2009年2月28日土曜日

手のひらを作る人達を応援しよう!






1週間ほど前に書いた「プラットフォーム作りに無関心?」というエントリーに匿名さんより、以下のコメントをいただきました。

ISOなど国際標準化会議では毎度この種の慨嘆が出ます。経営者の時間軸上の視線如何よりも、日本の文化的状況でしょう。お釈迦様の手のひらは与 えられるもの、その上で上手に踊ることに専念するのが先輩達でした。

会議の出席者達はその手のひらを自ら作ろうとしています。その努力や独創への評価には 彼我の差がまだ大きい。それは日本国内では企業間の踊りの競争を第一としているに対し、それを見ている欧州では手のひらをどうするかから検討します。

かつ てのVHSとベータではかろうじてフォーマット競争となり、欧州の戦略から逃れられたと認識します。このストラテジへの評価の土壌は成功例の積み重ね、つ まり文化レベルに到達するしかないでしょう。簡単ではありませんが、現場諸氏のご尽力で確実のその方向にはあります。必要なのは応援です。

ぼくもISOの会議の様子は若干知っていますが、この方が指摘されているように、「手のひらで上手に踊る」という表現が良く分かります。「手のひらを作る」「手のひらを作った人を評価する」応援が必要だと書かれています。このヨーロッパ文化部でも、大いに応援したいと思います。プラットフォーム作りに動いている人達を、どんどんここでも取り上げます。

セカイカメラの井口さんが、今日のブログで次のようなことを書いています。

http://d.hatena.ne.jp/roadracer/20090227

それはともかく、大垣に来る直前、東京芸大の桂先生とお話させていただく機会がありまして、その際に「プラットフォームの構築こそがコンテンツの開発なんだよ」「ソーシャルネット的なシビルエンジニアリングこそがこれからの通信分野のフロンティアなんだよ」というお話をお聞き出来、まさに「その通り!」と膝を打っていました。

全部お話ししようとすると非常に遠大なストーリーになってしまうのですが、ウィキノミクス的な「集合知によってドライブする生態系」をウェブサービスなりモバイルデバイス用アプリなりを繋ぎ合わせて「社会活動的に(シビルなエンジニアリングとして)」回して行くことこそが新しいコンテンツ流通の肝なのだと思います。

プラットフォームがコンテンツを規定する。だけでなく、それが新しいシビルエンジニアリングを浮き彫りにして組織化を促して行くことは、たとえばここしばらくのFacebookに代表されるソーシャルネットの勃興によってリアルに認知されつつあると思います

2009年2月26日木曜日

スイスの平和は目的ではなくて結果




少し前に毎日新聞記者の福原直樹氏が書いた『黒いスイス』(新潮新書)を読み、どうも居心地の悪い思いをしました。この人はジュネーブ特派員だったときの経験をベースにスイスの暗部を書いたのですが、「それで何なの?」という気がしてしかたがなかったのです。社会部出身らしく「現実」を直視しようという意欲は分かるのですが、その暗部を描くことでどういうスイスの全体像を見せたいのかが分からなかったのです。

ジプシー誘拐、ナチスへの協力、冷戦時の核計画・・・・。それぞれの話題はそれで読み物として面白くても、この手の本は「あとの判断は読者がしてください」というものでもないだろうと思うのです。要するに日本人がイメージするスイスを強調したうえで、それを覆しているだけの出来レースの印象が強かったのです。それぞれの暗部を摘出するなら、それらをリンクさせて自分なりの地図を描くべきでしょう。

スイスの大学で教鞭をとっていたこともある八幡さんから、以下のメールを受け取り、もっともだと思いました。

この「黒いスイス」は、毎日新聞のスイス特派員であった人が書いたものだと思います。何年か前の8月6日の新聞第一面に、「あのスイスが、原爆製造を計画」といういうような大見出しで、冷戦時代のスイスは、何百発もの原子爆弾を生産する計画を立てていたということを、スイス国防軍の退役軍人とのインタビューとして報じていた人の筈です。

ソ連邦崩壊以前のヨーロッパの雰囲気を知らない人でしょうね。あの頃では、スイスが自前の原発を開発して、東側に対する抑止力にしようとしても全くフシギではないのですが、日本のメディアの平和絶対主義からすれば、平和主義的であるはずのスイスが原子爆弾なんて、と言う素朴なおどろきなのでしょうね。スイスに言わせれば、「スイスは平和主義ではなくて、中立主義であり、この中立は、必要であれば原爆を以てしても守る。スイスの平和は、目的ではなくて結果だ」ということなのですが。

なにか、自分のスイスへの思い入れと、あのテンションの高い小国の、ハリネズミみたいな生き方にギャップを感じたのであろうと思います。

メディアの特派員なども、事前に「ヨーロッパ文化部」の門をたたいてもらいたいですね。

2009年2月23日月曜日

尖った理念を作りにくくしているものは?




先週に引き続き、藤井敏彦さんが下記「CSRの本質」で北欧のCSRについて触れています。「北欧の企業はCSRのグローバルな性格を認めた」という部分がポイントだと思います。日本の企業はそうではなかったというのです。

http://wiredvision.jp/blog/fujii/200902/200902231300.html

この藤井さんが、半年以上前のエントリーで「あるルールが国際的な訴求力を持つかどうか、最大のポイントは理念の強さであって円滑な実施ではありません」と書いています。ここがよく日本サイドで「実施できなきゃあ意味ないじゃない」と言って、その理念のポジションを誤解する部分です。

http://wiredvision.jp/blog/fujii/200806/200806230800.html

「尖った」規制をつくることが日本は不得意です。いや、こう言うと語弊がありますね。正確に言えば、日本の社会は尖った規制をつくることに価値を置かない。

マスコミの報道を見ていれば明かです。ほんの些細な法令違反でも書き立てるのが昨今の新聞ですよね。法令は施行されたその瞬間から完璧に守られているべきだという社会的前提があります。このような社会的な状況下では、RoHS指令やその後のREACH(ものすごく革新的なEUの化学物質規制)のような鋭角的ルールは生まれてきません。

EUの法令は多分に理念的で、少なくとも当分の間きちんと実施されるなどとは誰も思っていない。法令違反の状態が一定期間続くことが暗黙の了解です。逆に言えば、それくらい革新性があるということです。革新性は環境保護の理念から来るもので、よって、他国の環境当局にとってとても魅力あるものに映ります。カリフォルニア州とかが真似する所以ですね。

日本は真面目なので規制つくるまでに徹底的に調整するでしょ。そして、施行当日からきちんと実施される。逆にいえば、実施可能なものしか法律にはならないのです。当然、角がとれる。あるルールが国際的な訴求力を持つかどうか、最大のポイントは理念の強さであって円滑な実施ではありません。


去年、ぼくが下記「さまざまなデザイン」で、アート作品やデザインの世界でも、ヨーロッパ人には抽象的な理念を説明すべきと強調したこととダブってくる内容です。


http://milano.metrocs.jp/archives/128

2009年2月22日日曜日

オープンプラットフォーム化を目指すセカイカメラ





以前に紹介したセカイカメラが、今週、東京で世界初公開されました。以下のように、色々と記事になっています。

http://plusd.itmedia.co.jp/mobile/articles/0902/19/news089.html

頓智.の井口尊仁さんが、ご自分のブログに以下を記しています。オープンプラットフォーム化を推進する理由を書いています。ヨーロッパ文化部ノートは、プラットフォームの形成にあたり主導権をもつことが大事と主張しているので、ケーススタディとしてレポートします。

http://d.hatena.ne.jp/roadracer/20090221
iPhoneで現実をタギングするという表現を最初に用いたのは、確か TechCrunch の Erick Schonfeld だと思いますが、この表現はシンプルでとてもいいと思います。しかもセカイカメラのソーシャル属性を適切に言い表しています。
<中略>

そもそもリアルワールドのソーシャルタギング環境を、より厳格な意味でのAR技術にすべて収納してしまうことは不可能です。デジタルレイヤーで現実空間を拡張することは情報操作のアプローチとしては非常に有効です。ただ、それをアンビエントとして(=社会活動の一環として)あまねく利用可能な状態に拡張しようとした場合、デバイス・オリエンテッドなフロントエンド技術だけで実現するのは困難です(センシングやインタラクションは手段であって目的ではない)。

それと同じ意味でロケーションウェアとしてセカイカメラを語ってしまうのにも抵抗があります。なぜなら人の社会行動には場所以外に時間や状況など、より多層的なコンテキストが存在するからです。

セカイカメラをオープンプラットフォームにしたいというのは上の様な考え方がベーシックにあります。フロントエンドとしてのセカイカメラばかり見ていては見えない部分、バックエンドのクラウド領域は重要です。

ユーザーの社会的活動というクラウド(ソーシャルネットの束)と、インターネット側の多様なマッシュアップを実現するクラウドとの掛け合わせこそがセカイカメラの対象領域だと思います。

2009年2月21日土曜日

内向きでよいロジック探しをする人達

前のエントリーに対する八幡康貞さんのコメントです。結局、「正々堂々と内向きでいてもいい」ロジックを探し求めているのが、今の日本ではないかという印象をぼくももちます。それが、日本文化の固有性に対する強い関心と結びついている場合がありそうです。八幡さんの「予定敗北主義」という表現はいいですね。

私もビックリしましたが、こういう傾向は、日常人々と話していても、時々引っかかってくるので気になります。
つまり、「今の資本主義はもう、やめてくれ」(安田喜憲・国際日本文化研究センター教授)の全面撤退・ガラパゴス化的な発言と、それに対する異常な感激的な支持。同様に、新古典派経済学から「転向」したという中谷 巌氏の「資本主義はなぜ自壊したのか」における、同様な、「ガラパゴス化」へ向かう、後退的な、あるいは戦線放棄的な言説などと共通していますね。

典型的なのは:
<引用始め>
多分、この国は何時まで経っても「農村」なのだという気がする。
戦後まで農業者が多数を占めていた国なのだから、それからまだ高々半世紀しか経っていないのであればそれも道理。この国は農地で米や野菜を作るのと同じ感覚で他のものも作っている。そう考えれば、「作ってもらったものをおいしく戴いてもらえれば(使ってもらえれば)それで十分」という感覚も、案外納得できるし、それが実はこの国の人々が本当に望むところなのかもしれない。それだったら寧ろそういう方向へ向かった方が、メンタル的に安定した社会を実現できるのではなかろうか。何でもかんでもトップを狙えばいいというものではないと思う。
<引用終わり>

の様なコメントですね。こういう考え方は、
若い人にも多いですし、中年にも居ます。
なにか、
競争的な口上や発展の努力をすべてギブアップしたところで、なにか、縄文・弥生の時代に繋がるような、最終的な癒しを求めてそこにとどまりたいと言う「願望」をもっている、もうそれしか考えたくない人々です。

何か、日本人はそれでいいのだ、と言う「予定敗北主義」〈
カルヴァンの教説をもじれば〉見たいな所へすーっと流れ落ちて行くような雰囲気を感じます。

ところで、二年ほど前の日経BP-Online で取り上げていた、東工大の矢部孝教授のグループが「マグネシウムサイクル」と言うリチウムイオン電池もふくめた、
完結したエネルギーサイクルを提案していましたが、あれは、2~3兆円かけてもやってみる価値のある壮大なプラットホームの構想であったのですが、その後どうなっているのか、Web にも何の情報もないですね。

日経BPのこの記事のコメントに以下のような若い方の意見がありました。これからに期待を膨らましているところに、就職活動で冷たくされている姿が浮かびます。「偉くなるのなんて待つのじゃなくて、壁をぶち破っていくんだよ」と言いたくなります。

就職活動をしていて同じような話をすると「技術の知識がない人たちだからそのような意見になるのだ」とのお叱りを受けます。私はどうしても日本の企業のビジネスシステムを変えていきたいと思っているのですが、偉くなるのをじっと我慢するほかないのでしょうか?

2009年2月20日金曜日

プラットフォーム作りに無関心?





東大の宮田秀明さんが、日経BPでリチウム電池を例に、ものづくりの価値を拡大するビジネスの必要性を熱く語っています。興味を引くのは、この記事のアクセスランキングは今現在2位なのに、読後アンケートに「参考にならなかった」「どちらでもいい」という回答が「役に立った」より圧倒的に多いのです。聞き飽きた趣旨と受け止められたのか、危機感が薄いのか、要フォローです。

http://business.nikkeibp.co.jp/article/tech/20090217/186337/?P=1&ST=spc_fl

電池と電気自動車を製造するだけでは、結局下請けになってしまうのだ。日本の製造業が全部製造下請けの立場から脱出できなければ、日本の産業の未来はない。韓国、台湾、中国という具合に第2、第3の製造下請け担当国・地域が後ろにたくさん控えているからだ。

2次電池と電気自動車を生かすビジネスモデル、つまり新しい環境エネルギー社会システムを開発し、その知財をしっかり保全していく戦略は日本に とって最も大切なものだ。日本の製造業にその力がなければ、情報システム会社や商社や電力会社との連携ビジネスも大切な選択肢であろう。こんな経済環境下 でも確実な利益を出しているのは総合商社である。

私たちの研究グループが中心になって進めている「二次電池による社会システム・イノベーション」の活動は、業界横断的なビジネスを創造し、モノ作りの価値を倍にして、日本の産業競争力を取り戻す道を探求するためのプラットフォーム作りの活動とも言える。

モノ作り回帰の論調に同意してはいけない。それ自身は大変価値のあることだが、モノ作りの価値を拡張するビジネスにも力を注がなければ、日本の産業全体の空洞化が進むことになるだろう。

一方、やや前の記事ですが、元NTTドコモの夏野剛氏のダボスでの感想は、この宮田さんの焦燥感を裏付けるものではないかと思います。10年先のあり方を「一人の頭で考える」ということができないと、プラットフォーム作りは敷居が高すぎます。やはり、ヨーロッパ文化部のやるべきことの一つは、「プラットフォームを作る」という目的のために、文化理解のベースを確保することなのでしょう。

http://it.nikkei.co.jp/business/column/natsuno.aspx?n=MMIT33000012022009&cp=2

もっとも、もし日本の経営者がこの場にいても同じレベルで議論できる人はごく少数であろう。言語の問題もある が、そもそも日本のITや通信業界のトップは10年後のインターネットのエコシステムなんて、自分の頭で考えたことがあるのだろうか。原稿なしで議論でき るのだろうか。

え、10年後なんて自分の任期ではない?でも、会社の方向性を決めるうえで意識しなければいけないテーマであることは間違いないと思うけれど・・・。

なにしろ、他のメンバーと比べた自分の存在の小ささに日本自体のプレゼンスのなさが追い討ちをかけて、本当に落ち込んだセッションだった。

ともかく世界のリーダーたちはよく議論する。自分が専門知識を持っていなくとも、正しいと思うことは遠慮なく発言する。議論によって、いろいろな考え方を知り、それによって自分の意見をさらにブラッシュアップしていく。

そして主語で語る。「私はこう思う」「私のポリシーは…」という言葉が溢れている。


2009年2月18日水曜日

国づくりとジプシーの人生





拙著にのせるジプシーについて書いたぼくの原稿を読み、八幡康貞さんが書き送ってくださったメールを発見しました。国や国民の成立に関する理解のために掲載しておきます。


前回のジプシーに関する件で書きおとしていたこと がありました。それは、フランス革命で行われた、革命運動の大衆 (people) をフランス国家の主権者である国民 (nation) であると定義したことによって、単なるフ ランス王国に住んでいる人々、あるいはフランス語 を話す人々という意味での french people から、la nation française が出現した経緯で、昔は単なる出生地方を 示したnatio と言う単語が、政治的主権を所有する・ 国家を所有する国民という、昔であれば、ローマ帝 国市民populus romanus のような、表の「市民」と言う 意味を獲得し、かつてのpopulus は、ヨーロッパ各国で、大衆、庶民、などと言ういわば社会的に低級な 人々の階層を意味する言葉になって、言葉の入れ変えが行われたと言うことです。ドイツでも、 Nationaltheater といえば、グランドオペラを上演する 劇場ですが、Volksoper といえば、オペレッタ劇場のことです。

フランスには、絶体王権が確立していて、国土の境界線は一義的でしたから、「フランス領内の住民の
すべてがnationを構成する」と言うことを定めたことで、殆ど一夜にして「フランス国民」とその国民国家が成立したのですが、フランス革命の思想の影響を受けたドイツでは、「ドイツ国」の国境線と「ドイツ国民」とは誰であるかと言うことが決められなかった。それは、バスティーユが陥落した「1789 年には、ドイツ語を話すドイツ人とよばれる人々が 住んでいた地方には、この年号と同じ、大小、1789個の独立主権国家が成立していたからだ」 〔ゴーロ・マン「近代ドイツ史」)と言う事情があったからです。

それで、ドイツでは、新しい「国家」をつくる前に、まず.民族の統一を図り、その上で国家的な統 一を果たすと言う道をとりました。フランスが、既存の「国土」を物差しにして「国民」を定義できたのに対し、ドイツでは、民族の魂である文化、特に言葉を物差しにして、ドイツ民族 なる者を形成する運動が起こりました。この考え方が、ドイツの東方に伝わったことによって、様々な民族が混住していた東ヨーロッパでは、言語・宗教などを核にした「民族運動」がおこり、バルカンの紛争も、その根は、ドイツ型の国民と国民国家形成モデルにあったのだと、いえます。その動きから外れてしまったのが、東欧の場合、特にジプシーだったのだと言えるでしょうし、ユダヤ人に対する排斥運動がひどかったことも、そこから来ていると思います。

2009年2月17日火曜日

ヨーロッパ文化部の事業について

八幡康貞さんから、昨日アップした「ヨーロッパ文化部は何をするか?」に対して、ご意見をいただきました。日本における外国人ビジネスマンの学習プロセスを追うことで、日本人のヨーロッパ戦略の参考にするというご提案です。なるほどと思いました。以前、芥川賞をとった中国人作家を囲んで、イタリア人とドイツ人(?)の鼎談が月刊文芸春秋に掲載されていたのを思い出しました。あれを読みながら、ヨーロッパにおけるわが身を考えました。


この問題を考える上で、もう一つの視点を提案したいと思います。

東京などで、海外の市場やビジネス、あるいは金融。
証券関係の仕事をしている人々は、多いと想うのですが、その人たちは、きっと割に身近なところに、日本のビジネス社会にスッポりとハマって、水を得た魚のように自由に活動しながら、日本のビジネスパートナーと密度の高いコミュニケーションをしながら、大きなビジネス上の成果を上げている人が、色々な業種で居ることに気がついていると思います。

そのような人々についての、社会心理学、
あるいは社会学的なリサーチはほとんどなされていないと思われますので、文献資料は少ないと思いますが、彼らが、どのような教育・訓練を経験し、どれほど日本的な考え方や行動原理を理解把握しているか、どのように日本語を使いこなしているかというような点について、体験的な実例を持ち寄って、分析的な目で見直してみることが必要であると思います。

そうすれば、日本のビジネスマンが、
ヨーロッパのビジネスの世界で、ヨーロッパのマーケットで、どのようにアプローチを準備し、どのような視点からヨーロッパの社会を把握すべきか、実践的なヒントが得られるのではないでしょうか?

難しいと言われる日本のビジネス界で、
成功している外国人ビジネスマンの行動・思考様式を分析的に把握して、そのパターンから学び取る、ヒントを掴むという視点です。

2009年2月16日月曜日

北欧の企業は社会と一体という論




ヨーロッパのCSR(企業の社会的責任)についてブログを書いている藤井敏彦氏が、北欧のCSRについて触れています。企業による寄付(フィランソロピー)の部分を引用します。アングロサクソンの文化では企業と社会が切り離されており、そこで寄付が両者をブリッジしているのに対し、北欧の企業は両者が分離されていないため、寄付は社会的に敬意を受けるのとは逆の方向に見られるとあります。

これはぼくも知らないことでした。少しフォローしてみます。


http://wiredvision.jp/blog/fujii/200902/200902161200.html

下線部に注目してください。なんと、「フィランソロピーは軽蔑されることもる」! 社会保障の進んだ国では。もちろん、社会保障の進んだ国の典型 が北欧諸国であります。フィランソロピーはもともとアングロサクソンの概念であることは知っていましたが、それにしても企業の善意の寄付を軽蔑しなくても いいじゃん、と。そこで何人かの北欧出身の友人にこの疑問をぶつけてみました。

ニッポン・フジイジム局長「フィランソロピーって軽蔑されたりするの?」
デンマーク・ピョートル大帝君「そうだよ」(あっさり)
フィンランド・アンヌ隊員さん「そうよね」(可愛らしく)

うーむ。。。最終的に最も納得できる説明をしてくれたのが大親友にして畏友、オランダ人にして完璧なフィンランド語を話す(らしい)アレキサンダー氏でした。曰く

「アングロサクソンの社会では企業と社会が切り離されている。それをつなぐものがフィランソロピーという利益の社会還元。北欧の社会では企業と社会 が一体になっているからフィランソロピーという概念は必要ない。従業員は同時に市民であり父親であり母親である、その前提が会社に浸透している。社会と会 社の壁がない。フィランソロピーと聞くと会社と社会の距離を感じる。」

なるほど。単純化してしまえば、「育児休暇は短いけど寄付に熱心な」アングロサクソン系企業と「従業員に2年の育児休暇を与えるけども寄付はしな い」ノルディック系企業。どちらが社会的責任を果たす企業でしょう。みなさん、どう思いますか。さらに加えれば後者の企業は高い法人税を負担していて市民 の様々な社会的活動は税金によって担われている。全体として見るとどうでしょう。日本のCSRを考える際にこの二類型をどう考えればよいのでしょう。




ヨーロッパ文化部は何をするか?




このブログの一番最初に書きましたが、ヨーロッパ文化部は下記のような事業を考えています。もちろん、基本的にヨーロッパ文化に関することに限ります。

1)セミナーの企画・実施
2)TV・雑誌・書籍の企画と製作
3)事業コンサルティング

そこで、今、1)のセミナーの構想を考えています。ぼくは対象を三つにするべきかなと思案していて、その三つとは以下になります。

a) 大学などの教育機関
b) グローバルメーカー
c) デザイナーや建築家(主に若手)

a)  に対する狙いは、将来メーカーで商品企画などに携わる工学系の学生達に対してヨーロッパ文化を例に、文化の見方のヒントを提供することです。文科系と理科系の横断的講義は増えているようですが、ビジネスの現場での文化的リアリティにどこまで迫れるか?という点で不足感があるのではないかと想像しています。

b) に対しては、やはり企画系がメインになってくると思いますが、まず最初はグローバルメーカーの幹部クラスにヨーロッパ文化を理解する意味と目的を知ってもらうことからはじめるべきでしょう。その後に、ヨーロッパに駐在している人達も対象になってきます。多くの実務経験を一つの体系にどう置き換えるか?がキーになってくるかもしれません。

c)  実際に手を動かす若い人達に、より具体的な次元で、ヨーロッパ文化の「入り口」を知ってもらうことが大事だろうと思います。日本の各地で地場産業の掘り起こしと、その製品の海外輸出を促進するプロジェクトが、経済産業省も絡んで実施されています。これらのプロジェクトにプランニングやデザインに関わる若手デザイナーが対象となるのではないか、と考えています。

この5月に上のb) とc) を別々に実施できないかと構想を練っているところです。とりあえず今週にでも企画のドラフトを作成してみます。

2009年2月14日土曜日

『日本語が亡びるときー英語の世紀の中で』






水村美苗氏『日本語が滅びるときー英語の世紀の中で』(筑摩書房)について、ブログ「さまざまなデザイン」で二回にわたって書きました。本のなかで日本語という言葉の運命が切々と語られています。ネットの世界でも評価は賛否両論です。しかし、ぼくは言葉の問題はさておいて、この本で指摘されている文化差について言及しました。筆者は文学と他の「文化商品」の間に境界線を引いていますが、こと文化差を語るとき、両者を渡り歩きながら語ることができると思います。

ぼくは昨年12月初めに評論家の加藤周一氏が逝去したとき、以下のようなメモを書きました。

5日に評論家の加藤周一が89歳で逝去。この週末、日記検索やブログ検索で200近いコラムを読んでみた。年齢層はさまざま。たぶん、20代から60代まで。とても良く分かったことがある、残念ながら・・・。近代合理主義あるいは近代理性というものが、日本において十分に消化されることなく、途中で吐き捨てられそうになっているということが、数多のブログを読んでいて見えてくる。ブログを書くタイプがどちらかに偏っているとか、そういうことは、あまり勘案しなくてもよいだろう。

加藤周一の著書から多くの影響を受けたと書きながら、その文章には、その影響があまりみえない。青春の思い出の書に「成り下がっている」。近代合理主義は「日本の青春だったのか?」と問いたくなるほどに。確かに、近代合理主義の大いなる思い込み違いは、既に多くの場所で露呈している。しかし、それは唾棄すべきものでもなんでもない。あくまでも重要なステップであることには変わりない。

『日本文学史序説』の最初に、江戸時代の大名屋敷を例に、日本のディテールからいく傾向(つまり、部屋を積み重ねた建て増し的な方法)と、西洋の全体デザインを考えてから部屋割りをする傾向、この二つのことが指摘されている。こういう違いが、如何に多くの政治事象、経済事象からはじまって、日常のコミュニケーションに至るまでどういうリアリティを生むのか?それを、どれほどに「近代日本」は分かってきたのだろうか・・・。

日本の製品が、どうしてあのような中途半端なデザイン表現を欧州においてするのか。それは近代合理主義的表現ではない。それによる問題点は、欧州市場におけるブランドの脆弱性を生んでいる。近代合理主義は全てではないが、今の世の中にあっても、たくさんのコトとモノの土台になっている。これが大きく変わるのは、あと最低2世代を経ないといけないだろう。ここに加藤周一が忸怩たる思いをもち、「富士山を世界一美しいというのは井の中の蛙だ」と言った、と思う。

ぼくは『日本語が亡びるとき』に関する色々な意見を読むにつけ、加藤周一に関するブログの数々が思い起こされてきました。議論がディテールの知識の問題になりがちです。これではプラットフォーム形成の旗振りをしにくいでしょう


<以下、上記ブログ「さまざまなデザイン」のURL>

http://milano.metrocs.jp/archives/917

2009年2月11日水曜日

コンセプトを語り合う






2月9日の「コンセプト構築から具体策立案までのスピード」(以下)を書きました。

http://european-culture-note.blogspot.com/2009/02/blog-post_09.html

これに対して、八幡康貞さんより、下記のようなコメントを送っていただきました。

これについては、面白い話を読んだことがあります。
* フランスとドイツの会社の間で、共同事業などが進んでくると、コミュニケーションギャップも生まれているようです。

フランス人の目からすると、「コンセプト」とは、主としてイメージの問題であると見えるので、フランス側は、ある事業計画のコンセプトを持ち寄るという場合、イメージを膨らませ、展開させることに一生懸命になるのだそうですが、ドイツ側は、コンセプトを、事業計画素案としてとらえ、段取りから、組織、責任分担、マーケティングの押さえ所、事業の資金計画など、事細かにかつ具体的に練り上げてくるというわけです。

コンセプトそれ自体の論理化と、実践の為のコンセプトという違いがあるのかもしれませんが、フランス人が受けるドイツ側についての印象が、日本人が、フランス人とコンセプトを語る場合に、フランス側から受ける印象に類似性もあります。

コンセプトという言葉が指す領域が違うことを指摘されています。ドイツでより具体的で実践的な部分を重視する傾向を経験された方の文章だったようです。以下で八幡さんは、フランスからみるドイツ、ドイツからみる日本、これらに似た点があるところを面白いとおっしゃっています。ぼくもデザインでコンセプトという時に、日本ではどちらかというと機能的な側面により目が行きがちで、そのデザインそのものの根本、いわばそのデザインがユーザーにとってどういう印象で頭に残るかを一生懸命議論するイタリア人を前に、その両者の違いを感じることがよくあります。

* さらに、日本の会社と、製造、開発、販売などで協力関係に入ったドイツ側の企業の人は、日本側の意思決定が長期にわたり、イエスか、ノーか、の返事すら聞こえてこない。堪忍袋の緒が切れそうになると、日本側から、協定調印の話が来る。代表者が日本に来てみると、調印を済ませたばかりの協定の為に、新しい工場の建設や、生産の手はずが整っており、様々なセクションや日本側の関係企業との間の話し合いも出来ていて、あっという間に事業は具体化されるのだ、と言っていました。根回しですね。

この場合も、フランス側が、ドイツの企業から受ける印象と、ドイツ側が日本企業から受ける印象が、似ている点が面白い。

どうも、それぞれの国(民族)独特の考え方というよりも、異種の集団が出合う「場」に望む際の、むしろ意識下の次元での思い入れや態度の違いが、こういう事例に出てくるのではないでしょうか。もっと、分析的に考えてみるべきだと思いますが、実例があまり出てこないのが難しいところです。当事者は、あまりそう言うことを語らないようですから。

勿論、日本と、スランス・ドイツ等の内だに在るコミュニケーションギャップの重大さは、問題として残ることは事実ですが。とくに、日本では、'言葉(論理)を道具として(武器として)使い切る為の訓練が不十分でることは否めないでしょう。

「それぞれの国(民族)独特の考え方というよりも、異種の集団が出合う「場」に望む際の、むしろ意識下の次元での思い入れや態度の違いが、こういう事例に出てくるのではないでしょうか」という部分、これからよく考えてみたいと思います。

2009年2月10日火曜日

ヨーロッパ文化部第一弾セミナー構想(2)




なんのためにヨーロッパ文化を理解するかという目的をはっきりさせることが重要です。先日も書いたように、最終的にビジネスリターンを生むためのヒントを考えるというのが「ヨーロッパ文化部ノート」の目的です。ぼくが昨年、47回にわたってブログ「さまざまなデザイン」で書いた「2008ミラノサローネ」は、ヨーロッパ市場における日本製品の「見せ方」をテーマとして取り上げました。企業ポリシーや製品コンセプトの伝え方です。これらにもっと改善の余地があると感じました。

先日、テレビ朝日で正月に放映された『サンデープロジェクト』をDVDで見ていたら、「フィンランドにこそ、日本が学ぶべき点がある」と経済ジャーナリストの財部誠一氏がフィンランドをレポートしていました。どうも昨年も北欧の国を取り上げたようですが、そしたら非常に大きな反響で、それもネガティブなものも多かったといいます。「人口が日本の20分の1以下の国は経済規模も全く違い、参考になるはずがないじゃないか」という批判に代表されるものでした。

「外国に学ぶべき」と声を大にするほうもするほうですが、日本と同じサイズの同じ環境の国なんて世界中どこにもないのに、相変わらず、多くの人は同じ視点で見ているのだなとため息が出ました。「どうして、コラボレーションするパートナーとして欧州を見ないのだろう・・・」と思います。モノやコトを一緒に作り、売り、そして一緒に儲けるのもコラボレーションです。そうすると違った風景が目の前に広がってきます。

下記は、メルマガで「万華鏡」というタイトルで英国の生活を書いている方の文章の一部です。イギリス人と結婚された40代後半の日本人主婦で、在英20年以上のようです。毎回、しっかりと長い文章を書かれています。「西洋人を賢くさせてきた」「世界をリードし続ける西洋人」など、表現に少々疑問符がつきますが、それは寛容にうけとめましょう。


実際のところ、進化論も創造論も、イギリスにおいては教養だと思います。創造論を支持するなら、進化論を論破する以上、その進化論に対する知識は必須だからです。新聞の記事でもエッセイでも、キラリと光る文章を書くジャーナリストは、宗教と科学と歴史の知識、聖典からの引用、文学と芸術と詩的表現、それにラテン語とフランス語をさりげなく織り込み、教養の高さを示すのです。それでいて自分の意見もはっきりと提示して。

自分の考えを持ち、違う考え方について知る。これこそ、西洋人を賢くさせてきた術法だと感じます。情報がいくらでも簡単に入る現代、これからも、英語でも日本語でも、ただのおしゃべりだけではなく、哲学するという観点から、お互いの進化のために、色んな人と論じていきたいと思っています。 

日本に住んでいるのなら、西洋人とのつきあい方というような術は個人のレベルでは必要としないかもしれませんが、グローバル化がこんなに進み、経済も一蓮托生の影響下にある現在、世界をリードし続ける西洋人の考え方の土台となっている部分についての知識を持つというのも悪くないと思います。

この方はイギリス人の男性と結婚し、イギリスで成長した子供たちと一緒に生活するうえで、欧州の考え方を身につける必要があったでしょう。それを自覚なさったうえで、「西洋人の考え方の土台となっている部分についての知識」という書き方をしています。これが、ビジネスの世界での「コンセプト構築」や「プラットフォーム形成」という話題に繋がっていくと思うのですが、大変残念なことは、このような個々人の知識や知恵がビジネスの世界に上手く翻訳されていないことです。他方で、日本における西洋文化に関するアカデミズムの蓄積が、同様にビジネスの世界に還流していないという状況があります。唐突ですが、その一つの例が、電子機器のインターフェースの開発ではないかとぼくはみています。

2009年2月9日月曜日

MADE IN JAPANブランドの復活-1




日本製品は「過剰品質」ではないかという指摘が繰り返しなされてきましたが、その「過剰論」を指摘している記事が日経BPのTechonにあります。製品のメッセージの伝え方の重要性を指摘しています。当然でしょう。

http://techon.nikkeibp.co.jp/article/COLUMN/20090206/165317/?P=1

しかし今や,製品機能は複雑化し,ちょっと見ただけではその良さを理解できない状況になってきた。以心伝心の日本国内ならまだしも,海外では「つくった だけ」では受け入れてもらえることは難しい。「売りづくり」や「ことづくり」と言われるように,「ものづくり」という概念を,単に生産部門に閉じるのでは なく,顧客に設計情報を的確に届けるというトータルな活動として「拡張」することが,これまで以上に重要性を増していくのだろう。


<中略>

コモディティ化が進んだ低価格な領域で日本など先進国のメーカーが利益を上げるもっとも最適な方法は,当コラムでも何回か書いているように, プラットフォームを形成して,その中から外部のグローバル市場をコントロールすることである。プラットフォーム作りに関しては,欧米企業が強みを発揮して おり,日本企業は一部で頑張っているものの,それでもプラットフォームの外で頑張るしかないケースも多い。そうしたケースでは特に,日本企業が高品質・高価格なところにポジショングして,その下の部分は新興国のメーカーに譲るという流れは,歴史的,そして倫理的にも避けられないことなのかもしれない。

ただ、このプラットフォームの形成の弱さに諦めが漂っているところが気になります。まさしく、昨日指摘したコンセプトの作り方に時間をかけるかかけないかという問題は、ビジネス現象として、プラットフォームの勝負に勝つか負けるかという分岐点を表します。日本製品が高品質・高価格にポジションをもつ動機付けの一つに「プラットフォームを作るのは苦手」ということがあり、これを克服しようとの意志と方策をもたない限り、なかなか長期戦の主人公になれないでしょう。

この記事の筆者が、2年ちょっと前に、「ものづくり」ではなく「売りづくり」という言葉の紹介を以下のようにしています。

http://techon.nikkeibp.co.jp/article/COLUMN/20061010/122084/?P=1

日本企業の伝統的な考え方は,まず現場のものづくり力を磨く→その結果として製品が売れる→さらにその結果として利益が出る――というものである。それに 対して,欧米企業の考え方は,その逆だと言われている。まず利益を出すことを考える→そのための製品を企画する→さらにそのためにものづくりを活用する ――と「方向」がまったく逆である。

確かに欧州の会社はより利益率重視ではありますが、上記は単純化しすぎていないかとも思います。「方向が全く逆である」とぼくは思ったことがありません。でも、ここでは立命館大学大学院 経営管理研究科教授の濱田初美氏の指摘の部分を引用します。「2番手の人材を海外に出している」というのはどうかと思いますが、文化理解の必要性を強調している点はヨーロッパ文化部ノートの趣旨と一致しています。

「売りづくり」を進めるための人材育成の重要性を説いたのが濱田氏であった。グローバル市場で成功している企業は,その国の文化に精通した人材を育成して いると言う。母国と担当する国のどちらの暮らしぶりにも精通し,そして両文化を許容できる「二重市民」を育てるほどの徹底振りだという。こうして,その国の消費者のニーズをくみ取って「売りづくり」を進めるのである。これに対して日本企業は,そうした文化に溶け込むような努力が足りず,もともと「社内で最 も優秀な人材でなく2番手の人材を海外に出しているのではないか」と濱田氏は手厳しい。

以下は2008年の特許出願件数動向ですが、これらの数字を眺めていて、特に会社別で1位に中国メーカーが出てきているところをみると、高級品質・高価格の戦略は早晩行き詰るのではないかという気になります。

コンセプト構築から具体策立案までのスピード




このブログを読んでいただいている方から、「藤井敏彦のCSRの本質」というブログを紹介されました。藤井氏は経済産業省の方ですが、企業の社会的責任(CSR)について連載されています。

http://wiredvision.jp/blog/fujii/

1月26日「ヨーロッパの新環境政策SCPに注目せよ」というタイトルの記事を読んでいて、昨日書いた、井口尊仁さんが経験した、フランスの先端技術へのアプローチと繋がる話題だと思ったので紹介します。ヨーロッパにおけるコンセプト構築に対する時間のかけ方が、いわば「苦労話」として書かれています。

http://wiredvision.jp/blog/fujii/200901/200901261400.html

「コンセプト」についてニッポンとヨーロッパの人々は、それぞれ世界の両極にいるのではないか、とさえ感じたりします。もちろん、この観察は小生の限られた経験に基づくものです。新春セール以上にディスカウントしていただいたほうがいいかもしれませんが。

コンセプトを徹底的に議論するわけですね、あの人達。そして精緻化していく。机上の論が好き。しかるに日本の多くの人にとっては、机上の論=「机上の空論」。世界にも希に見るプラグマティックな思考。

CSRもそうだったでしょ。ヨーロッパってCSRをすごく精緻に、既存のコンセプトであるフィランソロピーとかコンプライアンスとか、そういったものとの線引きを明確にしながら、精巧に定義した。日本は融通無碍にCSRという言葉を使い回した。


コンセプト構築の議論に多くの時間とエネルギーを使うことを、この藤井氏は「机上の空論が好き」と表現していますが、一方で、これをやらないと欧州人と付き合えないとも書いています。

ただ、外国ではコンセプトを詰める人たちがいるという事実は知っておく必要があるかも。国際社会において理念やコンセプトは多様性の中に埋没せずに生き抜く手段、戦うための武器であります。政府間交渉のような場だけではなくビジネスの現場でも本質的に変わらないのではないかと思うのです。よって、そのようなものを持たずに外に出て行くことは、武器の使用を制限されて海外に送り出される自衛隊のようなもの。もちろん、我々シビリアンは負傷したりするような目には遭いませんが。相手にされずに終わるリスク大。

<中略>

で、一旦念入りにコンセプトが形作られると、その後はコンセプトにしたがって押し止められない勢いで様々な具体的政策が提案されてくる、というのがEU環境政策の特徴です。今のところ次のような策が明らかにされています。

「政府間交渉のような場だけではなく、ビジネスの現場でも本質的に変わらないと思うのです」とありますが、ビジネスでも全く同じです。まずは縄で一番大きな輪を作り、じょじょにそれを話し合いながら小さくしていく、そのステップの踏み方と時間のかけ方は実に丁寧な場合が多いと言ってよいでしょう。そして、引用の最後の段にあるように、一度そこで合意をみると、具体的な方策があっという間に出てきます。このスピード感覚に慣れていないと、最初はウンザリ・・・最後は泡を喰うという、非効率的なこと極まりないという事態に陥ります。

2009年2月8日日曜日

MADE IN JAPANブランドの復活-0





英国誌『エコノミスト』が日本の電気業界の落下ぶりを以下のように伝えています。この最後のコメント欄をクリックして見えてくるのは、MADE IN JAPAN の存在感の低下です。が、それだけではなくこの現象が、欧州の人達にとって決して分かりやすいとは思えなかった戦略の結果である点にも気づきます。

http://www.economist.com/research/articlesbysubject/displaystory.cfm?subjectid=348969&story_id=13059765

さて、ぼくが「ヨーロッパ文化の理解」の必要性を強調するのは、他でもなくMADE IN JAPANブランド 復活のためです。残念ながら(?)教養主義を懐かしむためではありません。内需経済重視云々の論議は脇におき、自分の製品を世界中に売るために、何がユニバーサルな文化であり、何がローカルな領域であるかを把握するためのワンステップとしての「ヨーロッパ文化理解」です。上記のコメントのなかにも、「日本製品はインターフェースに弱い」という指摘があります。文化理解と大いに関連してくる分野です。

1月28日、「セカイカメラはフランスでどう評価されるか」(以下)を書きました。現実拡張としてのiPhoneの新しいアプリケーションを提案し、パリでのNetExplorateurにおける授賞式に向けての準備段階の井口尊仁さんのフランス文化に関する感想を紹介しました。

http://european-culture-note.blogspot.com/2009/01/blog-post_28.html

その井口さんが昨日パリのリュクサンブール宮殿で行われたイベントの模様を早速、自身のブログ頓智・日記でこう報告しています。

今回は、これも前日ギリギリまで粘って会場(=元老院=リュクサンブール宮殿)にエアタグを設置して、その場でライブ状態でお見せしたのですが、やはりデモビデオやスライドよりもこれが一番受けました。とにかく印象的だったのが、テレビ、新聞、雑誌などの既存メディアや元老院議員、銀行家、弁護士、博物館長など、エスタブリッシュメントにすごく歓迎されたことで、この勢いだと日本の総理大臣と面会するよりもフランス大統領と会談する方が早いのでは?と(いや、何を話し合うのだ?というポイントは全く不明ですが)。

コンセプトの受けがとても良かったようです。それもいわゆるネット世代ではなく、その上の世代や業界外の人達からも評判が良かったことがキーです。そして、以前にも紹介したように、新先端技術をどのような社会文脈におくかが盛んに語られたかと記しています。

とにかくITを含んだ先端技術をエコノミーやイノベーションとして語るだけでなく哲学的領域や社会学的文脈で理解・消化しようとする(傾向の強い)彼らの発想はユニークだと思いますし、産業見本市的な日本流のITイベントや TC50に代表されるようなイノベーションとエコノミーの化学反応を最大化しようとする米国(なかでもシリコンバレーですね)の流儀と比較して、より「人類的見地」とか「思想としての技術」とかに光を当てようとする今回の様なイベントは(どういう効果があるのか?は、僕もよく分かりませんが)非常に面白かったです。

井口さん自身、大学では哲学を勉強し、その後ソフト業界に入った人です。その間、松岡正剛氏とも仕事をしたことがあります。彼のフランスでの受けに対する面白がりを読み、ぼくは、ここにポイントがみえると思います。コンセプチュアルな議論に「如何にウンザリしないか」、これが欧州市場に入るための大きな資質であり素養ではないかと考えています。


<ここで書いていることは、もう一つのブログ「さまざまなデザイン」(http://milano.metrocs.jp/)で書いている「ミラノサローネ 2009」とリンクしています>

2009年2月7日土曜日

コミュニケーションにみる逆転の可能性

ぼくのプロフィールに記載してあるように、「さまざまなデザイン」(下記URL)というブログも書いているのですが、ここで「ミラノサローネ 2009」というタイトルの連載をはじめました。4月にミラノで実施されるデザインの祭典に関するレポートだけではありません。これを機会にデザインやそれを取り巻くものについて日々考えることを自分に課しています(?)。よって、この「ヨーロッパ文化部ノート」と交差することもままあります。振り子のように、「あっちにああ書いたから、こっちはこう書く」ということもあります。

http://milano.metrocs.jp/

今、社会トレンドと時間感覚ということについて、考えています。現代という時代の捉え方について書いているうちに、一つ、ぼくが本で書いた文章を思い起こしました。

言葉ができなくても心で通じ合えるから、言葉は外国人同士のコミュニケーションにおいて第一義にはならないという意見をよく聞きます。実にコメントしづらい内容です。正面から正確に話そうとすれば白けるし、笑顔で「そうですね」と頷くのも後ろめたさが残ります。

なぜなら、心で通じ合えたかどうかを身振りや目だけで判断しきれるかという問い返しが可能です。一方で、言葉でどれだけのことが語れるのか、言葉はコミュニケーションの一部でしかないではないかという問いかけもありです。

しかし、人が100%コミュニケーションするというのは、しょせん非現実的なことなので、言葉と言葉以外の両方の手段を使って100%を目指すという態度が重要になります。100%分かりあえたとある時思えても、後になって半分しか分かっていなかったというのが現実なのです。

 ぼくが色々な経験を積み重ねてきて思うことは、結局のところ、コミュニケーションは静的なものではなく、動的なものであることを常に頭のなかに叩き込んでおくことが大切だということです。そして必要なのは、これを悲観的にばかりとるのではなく、その逆に楽観的であるための根拠とすることではないかとも思うのです。逆転の可能性が常に潜んでいるのです。

 このコミュニケーションの楽観性に関し、欧州人は高い評点を与えているとぼくは考えるのですが、これが本章で繰り返し述べているコンセプトの大枠に柔軟性を提供する根拠ともなっていると思います。


この文章について、昨年5月の中旬、原稿の段階で、八幡康貞さんより以下のようなコメントを頂きました。

これは大問題ですね.実は、日本人の多くが、コミュニケーションについて、冷静な考え方が出来ないでいる状況があるように思えます。一方では、自分以外の誰かと、「完全にわかり合えるはずだ」、あるいは「完全にわかり合えた」と思いたい願望があり、それが達成されないと『裏切られた』と思ってしまう。

しかし、第一.自分自身の事を完全にわかっている人はいるのでしょうか?誰でしたか、ある哲学者が、『どこへ行っても、必ずあの自我 (Ego)という奴がついてくる』といってましたが、しょせん、友人は、『私』が、毎朝鏡の中で出会う『私』を認識して、声をかけてくるよりも、後ろ姿や、歩き方など、自分自身には見えない姿をみ覚えていて声をかけてくるのですから、私が自分自身のすべてを見ているわけでもないし、フロイドの例を引くまでもなく、自分の内部には、自分では思いもしないような情念や、衝動が隠れているわけです。

ぼくは、このあたりの視点がヨーロッパ文化のトレンド把握にあたり、かなりヒントになるのではないかと考えています。友人がみる『私』の姿を、どこまで『私』自身で見切れているか(あるいは見切ることを諦めているか)という問題と密接にかかわっているのではないか・・・と。

2009年2月5日木曜日

「今の資本主義はもう、やめてくれ」をめぐって




日経BPオンラインで昨日、今日とアクセスランキング1位となっているインタビュー記事があります。安田喜憲・国際日本文化研究センター教授が話しています。題名が「今の資本主義はもう、やめてくれ」と、昨今の話題を上手く衝いています。

http://business.nikkeibp.co.jp/article/manage/20090203/184786/

そして、その60以上の投稿コメントを読むと、今、皆さんが(良い意味でも悪い意味でも)「何を聞きたがっているのか?何をどう言って欲しいのか」ということが、おぼろげながらに見えてきます。

http://business.nikkeibp.co.jp/fb/putfeedback.jsp?_PARTS_ID=FB01&VIEW=Y&REF=/article/manage/20090203/184786/

これは下記で書いたヨーロッパ文化部セミナー構想にとても参考になるなと思いましたら、八幡康貞さんより、この記事と投稿コメントに関する感想をいただきました。

http://european-culture-note.blogspot.com/2009/02/1.html


アブナイ人ですね。

理系の頭の人がしばしば展開する、「単純明快」でよく判ると歓迎される、それだけに大衆扇動的な論旨ですが、むしろ、コメント投稿の大多数が、こういう意見を待ち望んでいたと思われる情況の方が怖いです。

「論理はどうでもいいから、こういうことを聞きたかった」というのは、左翼・右翼の別と関係なく、問題情況を限りなく単純化してくれる思想的扇動に、無批判に乗せられてしまう心理を象徴しているようです。

「今の資本主義はもうやめてくれ」と言うタイトルは、それ自体、好き嫌いの感情論が根底にあることを示唆しているようですね。一神教が森(自然)を破壊し、多神教は自然を守るみたいな宗教論は、それ自体、彼が批判する一神教的な性格の論旨であり、疑似一神教になってしまう結果に気がついていないようです。

ちなみに、かの有名なる中谷 巌氏の「なぜ資本主義は自壊したのか?」(集英社)と言う本も、話題になっているようですが、帯封には「構造改革の急先鋒であった著者が記す'懺悔の書'」とあり、第一章のタイトルは、「なぜ私は'転向'したのか」とあります。第五章は、「一神教思想は、なぜ自然を破壊するのか」とあります。

安田氏と同じように、論理がここまで単純であっていいのか、と思わせられる内容です。中谷氏の場合は、1960年代のアメリカに魅惑され、新自由主義の経済学に没入したのに、ウォール街発の経済危機およびその予兆によってその空中楼閣が崩壊したことでめざめ、「転向」したらしいのですが、彼が信じていた経済学は、「人間とその社会」をはじめから視野の外に置くことを宣言していた(理論の整合性を確保する為に!)訳ですから、現実に適合しない「ほとんど数学的な純粋理論」であることは明らかだった筈なのですが、その事実に、あとで気がついたようです。............

中谷氏が、指導的な地位でコミットしていた日本の経済政策が失敗であったとしたら、それを、一神教のせいにするのはどう'かと思いますね。資本主義も市場経済もダメだと言いたいらしいのですが、市場経済以前の日本の経済とは何だったんでしょう?

安田氏の場合も、中谷氏の場合も、日本古代史の世界や、縄文・弥生の時代を美化し、単純化し、そこへ帰りたい願望がちらほらしますが、どうして、一本道を行ったりもどたりする歴史観になってしまうのか、それこそが聖書の救済史観そのものを自明のこととして受け入れている証ではないのでしょうか?

歴史の展開を、進歩・後退としてではなく、多数のファクターの組み合わせの変化としてとらえれば、重心点の移動と、バランスの回復というコンテクストで、もう少し、宗教的・形而上学的なイデオロギーを抜きにして考えたり、議論したりすることが出来るであろうと思います。

計画されているセミナーでも、単純化された疑似歴史神学的な方向に、議論が進まないようにすることが肝要であると、安田、中谷両氏をはじめ、現今多数の同様の議論を見て感じています。

安田氏の長いインタビューに対する、コメントを見ますと、日経BP-Online の読者層ですらこれですから、合理性にこだわったり、批判的な議論をすることが何となく避けられてきた日本社会の危なさがよく見て取れます。

幾人かの人のコメントは、バランスがとれた批判的な内容であったことにはホッとしましたが、あまりにもその数が少ないのには驚きました。

ではまた!

『17歳のための世界と日本の見方』-3





七味オイルの開発ストーリーの最終回です。コラボレーションする何かを待つ姿勢でいたら、まさしく、その方向にマッチする話が向こうからやってきてくれました。それは長野から来たのです。

長野県上田市にあるギフト商品会社を経営する石森さんとのおつきあいは10年近くになります。2007年の2月、石森さんから「日本で三大七味唐辛子の一つと言われる善光寺の八幡屋礒五郎さんの七味とオリーブオイルのコラボ商品を企画してみませんか?」と提案がありました。私は、瞬時にこれは面白いと思い、アレキサンダーに伝えました。彼からも「是非、挑戦してみたい」との即答を得られました。

彼は七味唐辛子がどんなものか知っていました。そして、ミックスさせるものが日本の伝統調味料であることにも大きな魅力を感じました。早速、石森さんが試験的に作ったサンプルをテスティングし、「イタリアのペペロンチーノにはない奥深い味だ。しかも、デル・ポンテのエキストラヴァージンオイルの味と香りが十分に生きている!」とアレキサンダーは感嘆します。

ドイツと日本の哲学、イタリア文化、これらが統合され最後の刺激材料だけを待っていた状態だったのかもしれません。280年余続いてきた老舗七味唐辛子と地中海の典型的な調味料であるオリーブオイルの融合、七味オイルというコラボ商品の開発は、こうしてスタートを切りました。

石森さんとは現社長のお父様のときからお付き合いしてきましたが、今回の提案は三代目の現社長によるものでした。そして、八幡屋礒五郎の社長さんはぼくと同世代です。国文学で修士をとられた方です。世代と文化的素養がうまくミックスしています。

モンテカティーニはフィレンツェの西北にあたり車で1時間程度の街です。この街の背後に広がる山の中にアレキサンダーの邸宅と農園があります。ここに7-8人はゆったりと入れる和風露天風呂があります。洗い場もあり、和式の桶など日本から取り寄せました。アレキサンダーとファビエンが新婚旅行で日本の温泉地巡りをした思い出が、そのままあります。二人で日本のイメージを思い起こしながら、イタリアの建材を使って作りあげました。

湯の中に体を沈めると水面のはるか向こうには修道院が見えます。しかし、湯は日本を感じさせてくれます。2007年11月、八幡屋礒五郎の室賀さん、石森さん、アレキサンダー、そして私の4人で一緒にこの風呂に入りました。七味オイルのビジネスプランついて思い思いに語り合ったのですが、この和と洋の空気の調合具合が話をとてもスムーズなものにしてくれました。

「和洋折衷」という言葉は、今や若干古臭いイメージがついてまわるような気もするのですが、この七味オイルへの皆さんの反応をみていて、和洋折衷の積極的な意義をつくづく私は感じています。妥協ではなく、お互いが自分の価値をより高めながら距離を縮めあうその姿勢自身が潔く寛容であり、相手方の文化への敬意が表現されます。異なるものを全く入れないことで純粋性を保つ価値観もありますが、あえて違ったものと衝突しながら新たなものを目指す姿勢には、緊張感とスガスガ
しさが感じられます。この点に七味オイルの新鮮さが凝縮されています。

現在、この製品は八幡屋礒五郎さんのオンライン(下記)や日本国内のデパートで売られていますが、とても評判が良いです。次の製品も開発中です。このプロジェクトをみながら、やはり質の高いプロジェクトの実現には時間が必要なんだとつくづく感じています。熟成をさせる時間をどう見るか、これが文化差として地域によって異なるところです。

http://www.yawataya.co.jp/shop/product59.html

尚、写真はアレキサンダーとファビエン、結婚前の二人です。

2009年2月4日水曜日

『17歳のための世界と日本の見方』-2





松岡正剛氏のたらこスパゲティに対抗して(?)、七味オイルの商品企画の開発プロセスを、ドイツ人のアレキサンダーを主人公に書いたメモの続きです。上の写真はアレキサンダーのお父さんです。

日本学を勉強しはじめ、彼の生き方に変化が生じます。合理的でスピードがすべてという効率主義に疑問を抱きはじめたのです。きっかけは漢字の学習です。ここで効率以外の価値があることを見出したのです。アルファベットからすれば複雑な形状の漢字は、覚えるにも書くにも時間を要します。しかし、表現された漢字は沢山の意味を同時に伝えることが可能です。大きな驚きがここにありました。より広い構図からものを考える拠点を見出したと言ってよいでしょう。また漢字にある象形文字が、牛、馬、草、竹など農業に関係のあることに気づき、日常の生活からものを考える世界にも惹かれていきます。漢字を上手く書くために、左利きから右利きに変えました。

異文化との出会いが彼を変えたのは、日本だけではありません。イタリアもそうです。87年、それまでも頻繁にトスカーナを訪れていた彼の母親が、高級保養地として名高いモンテカティーニに別荘を購入しました。イタリアの有名なTVジャーナリストの所有だった邸宅です。それまで以上に、ここを訪れるようになった彼は、イタリアのライフスタイルにあるプラグマティズムを知るようになります。

フランスやプロイセンで貴族の称号を得ていた家系は、15世紀のイタリアのデル・ポンテ家に源流があります。5世紀以上の時を経て、彼は自分の血にもともとあったイタリア文化を発見したのです。そうなると、自分探しのための哲学がなんとなく色あせて見えてきます。アレキサンダーが哲学の試験勉強をしているとき、92年に結婚するベルギー人のファビエンが、オリーブの収穫を一人で仕切ることもありました。こうした姿も、書籍から学ぶことが中心だった彼の人生観を大きく変えていったのです。グルグルと回転しながら進む彼の思考が、じょじょに直線的になっていきました。

実は、このメモを西洋紋章デザイナーの山下一根さんに以前送ったのですが、そうしたら「この家系はマルタ騎士団と関係がありますね?」とコメントが返ってきました。それでアレキサンダーに聞いたら「確かに父親がマルタ騎士団だったよ。でも、どうして分かったの?」と逆に聞き返されました。山下一根さんは系図学の知識から類推したようですが、プロイセンという国は一つのキーだと言います。

それから、自分で何でも作るようになります。オリーブオイルのギフトボックスのデザイン(七味オイルのボックスもそうです)、後述する20トン近い大理石を使った和式露天風呂、林の中に飼っている豚から作る生ハム。これらは彼の「自作」のほんの一例です。子供の頃、ベルギーのお祖父さんの別荘で働く職人たちの仕事を熱心に眺めていた彼らしい成果です。しかし、とても慎重な男であることは変わりません。「自分が知っていることは分かっているけれど、知らないことは知らない」と言い、1999年、トスカーナに家族を残してブリュッセル自由大学でMBAを取りました。ビジネスの世界のことも、本で事前に分かることは全て分かっていた方が良いと考えたのでしょう。当然のことながら、オリーブオイルの味に対しても同様です。彼はトスカーナのオリーブオイルの質をテスティングする審査員の一人ですが、この資格も研修を受けて取得しました。

日本とのビジネスも軌道にのってきた頃、ある会社から、「オリーブオイルの質は問わないから」ペペロンチーノやハーブを入れたオリーブオイルを作ってくれないかとのオファーが寄せられました。アレキサンダーは、こう語りました。

「オリーブオイルの質が生きてこそ、デル・ポンテの製品と言える。そのようなリクエストをする会社は真面目とは思えないから、取引したくない」

そのとき、彼はエキストラヴァージンに何か別のものを入れることに否定的であったわけではありません。ペペロンチーノのオイルは昔からあり、それに批判的であったわけでもありません。しかも、日本の何らかの味との融合に関心はあったのです。しかし、その相手が何であればいいか、その具体的なアイデアはもっていませんでした。ただ、何か新しいコンセプトの商品への意欲は常にありました。

アレキサンダーは決してプロダクトアウト的な発想に固執する人間ではありません。常にマーケットを丁寧に見ています。もう15年近く前になりますが、日本でデル・ポンテ商品を売り出し始めたとき、デパートの地下食品売り場に立ち、毎日試食を自らお客さんに勧めました。自分でエキストラ・ヴァージンオイルに合うパンやハムなどを買い求め、全てをセットし、人々のもつ感覚に実際に「寄り添う」ことに集中したのでした。そうした彼にとって、「質は問わない如何にも売れそうなコンセプト」を提案してくる人間は、信ずるにあたらないと見えたのでしょう。

この続きは明日、書きます。

『17歳のための世界と日本の見方』-1




先月、都内の書店で棚を眺めていて、松岡正剛『17歳のための世界と日本の見方』(春秋社)に目が留まりました。どうしてかというと、拙著のアマゾンにある「この商品を買った人は、こんな商品も買っている」という項目に、この松岡氏の本が掲載されていたので、気になっていました。それで本を手にとってみると、先日「フランスでセカイカメラがどう評価されるか」で紹介した井口尊仁さんが、2002年にブックレットにまとめてくれたとあります。2年間で21刷という数字にも驚き、これは買ってみるかと決意した次第です。

これは大学で講義した内容を本にまとめたものですが、文化の関係性を如何に把握するか、その重要性を説いています。そして関係性の一つの例として、たらこスパゲッティをあげています。最後にこういう文章があります。
  

何度かたらこスパゲティの話をしましたが、朝食で食べるたらこと海苔が、スパゲッティというイタリアのパスタ文化と微妙に組み合わさったメニューが、とても好きなんです(笑)。ま、おいしいから好きなのですが、文明論や文化論としても、たいへん有効なメニューだと思うのです。


これを読んで、これなら、ぼくの関わっている七味オイルプロジェクトは実践的文化論としてよりトレンディじゃないかと我田引水的に思いました。これはトスカーナのエキストラヴァージンオイルと、日本の老舗の七味を混合させた商品です。そこで、この七味オイルの開発ストーリーをぼくが書いたことがあるので、ここにペーストします。



2008年7月下旬、私たちは長野の善光寺を散歩しました。既に日は落ちかかり、人も少ない、門前の商店も閉まっている。そんな時刻です。八幡屋礒五郎社長の室賀さんが、歩きながら39ある宿坊とその仕組みを説明してくれます。デル・ポンテ社長のアレキサンダーは20年もの昔、一人で半年ほど日本の各地を旅して回った自分の若き姿を遠くに見つめ、卍が寺を意味することを13歳の娘に教えます。都内の昔ながらの家に下宿し、日本人以外の付き合いを遮断しながら、冷える畳に正座してひたすら日本の哲学の本を読んだ日々を思い出します。

善光寺を散歩した後、参勤交代時に大名が宿泊したという元旅館の数寄屋造りの和室に入りました。道に面したファサードは大正時代のアール・デコ様式です。ここでイタリア・フランス・日本の各料理がミックスした懐石料理を頂きました。西洋と日本の美味が実に自然に表現されています。異文化交流が料理の世界ではスタンダードであることを今更ながらに再認識しました。マネージャーは、フランスのリヨンでコックとして働き、東京のヌーヴェル・キュイジーヌのレストランに長くいた方です。「フランス料理では20年も前から日本の蕎麦を試してきた」「私自身もオリーブオイルには七味唐辛子が合うと思い、2-3年前、自分で調合して試したことがある」というマネージャーの話しを聞きながら、今回の七味オイルのプロジェクトが料理の世界の文脈にしっかりと嵌っていることを私は確信しました。

私がアレキサンダー・ヴォン・エルポンスと出会ったのは、1993年冬です。彼はミュンヘン大学で哲学と日本学を勉強していたのですが母親が逝去。トスカーナの丘にある大きな邸宅と広い農園を遺産として継ぎました。 ある日、彼と私の共通の友人から、その頃住んでいたトリノの自宅で一本の電話を受け取りました。 「学究肌のドイツ人がオリーブ農園を持っているんだけど、日本文化に関心が強く、オリーブオイルを使ったビジネスで日本と関係を築いていきたいと言うんだ。一度、会って話を聞いてくれないか?」 これが全てのはじまりでした。

彼はお洒落なギフトボックスのデザイン作業を開始していました。ベルギーの大学でも法学部の学生だった彼に、グラフィックデザインの才能がこれほどにあるとは想像していなかった私は、驚きました。そして、香はまろやかで味は柔らかくなめらかです。「この味とセンスなら日本にも紹介できる」と考え、日本のインポーターを開拓していきました。

時をさらに遡りましょう。幼少の頃よりネクタイにジャケットで自宅の夕食の席につく環境で育ち、イエズス会の厳しい教育の高校生活を終えたアレキサンダーは外交官の道を望み、ルーヴァンカトリック大学は法学部へ進みます。しかしながら、教養課程で哲学に触れた彼は、法律に魅力を感じなくなっていきます。母親に「法学部を卒業すればあとは何を勉強しても良い」と言われた彼は、法学部に在籍しながらハイデッガーとニーチェの勉強を進めます。そこでハイデッガーと交流のあった九鬼周造に興味を抱き、『「いき」の構造』に出会います。禅の思想にも関心を持ち、ルーヴァンカトリック大学の教授に、ミュンヘン大学の日本学の教授を紹介されました。ドイツ人の父親とベルギー人の母親の間に生まれた彼は、スイスで生まれベルギーで育ったのですが、ここでまったく新しい文化と遭遇したわけです。


この続きは、明日、掲載します。冒頭の写真はアレキサンダーのご先祖です。

2009年2月1日日曜日

ヨーロッパ文化部第一弾セミナー構想(1)





「ヨーロッパ文化部」なるものをどう立ち上げようかと、もう1年以上考えてきました。とりあえずまず第一声ということで、『ヨーロッパの目 日本の目ー文化のリアリティを読み解く』(日本評論社)を昨年末に上梓しました。そして、第二ステップとして、このブログを1月22日からスタートしました。次なるアクションですが、セミナーを一度東京でやってみようかと考えています。組織的な整備は後回しでよいから、とにかく何らかの発信をすることを優先します。

そこで、講師として協力いただけそうな方に打診しました。一人目は35年以上イタリアで建築家として活躍する渡邊泰男さん。もともと一昨年8月に「ヨーロッパ文化部」構想を最初に持ちかけた相手が渡邊さんです。本の執筆にあたっても、多くのアイデアをインプットくださいました。二人目は、ミュンヘン大学で社会学修士をとられた後、ドイツに長く滞在し、帰国されてからは上智大学や日大で社会学や欧州地域研究などを教えてこられた八幡康貞さん。八幡さんにも本の内容については多大なる協力を頂きました。三人目が神学と紋章学で二つのPh.Dをもち、教皇庁立教会貴族外交学院で外交術も習得し、西欧伝統社会に残る名門貴族にネットワークを築きあげた山下一根さん。全員より、賛同をいただきました。

八幡さんより、以下のようなアイデア骨子を電話で伺いました。

「カトリックの勢力低下に見られるように、欧州でも価値観の空白地帯ともいうべきものが生じているが、今の教皇が10年前、ドイツの大学で『キリスト教にとって怖いのはイスラム教ではない。仏教だ』と語った。これはどういうことかというと、欧州で自然の上に立つ人間という世界にとって、自然と人間が対等に並ぶ仏教世界は脅威である。特にエコロジーが重要視される時代にあって、この傾向は強まる可能性がある」

このテーマを本セミナーの目的にどう落とし込んでいくか? これからの検討事項です。

「グローバルメーカーの事業・商品企画・マーケティング等で「欧州市場を考えざるを得ない」立場にある人達に、欧州市場で日本製品がより売れるための文化理解を促すことを目的とする」

時期は5月頃を考えています。このラフなアイデアをベースに、これから企画を練り上げていきますが、このブログを読んでおられる方たちで、こういう形はどうだろう、こういう場所でやったらどうか、こういう協力者がいるが紹介したい(もちろん、ご本人でも大歓迎!)・・・何でも結構ですから、アイデアなりがありましたら、ここにコメントいただくかメール(anzai.hiroyuki@gmail.com) ください。よろしくお願いします。