2011年2月10日木曜日

ローカリゼーションマップをビジネスで使っていく

さまざまなデザインに「ローカリゼーションマップの実践を考える」を書いた

ヨーロッパ文化を事例にローカリゼーションの重要性を説き始めたが、今の日本ではヨーロッパという言葉自身が距離感をもたせることに気づき、ローカリゼーションを前面にして活動をはじめて3月で1年になる。このあいだに、どういうカタチにすれば、これが社会に貢献できるのか、つまり「効く」のかをひたすら考えた。もちろん、ただ考えているだけではだめだ。それを世の中の色々な人にあてて、フィードバックをもらわないとどうしようもないと認識していた。その第一歩が、勉強会の実施だった。ローカリゼーションマップ研究会は、こうしてはじまった。

想いは伝えやすい・・・とみられることがある。しかし、それは想いは曖昧だから伝わったと思いやすいという誤解でもある。想いは当然大事だが、その前に、発信者の趣旨が正確に伝わることが何よりも優先されないといけない。ロジックはこうなんだからと説明する意味で『ヨーロッパの目 日本の目』はエピソードを基に書いたが、分かる人には分かったが、分からない人には分からなかった。もう一つ違うレイヤーでの関心を掬う必要を感じた。

ビジネスに文化理解は必須科目であると語るだけでは、やはり想いの域から出られない。ヨーロッパのブランド戦略の裏側に文化戦略がどんなにあるかと説明しても、少なくない日本の人にはリアリティに感じられないようだった。そもそもブランド戦略自身の大切さに確固たる認識が薄いということもある。しかし、認識は薄かろうがなんであろうが、ここがしっかりしないと長期戦を太く戦えない。

昨年10月からスタートした日経ビジネスオンラインの連載では、日本企業を中心としたローカリゼーションへの取り組みを紹介してきた。確かに違ったレイヤーに声が届くようになった。それも桁の数の違う人々の目に触れるようになった。その後の勉強会やセミナーに参加する人たちの声を聞き、ローカリゼーションというアングルからビジネスを語ってきたことが間違っていなかったと確信した。

海外進出するにあたり、本当に、右往左往している人たちがたくさんいる。

試行錯誤は当たり前だが、ある枠組みを決めない(決められない)ために、いつまでも「俺は市場を分かったと思えない」という不安がつきまとってばかりいる。無駄な精神的負担だ。それだけではない。実に効率の悪い市場理解を常に迫られるのは、経済的ストレスでもある。そこをバサリと切り捨てようというのがローカリゼーションマップだ。これで分かったことにする、というラインをセットするのが術だ。

「なんだそんなことか」と言う君、それは分かっていない証拠だ。