1週間ほど前に書いた「プラットフォーム作りに無関心?」というエントリーに匿名さんより、以下のコメントをいただきました。
ISOなど国際標準化会議では毎度この種の慨嘆が出ます。経営者の時間軸上の視線如何よりも、日本の文化的状況でしょう。お釈迦様の手のひらは与 えられるもの、その上で上手に踊ることに専念するのが先輩達でした。
会議の出席者達はその手のひらを自ら作ろうとしています。その努力や独創への評価には 彼我の差がまだ大きい。それは日本国内では企業間の踊りの競争を第一としているに対し、それを見ている欧州では手のひらをどうするかから検討します。
かつ てのVHSとベータではかろうじてフォーマット競争となり、欧州の戦略から逃れられたと認識します。このストラテジへの評価の土壌は成功例の積み重ね、つ まり文化レベルに到達するしかないでしょう。簡単ではありませんが、現場諸氏のご尽力で確実のその方向にはあります。必要なのは応援です。
ぼくもISOの会議の様子は若干知っていますが、この方が指摘されているように、「手のひらで上手に踊る」という表現が良く分かります。「手のひらを作る」「手のひらを作った人を評価する」応援が必要だと書かれています。このヨーロッパ文化部でも、大いに応援したいと思います。プラットフォーム作りに動いている人達を、どんどんここでも取り上げます。
セカイカメラの井口さんが、今日のブログで次のようなことを書いています。
http://d.hatena.ne.jp/roadracer/20090227
それはともかく、大垣に来る直前、東京芸大の桂先生とお話させていただく機会がありまして、その際に「プラットフォームの構築こそがコンテンツの開発なんだよ」「ソーシャルネット的なシビルエンジニアリングこそがこれからの通信分野のフロンティアなんだよ」というお話をお聞き出来、まさに「その通り!」と膝を打っていました。
全部お話ししようとすると非常に遠大なストーリーになってしまうのですが、ウィキノミクス的な「集合知によってドライブする生態系」をウェブサービスなりモバイルデバイス用アプリなりを繋ぎ合わせて「社会活動的に(シビルなエンジニアリングとして)」回して行くことこそが新しいコンテンツ流通の肝なのだと思います。
プラットフォームがコンテンツを規定する。だけでなく、それが新しいシビルエンジニアリングを浮き彫りにして組織化を促して行くことは、たとえばここしばらくのFacebookに代表されるソーシャルネットの勃興によってリアルに認知されつつあると思います
0 件のコメント:
コメントを投稿