私もビックリしましたが、こういう傾向は、日常人々と話していても、時々引っかかってくるので気になります。
つまり、「今の資本主義はもう、やめてくれ」(安田喜憲・国際日本文化研究センター教授)の全面撤退・ ガラパゴス化的な発言と、それに対する異常な感激的な支持。 同様に、新古典派経済学から「転向」したという中谷 巌氏の「資本主義はなぜ自壊したのか」における、同様な、「 ガラパゴス化」へ向かう、後退的な、 あるいは戦線放棄的な言説などと共通していますね。
典型的なのは:
<引用始め>
多分、この国は何時まで経っても「農村」なのだという気がする。戦後まで農業者が多数を占めていた国なのだから、 それからまだ高々半世紀しか経っていないのであればそれも道理。 この国は農地で米や野菜を作るのと同じ感覚で他のものも作ってい る。そう考えれば、「 作ってもらったものをおいしく戴いてもらえれば( 使ってもらえれば)それで十分」という感覚も、 案外納得できるし、 それが実はこの国の人々が本当に望むところなのかもしれない。 それだったら寧ろそういう方向へ向かった方が、 メンタル的に安定した社会を実現できるのではなかろうか。 何でもかんでもトップを狙えばいいというものではないと思う。
<引用終わり>
の様なコメントですね。こういう考え方は、若い人にも多いですし、中年にも居ます。
なにか、競争的な口上や発展の努力をすべてギブアップしたところで、 なにか、縄文・弥生の時代に繋がるような、 最終的な癒しを求めてそこにとどまりたいと言う「願望」 をもっている、もうそれしか考えたくない人々です。
何か、日本人はそれでいいのだ、と言う「予定敗北主義」〈カルヴァンの教説をもじれば〉 見たいな所へすーっと流れ落ちて行くような雰囲気を感じます。
ところで、二年ほど前の日経BP-Online で取り上げていた、東工大の矢部孝教授のグループが「マグネシウムサイクル」と言うリチウムイオン電池もふくめた、完結したエネルギーサイクルを提案していましたが、あれは、2~ 3兆円かけてもやってみる価値のある壮大なプラットホームの構想 であったのですが、その後どうなっているのか、Web にも何の情報もないですね。
日経BPのこの記事のコメントに以下のような若い方の意見がありました。これからに期待を膨らましているところに、就職活動で冷たくされている姿が浮かびます。「偉くなるのなんて待つのじゃなくて、壁をぶち破っていくんだよ」と言いたくなります。
就職活動をしていて同じような話をすると「技術の知識がない人たちだからそのような意見になるのだ」とのお叱りを受けます。私はどうしても日本の企業のビジネスシステムを変えていきたいと思っているのですが、偉くなるのをじっと我慢するほかないのでしょうか?
マグネシウムリサイクルプロジェクトですか・・・。市場規模の大きな話です。
返信削除話が詰められないのは、既存の技術を応用しようにも、どこから類推すればいいのか、がわからないからでしょう
か・・・。スチールの空き缶や、紙などの単一材料とちがって、電池の中のマグネシウムをどう、取り出すのか。
推測でよろしければ、推しすすめますね。
リサイクルより、リユースの考えが定着しつつある。
リユースの考えの中には、「製造時(設計含む)に使用量の無駄をなくす」
ことも含まれます。
最初から、ルサイクルを考えると、かなりの膨大な規模の資金とシステム構築がかかります。
悲観的にとらえると(最悪リスク想定)、最初から、電池自体の粗悪化、簡便化に伴う質の低下をもたらすことが懸
念されます。波及事態として、システム構築にこだわると、さらなる技術革新への対応が遅れる、仕様変更のつ
ど、システムの変更が必要となるのではないか、と思われます。
私が、例として述べたいのは、1990年代の、日産自動車における、製造過程のロボット化です。工場のコスト削
減として、無人化を狙っていました。ところが、ロボットを制御するソフトの世代交代ごとに、システムを更新しなく
てはならなくなりました。
よろしければ、続けさせてください。
ありがとうございます。
返信削除もちろん、続けてお書きください。
> 偉くなるのをじっと我慢するほかないのでしょうか?
返信削除海外流出頭脳組の方は、待っていなかったと思いますよ~(^^) あ、でも書いた者勝ちというのもありますね。その点では安西さん、いいジャブ放ってますよ。
日本にいると、何だか日本で一番にならないと外国に行っちゃいけない雰囲気を感じます。でも日本代表じゃなくたって海外に行ってもいいのにね。最近はプロ野球でも高校生がアメリカの大リーグに挑戦しているし。
安西さんとは逆に海外が技術的に先行している対人援助技術の直輸入代理店のようなことをしているワタクシ、この時代でも現場の鎖国感覚、そしてそのことに問題を感じない(?)ところに違和感を感じております。
がん治療にしても、数年前にようやく日本は海外100ヶ国比較で下から2番目ぐらいだと気づき、あわててがん対策、治療に本腰を入れました。外から自分たちを見ないとわからないことが多いのに、なかなか海外との継続的対話を続ける専門職が少ない、特に医学を除く対人援助の専門職業界…。患者やサービスのユーザーサイドの法がよっぽど海外のサイトをチェックしていることもあります。
数年とか数ヶ月とか一回、海外に勉強に行っても、どんどん業界は進展するのに、フォローがないからグローバルスタンダードのレベルの知識、スキルがベースラインになっていない国内の「先生」-_-;
業種は異なりますが、社会福祉、司法とまたがるところをターゲットにどうしようかなぁと考えていた時に、プラットフォームという観点、とても参考になりました。thank you.
Aiさん、ありがとうございます。
返信削除この若い方、外に出ますかね。いい職をみつけてくれればいいですが・・・・。
野茂の後あたりから、「志向としての海外流出」が日本で認知されてきたと思っていたのですが、どうも風向きが又変わってきましたね。先日も20代の人と話していたら、「外国でがんばる根性が同世代から評価される」と言っていました。それ以上でも以下でもない・・・。
>患者やサービスのユーザーサイドの法がよっぽど海外のサイトをチェックしていることもあります。
この話、他の業界でも聞きました。今までメインストリームでやってきたと自負しているプロ(会社から専門職まで)は、案外、ユーザーのもっている情報をフォローしていないのですね。自分を通過してすべての情報が届くと思っているようです。しかし、この今の時代、そんなこと現実的に無理なんです。自分の期待される役割を考え直さないといけないですよね。
探っておいでのアイデア、実現することを祈っています。
tatsuya記。匿名になってしまいました。
返信削除21日に続けます。
おそらく、マグネシウムやりチウムの取り出しは、電解液中(リチウム・マグネシウム含有)に電極(炭素でいいか)をつっこんで、電気を通す。何個も大量に回収した電池の湿ったところを硫酸などの酸で薄めた後に、電気分解析出させるのでしょうか?
パソコンや携帯電話の電池では、再生に手間がかかると思われます。割に合わない、と。
今後、電力用、電気自動車用のバッテリーの再生活用に向けての、リサイクルでしょうか。
本日の以上は、技術的な発想点にとどまります。
私が、最初申し上げた、リユースという発想からは製造時のむだを無くすために、規格標準化の法的な規定を行う。これぞ、国家が行う核でしょうか。
開発などは、研究機関、大学や、民間の活性化により行う。
缶やペットボトル、ごみの分別のような、意識における定着や啓蒙も必要かと思われます。
tatsuyaさん
返信削除リユースのスタンダード作りですね。今日のエントリーで書いたように、「尖った理念」というのを作って、突っ走る必要がありそうです。これは、やらざるをえないです。苦手意識で遠巻きに傍観者でいられるときじゃないです。
Great article and very interesting blog :)
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