氏など)そうです(ロシア、フランス、イギリス等からの修好・通商条約締結のアプローチは、ペリー来航まですべて断っていた)。湾岸戦争の時、ペルシャ湾諸国の新しい地図もなく、大慌てをした外務省のことを考えると、感無量というところです。

スイスやスウェーデン、フィンランド、など、ヨーロッパの『小国』の、外向きの、重層的なしたたかさに、日本はもっと学ぶべきではないでしょうか?

世界的に見れば、いまや日本は「大国」に取り囲まれています。EEC/EU 成立以前の、ヨーロッパの小国群と、相対的にきわめて似た状態におかれているわけで、もはや、内向きに舵を切るなどというゼイタクはやっている余裕などない筈です。

<ここまで>

八幡さんのおっしゃっている「大国」「小国」とは絶対的な人口や経済規模を言っているのではなく、「大国」「小国」とはあくまでも相対的な関係を示唆していると理解しています。ここに重要な視点があると思います。

2009年1月25日日曜日

内向きか外向きかは必要性の問題





先日、日本で色々な人たちから、拙著『ヨーロッパの目 日本の目ー文化のリアリティを読み解く』に関する感想を直接聞きました。ヨーロッパや異文化と付き合った経験のある方たちは非常に肯定的な反応を示してくれます。また、そういう経験を具体的にもっていなくても、ある種の想像力を働かして読み込んでくれていることが分かりました。ただ、「何でも日本よりヨーロッパのほうがいい、と書いているように読めてしまう」という人も中にはいました。これは僕の意図に入っていないことでした。そう読まれてしまう書き方をしたのは、僕の力の至らぬ点ですが、一方では「ヨーロッパのことを書く人間は、何でもヨーロッパを良しとしがちである」という固定観念にとらわれている人たちがまだいる、ということでもあります。

実際、多くの分野でヨーロッパそれ自身が優位性をもつ時代ではなく、分野によって優位性は世界各地に散在する時代に移行していると言うべきでしょう。それでもある力、特に統合力や標準化への仕掛けなどに関してヨーロッパは力を発揮しています。しかも、EUという5億人を超える大市場を構成してもいます。つまり、かつてのように一方的にあり難がる必要もないですが、無視すべき存在でもないと考えるのが合理的と思えます。ここで、ぼくのもうひとつのブログ「さまざまなデザイン」で書いた内容を紹介しましょう。1月7日の文章です。内田樹氏のブログを引用して語りました

<ここから引用>

もともと、内向きであるというのは素の姿なようなもので、外向きであるのは好んで外向きになるのではなく、「外向きにならざるを得ない」から外向きになるのです。外国文化や外国人とは、好奇心以外に何の動機もなければ、普通の人たちにとっては「変わったもの」であり、必要あって外国人や外国文化と向き合うものです。必要性を満たさないと生きていけないから国際交流への努力が要求されるのです。かつてのべネツィアも英国も、必要あって外にネットワークを張っていきました。

韓国の電子機器メーカーと日本のそれらを比較した場合、前者が欧州ローカライゼーションが進んでいるがゆえに市場がシェアを取れているのは、韓国市場が小さいからだと思います。外に出て行かざるを得ないのです。後者である日本メーカーは欧州ローカライゼーションが中途半端であるがゆえに、市場での地位を低下させたところが多いとぼくは考えているのですが、それは「中途半端」に日本の市場が大きいからです。「中途半端」に大きいから、日本市場を軸においてだけで、そのまま外に持っていこうとしてしまいます。それで外で十分にマッチする製品を供給できないという結果に陥ります。

日本が国内市場だけで生きていけるかどうか?それはかなりネガティブに考えざるをえないのが普通で、いずれにせよ国外市場との取引を捨てるなどという発想はおよそ現実的ではないでしょう・・・こう考えるのが、ぼくの「生活実感」です。内田氏の「生活実感」とぼくのそれの間には、大きな乖離があったわけです。そして、本テーマについて、このぼくの実感に近いところを衝いているのは、池田信夫氏の以下ブログではないかと思います。

http://blog.goo.ne.jp/ikedanobuo/e/ec32a60c32d34a92fb9026e3c1d1a9bf

<ここまで>

あえて言えば、こういうことになるでしょう。内向きであるにせよ、世界は動いていきます。内向きで何年か何十年か、それこそ江戸時代のように何百年もの間、内向きでいるとしても、その際に国外の動きを無視することは得策ではなく、好き嫌いではなく「ヨーロッパと付き合わざるを得ない」人たちがいるのが現実です。その人たちの目的にあったヨーロッパ文化の理解の仕方が重要ではないか・・・と考えています。


2009年1月24日土曜日

ハイコンテクスト文化とローコンテクスト文化






何をもって似ているとするか、同じとするか、それはコンセプトというものの理解の仕方によってきます。米国の文化人類学者のエドガー・ホールが、ハイコンテクスト文化とローコンテクスト文化という分類を行いました。静物画にある花瓶の背景をも含めて意味を理解するのが前者、花瓶のみを対象とするのが後者と言えるでしょう。地域でいえば中国や日本はハイコンテクスト文化に入り、ドイツやスイスはローコンテクスト文化の範疇になります。

これはアイコンなどの表現でも差異が出るもので、ハイコンテクスト文化ではリアル表現になる傾向があり、ローコンテクスト文化では、より概念的な表現になります。このような違いが実際のビジネスシーンでトラブルの種になることがありますが、八幡さんは、その例を次のように挙げてくれました。


<ここから引用>

またエピソードですが、1960年代の始め、敗戦によって日独両国の商標等は全部抹消された後で、双方がまた商標登録をやり直さなければならないことにな り、三菱商事が東京から代表団をドイツに送り、ミュンヘンの特許局で、三菱の商標登録についての審判に出席した際に、通訳として引っ張りだされた時の体験 です、

係争の相手は、ダイムラー・ベンツ。三菱の商標登録に異議を申し立てました.

三菱側は、三つの菱形と、ベンツのマークでは全く形が違うので、ベンツ側の異議は成り立たないと言う.それに対して、ベンツは、ベンツの三つの星の廻りの輪は、星を支えているものにすぎず、ベンツの商標の本体ではない.さらに、三菱の菱形のふくらみを狭めていけば、ほとんど直線になるので、ベンツの星と見間違えられる.ドイツでのベンツの別名は、『シュトゥットガルトの星』であるので、この点は譲れない.

三菱側はいたく困惑し、ベンツが日本で商標登録をした時、我々は何ら異議を唱えなかった.今回、ドイツでベンツが異議を唱えるのは不可解だと言う.

これに対し、ベンツは、それは驚くべき発言だ、我々の登録申請にあなた方が日本で異議を唱えなかったのは、あなた方のミスではないか。あなた方が東京でおかしたミスの責任を、我々がドイツで負担しなければならない理由を教えてほしい.

これには、三菱も反論できず、多分総務部のお偉方である人物は、『魚心あれば水心』と言うではないか、といったのですが、これには、ベンツ側は、あっけにとられていた、

結局、三菱は係争に負け、何年間か、三菱製品は『四菱』マークで売られていました.

これは、まさにハイコンテクスト文化とロウコンテクスト文化の出会いの実例で、前者には、商標を厳密に定義する事も、それを相手側に説得力を持って伝える論理的訓練もなかったという事をあらわしていたと想います.

<ここまで>

日本はヨーロッパを無視すると決めたのか?



「ヨーロッパ文化部」構想は、いわば何らかの必要性があってヨーロッパと「付き合わざるを得ない」人たちを対象に考えました。ヨーロッパ文化が好きな人たちは、独自に付き合い方を習得していきます。ですから、ヨーロッパに特に関心があるわけではないが、ヨーロッパを見ざるを得ない人たちへの配慮が問題になってくるわけです。

拙著『ヨーロッパの目 日本の目ー文化のリアリティを読む解く』(日本評論社)は、その目的で書いたものですが、何箇所かで引用した八幡康貞さんのメッセージをここで紹介していきます。八幡さんは、長い間ドイツで生活し、後に上智大学や日大で教えてこられた方です。ぼくが抱く疑問に以下のようにメールで答えてくれました。

<ここから引用>

>欧州にビジネス上、注意しなければいけない人たちがみていないことに、大いに危惧をもっています。

同じ事を、小生も、だいぶ前から感じています.

多分、ヨーロッパの統合などは、経済的にさえ、うまくいくはずはないという意見が支配的だった日本の官僚や経済界には、EEC から EC に移行し、さらに、EU 、そしてその加盟
国の拡大という、経済的のみならぬ政治的な統合が、つい最近まで戦争をし合ってきたヨーロッパで進行していることのロジックを理解できないでいるという事が最大の原因だと思って
います.

非常に象徴的なエピソ−ドがあります.1972年3月、日本では、田中角栄が通産大臣で、その数ヶ月後に自民党総裁に選出されて、田中角栄内閣を作る直前の事です.


当時、小生は、ドイツの日刊国際経済紙の編集部記者をやっておりまして、二ヶ月ほど日本に取材にきていて.通産省に取材に通っていた時の事ですが、通商 政策局の課長補佐(キャリア)から、MITIとしては、EEC がより高度な統合(EC)を実現できるはずはあり得ないと考えていると言う見解を聞きました.

その状況は、以下の通りです:西ドイツ政府は、その頃、CDU(Demochristiani に相当)FDP(自由党)の連立政権であり、外務政務次官が社会学者のRalf Dahrendorf (後に、London School of Economics 学長). その、Dahrendorf が、東京に現れて、日本政府に対し、西ドイツ政府との間に二国関経済協定の締結を提案しました。それは、EC 発足によって、メンバー国が、独自に第三国との条約を締結する権利をブリュッセルに移譲する義務が発生する以前の、いわばドイツとしては、最後の対外条約 締結の機会におこなった提案であったわけです.

もしも、日本がドイツとの条約を締結すれば、日本は、ドイツを通じて、「事実上の」EC加盟国として、域内で自由な経済活動が出来るというのが、ドイツ側の説明でした。しかし、通産省の見解は、「そもそもECが成功するはずはないし、ドイツ政府は、日本の事情を全く理解していない」という (この出来事は、2月に発生したいわゆるニクソン訪中ショックの最中のことでした)、えらく鼻息の荒いものでした.

結局、通産省は、突っ込んだ協議に入る事を避けるために、会談の場所を京都に移し、接待漬けにして、「うるさい」話にならないようにして『追い返した』と言ってました.

経済界を主導する権力と実力を保持していた通産省が、1972年の時点で、EEC-EC-EU というヨーロッパ統合の進展にたいする、『戦略的』な関心を持つ事をやめて以来、日本経済とEU圏の関係はあまり活性的でなくなりはじめたと思われます.EU側にも、良く分からない日本とよりも、韓国や中国との取引の方が、反応も早いしわかりやすいという印象が強まっていると見ていますが、どう思われますか.

日本の都市が海外と締結している姉妹都市関係を見ると、(安西さんが新刊書についておやりになったような全面的な調査の結果ではありませんが)近隣の中 国、韓国などをのぞけば、イギリス以外の英語国で、比較的歴史の短いところ、文化的にもあまりうるさくないところ、米国、オーストラリア,ニュージーラン ドなどに集中しているようです.例えば、京都市と
ケルン市は姉妹都市関係にあるはずですが、ほとんど活動していません.なにか、ヨーロッパに対する精神 的・文化的バリアが高すぎるという感じを日本人が持つようになっていて、これは逆に言えば、幕末から明治維新に掛けての精神状況からの後退だとも言えま しょう.日本には、自治体が締結した海外との協定は、当事者の首長や事務担当者が後退しても、『機関』同士の協定であり続けるという認識が薄弱なのかも知 れません(教養の欠如の一例)。

けっきょく、EUをもう一度真摯に分析・検討する必要があるという事を、日本の経済人が理解するには、「欧米」という世界はないのであって、アメリカと ヨーロッパは別の世界なのだという事を(特に具体的なビジネスのレベルでは)、まず理解する必要があると思うのですが、そのために必要な『教養』が、彼ら(の世代)には失われていると思っております.

問題は、どうすれば少しは状態の改善に役立つか、ということですが。

<ここまで>

上記でぼくが行った新刊書調査とは、日本で出版されている約3000冊の新書をネットで題名と目次を調べ、欧州の何が問題になっているかを洗い出したことを指します。

2009年1月22日木曜日

ヨーロッパ文化部への道-1




2009年を迎え、自分の発信地をもう一つ設けようと思います。そのもう一つは「さまざまなデザイン」(http://milano.metrocs.jp/)ですが、このブログは「ヨーロッパ文化部ノート」と名づけます。

昨日、約2週間の日本滞在を終え、ミラノに戻る飛行機を成田空港で待ちながら、ヨーロッパ文化部プロジェクトをどうしようか考えました。2007年夏、日本とヨーロッパの距離感を縮小する試みを始めようと思いました。そして、イタリアの40年近く住む建築家の渡辺泰男さんに相談しました。

それまでの17年間の欧州体験で、日本でヨーロッパを見るべき人たちが見ていない、それにより大きな経済的障害を負っていることを痛感してきました。特に日本のグローバル企業で働き、欧州市場を相手にする人たちのための文化理解を促進する活動の必要性を感じていました。

2007年秋、さまざまな文化人の意見を聞き、行き先を模索しました。多くのエキスパートを集めて何かできないか・・・というのが当初のアイデアです。しかし、一つの方向に集約させるのは極めて難しいと思いました。その後に書いたメモがあります。題名は『欧州文化部に関する企画メモ』(2008年1月7日)です。あくまでもアイデアを書き留めたもので、他人を説得するためのものではありません。

<ここから>

0、はじめに

 2007年11月6日、グーグルが携帯電話向けプラットフォーム「アンドロイド」の計画を発表した。ハードとソフトの境界がなくなりつつあり、全てはネットワーク端末となっていく。

シリコンバレーのベンチャーキャピタリスト・原丈人.が著書『21世紀の国富論』のなかで、近い将来には現在のPCはなくなるだろうと記している。あらゆる製品はハードとソフトが一体化したものとなる。そして人間が機械にあわせるのではなく、機械が人間にあわせるようになる。そのとき、日本は米国に対して有利に立てると書いている。ものづくりの伝統が残っている、ロジックではなく直感でアイデアを作っていくからだ、と。はたしてそうだろうか。少なくても、日本の弱い部分も指摘するべきではなかろうか。

 ソフトこそ文化性が強い。テイストだけの問題ではない。ユーザーの思考方法と密接な関係をもつという意味で文化性が強い。しかし、一体、日本のメーカーはどれだけ他国文化についての知識を獲得してきただろうか。あるいは、欧州の販売の前線で戦ってきた人たちの経験やノウハウが、どれだけ日本で商品を企画する人たちに伝わってきただろうか。

 ユニバーサルデザインは既に当然のものとして受けいれはじめている。が、この「ユニバーサル」は個々の文化を配慮したうえで企画されたものだろうか。

コンテンポラリーアーティスト・村上隆が『芸術企業論』で西洋美術におけるコンテクストの重要性を説いているが、これをものづくりのプロセスに置き換え、その意味することに気づき実行に移している人がどれだけいるだろうか。

 表層的な差別化に人々は飽き飽きし始めている。深いところでの価値共有や共感がない「もの」に目を向けない時代になりつつある。文化理解が必須科目になってきた。


1、『欧州文化部』が目指すもの

本メモのものづくりで指す「もの」は、いわゆるハード製品だけを示すのではなく、ソフトも同様に重要であり、また都市あるいは建築空間をも包括している。

我々の目的は二つある。一つ目は、これらの「もの」が欧州文化のなかに受容されるために必要と考えられる基礎知識やヒントを提供することである。二つ目は、良い「もの」を生み出すために役立つと思われる環境はどうあるべきか、特に日本の空間に対して指針を提示することだ。

すなわち、一つ目の目的は、ソフトも含むメーカーのビジネスを支援することを念頭においており、二つ目のそれは都市・建築空間を企画する人たちをアシストすることになる。この両方を目的とすることが、質の高いものづくり発信地であるための必要十分条件を整備することになると考える。

また、長期的な視点から、中央官庁や大学等の教育機関との連携も欠かせない。将来、商品企画を担当するだろう工学系統の学生達に「文化とは何か」と欧州を例にとりレクチャーする意味は大きいだろう。もちろん、地域研究専攻の学生に「文化知識の使い方」を教示することも重要である。

 『欧州文化部』は、アカデミズムでの範疇によれば、地域研究の領域になるだろう。したがって、歴史学、思想史、宗教学、社会学など従来の学問領域を横断的に巡ることになる。ドイツ学やフランス学など各国学の実績を十分に使いたいと考えているが、欧州に関する知の集積は膨大だ。これらを有効に活用していくにあたり、特に新たな視点として、文化人類学や認知心理学に頼ることは多いと思う。

2、「欧州」とはどこを指すか

 EUは旧共産圏である東ヨーロッパを含んでいる。過去、辺境とされてきたがゆえに、地中海世界と並んで文化人類学の重要なテーマ対象となる地域だった。そこで我々は将来それらの地域もカバーしたいと願っているが、スタート時点では北欧三国を入れた西ヨーロッパを対象としたい(フィンランドまでを西欧とするには色々と議論があろう)。「幻想としての西洋」を日本の人たちに実体像として解きほぐしていくという目的があるため、まず西ヨーロッパを理解することが出発点となる。他の地域はじょじょにカバーしていきたい。尚、あるテーマについて地域比較する場合、北欧・中欧・南欧といった三点から見ていくのが理想だが、二地点からのスタートになるかもしれない。

3、どのようなアプローチをとるか

我々はアカデミズムの成果と実ビジネスの経験という二つを組み合わせていく。アカデミズムにいささかでも貢献できることがあるとすれば幸いだが、実業界に啓蒙・貢献することを目的とする以上、ビジネス的な要求にミートさせるという立場は崩せない。ここで我々にとって重要なのは我々自身の「視点」と「表現能力」である。

指針として喩えると、NHKのドキュメンタリー番組が我々の理想とする表現レベルである。その分野とは無縁の人でも面白く理解できるが、該当分野に関わっている人でも唸らすことができる。書籍でいえば、ノンフィクションの世界だ。あまりに図式的なカテゴライズされた表現をできるだけ避けたい。記述方式をとり、次々と興味をひくエピソードの提示が自然と文脈理解につながるという形をとりたい。がちがちの論理ではなく、どちらかといえば、「ゆるい論理」でテーマを構成していく。いわば南欧知を活用して欧州全体をみていく。

4、「入り口」のテーマは何が考えられるか

セミナーなどを考える場合、「文化とは何か」「文化変容の意味するところ」「欧州の自然環境と文化的特徴の関係」など基礎的ステップを踏んだ後に、対象とする人たちが高い関心をもつテーマに絞込み、そのテーマの歴史的・社会的・文化的コンテクストを紐解いていく。TV番組や書籍の企画も、この趣旨にあった路線を探っていく。下記にそのアイデア例をいくつか列挙する。

4-1 北欧やドイツがエコロジー先進国と呼ばれるのは何故か

国際自然保護連合や各団体の指標から先進国と呼ばれている。どこに他国と違いがあるのだろうか。個々の政策や製品のレベルの問題なのだろうか。それとも全体的な文化価値体系のなかで、根本的な違いがあるのか。こういうポイントを南欧のエコロジーや、社会文化成熟度の指標となると言われる精神医療への取り組みなどを比較しながら突き詰めていく。

4-2 紀元前の船とアメリカズカップのヨットをつなぐもの

1983年、アメリカズカップに初めてイタリアチームが出場し、3位に入った。この「アッズーラ」を製作したのがマルコ・コバウ。その後10数年を経て、彼は2800年前にアドリア海を走った船を、材料も含めて図面から再現した。資金は刑服役者の社会復帰のためのEU予算を使った。彼の経験したプロジェクトを通じて、EUと文化のあり方を考える。

4-3 欧州に「自動車文化」はあるか

日本で都市部の若者がクルマに乗らなくなったという。クルマという乗り物自身に関心が低くなってきていると言われ、同時に「結局、日本に自動車文化は根付かなかったのだ」とも論評される。しかし、欧州に「自動車文化」というものが本当に存在するのだろうか。工業製品一般に対する文化的文脈の日欧の違いについて考察していく。

4-4 職人が生きられる都市空間とは

欧州の街のなかに、職人が仕事をする空間が残っている。靴、バッグ、楽器、色々な職人が、華やかなファッションストリートからそう遠くない所に工房を構えている。どうして彼らは都市郊外に追いやられずに生きれるのだろうか。 都市計画の歴史や都市空間のあり方を考えていく。

4-5 食文化に「豊かさ」は必要か

当たり前のように語られる地中海食文化の「豊かさ」であるが、生活の質が高いといわれる北欧で、どうして同様の「豊かさ」がないのか。それは、豊かさの表現方法が違うのではないだろうか。とすると、食文化における「豊かさ」とは、どのような生活文脈で捉えられるものだろうか。

4-6 ファッションの地域差の意味するところ

イタリアのファッション産業は、フランスファッションの下請けから始まったと言われる。しかし、それは単に繊維産業の基盤や人件費の問題だけでなく、ファッションセンスも問われただろう。どうしてドイツのファッションは「ダサい」のか。フランス、イタリア、ドイツの三極から、ファッションを巡る文化的背景を描いていく。

4-7「男らしい」デザインは化石か

ユニバーサルデザインとはジェンダーを乗り越えることではなく、ジェンダーそのものを尊重することではないか。それにも関わらず、日本製品のデザインの多くは中性化しつつある。一方、ドイツの高級車にみられるように、確固たる「男らしい」デザインが、よりジェンダーフリーと言われる欧州で絶えることがない。欧州におけるジェンダーとデザインの関係を考察していく。