ヨーロッパのCSR(企業の社会的責任)についてブログを書いている藤井敏彦氏が、北欧のCSRについて触れています。企業による寄付(フィランソロピー)の部分を引用します。アングロサクソンの文化では企業と社会が切り離されており、そこで寄付が両者をブリッジしているのに対し、北欧の企業は両者が分離されていないため、寄付は社会的に敬意を受けるのとは逆の方向に見られるとあります。
これはぼくも知らないことでした。少しフォローしてみます。
下線部に注目してください。なんと、「フィランソロピーは軽蔑されることもる」! 社会保障の進んだ国では。もちろん、社会保障の進んだ国の典型 が北欧諸国であります。フィランソロピーはもともとアングロサクソンの概念であることは知っていましたが、それにしても企業の善意の寄付を軽蔑しなくても いいじゃん、と。そこで何人かの北欧出身の友人にこの疑問をぶつけてみました。
ニッポン・フジイジム局長「フィランソロピーって軽蔑されたりするの?」
デンマーク・ピョートル大帝君「そうだよ」(あっさり)
フィンランド・アンヌ隊員さん「そうよね」(可愛らしく)うーむ。。。最終的に最も納得できる説明をしてくれたのが大親友にして畏友、オランダ人にして完璧なフィンランド語を話す(らしい)アレキサンダー氏でした。曰く
「アングロサクソンの社会では企業と社会が切り離されている。それをつなぐものがフィランソロピーという利益の社会還元。北欧の社会では企業と社会 が一体になっているからフィランソロピーという概念は必要ない。従業員は同時に市民であり父親であり母親である、その前提が会社に浸透している。社会と会 社の壁がない。フィランソロピーと聞くと会社と社会の距離を感じる。」
なるほど。単純化してしまえば、「育児休暇は短いけど寄付に熱心な」アングロサクソン系企業と「従業員に2年の育児休暇を与えるけども寄付はしな い」ノルディック系企業。どちらが社会的責任を果たす企業でしょう。みなさん、どう思いますか。さらに加えれば後者の企業は高い法人税を負担していて市民 の様々な社会的活動は税金によって担われている。全体として見るとどうでしょう。日本のCSRを考える際にこの二類型をどう考えればよいのでしょう。
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