なんのためにヨーロッパ文化を理解するかという目的をはっきりさせることが重要です。先日も書いたように、最終的にビジネスリターンを生むためのヒントを考えるというのが「ヨーロッパ文化部ノート」の目的です。ぼくが昨年、47回にわたってブログ「さまざまなデザイン」で書いた「2008ミラノサローネ」は、ヨーロッパ市場における日本製品の「見せ方」をテーマとして取り上げました。企業ポリシーや製品コンセプトの伝え方です。これらにもっと改善の余地があると感じました。
先日、テレビ朝日で正月に放映された『サンデープロジェクト』をDVDで見ていたら、「フィンランドにこそ、日本が学ぶべき点がある」と経済ジャーナリストの財部誠一氏がフィンランドをレポートしていました。どうも昨年も北欧の国を取り上げたようですが、そしたら非常に大きな反響で、それもネガティブなものも多かったといいます。「人口が日本の20分の1以下の国は経済規模も全く違い、参考になるはずがないじゃないか」という批判に代表されるものでした。
「外国に学ぶべき」と声を大にするほうもするほうですが、日本と同じサイズの同じ環境の国なんて世界中どこにもないのに、相変わらず、多くの人は同じ視点で見ているのだなとため息が出ました。「どうして、コラボレーションするパートナーとして欧州を見ないのだろう・・・」と思います。モノやコトを一緒に作り、売り、そして一緒に儲けるのもコラボレーションです。そうすると違った風景が目の前に広がってきます。
下記は、メルマガで「万華鏡」というタイトルで英国の生活を書いている方の文章の一部です。イギリス人と結婚された40代後半の日本人主婦で、在英20年以上のようです。毎回、しっかりと長い文章を書かれています。「西洋人を賢くさせてきた」「世界をリードし続ける西洋人」など、表現に少々疑問符がつきますが、それは寛容にうけとめましょう。
実際のところ、進化論も創造論も、イギリスにおいては教養だと思います。創造論を支持するなら、進化論を論破する以上、その進化論に対する知識は必須だからです。新聞の記事でもエッセイでも、キラリと光る文章を書くジャーナリストは、宗教と科学と歴史の知識、聖典からの引用、文学と芸術と詩的表現、それにラテン語とフランス語をさりげなく織り込み、教養の高さを示すのです。それでいて自分の意見もはっきりと提示して。
自分の考えを持ち、違う考え方について知る。これこそ、西洋人を賢くさせてきた術法だと感じます。情報がいくらでも簡単に入る現代、これからも、英語でも日本語でも、ただのおしゃべりだけではなく、哲学するという観点から、お互いの進化のために、色んな人と論じていきたいと思っています。
日本に住んでいるのなら、西洋人とのつきあい方というような術は個人のレベルでは必要としないかもしれませんが、グローバル化がこんなに進み、経済も一蓮托生の影響下にある現在、世界をリードし続ける西洋人の考え方の土台となっている部分についての知識を持つというのも悪くないと思います。
この方はイギリス人の男性と結婚し、イギリスで成長した子供たちと一緒に生活するうえで、欧州の考え方を身につける必要があったでしょう。それを自覚なさったうえで、「西洋人の考え方の土台となっている部分についての知識」という書き方をしています。これが、ビジネスの世界での「コンセプト構築」や「プラットフォーム形成」という話題に繋がっていくと思うのですが、大変残念なことは、このような個々人の知識や知恵がビジネスの世界に上手く翻訳されていないことです。他方で、日本における西洋文化に関するアカデミズムの蓄積が、同様にビジネスの世界に還流していないという状況があります。唐突ですが、その一つの例が、電子機器のインターフェースの開発ではないかとぼくはみています。
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