2月9日の「コンセプト構築から具体策立案までのスピード」(以下)を書きました。
http://european-culture-note.blogspot.com/2009/02/blog-post_09.html
これに対して、八幡康貞さんより、下記のようなコメントを送っていただきました。
これについては、面白い話を読んだことがあります。
* フランスとドイツの会社の間で、共同事業などが進んでくると、コミュニケーションギャップも生まれているようです。
フランス人の目からすると、「コンセプト」とは、主としてイメージの問題であると見えるので、フランス側は、ある事業計画のコンセプトを持ち寄るという場合、イメージを膨らませ、展開させることに一生懸命になるのだそうですが、ドイツ側は、コンセプトを、事業計画素案としてとらえ、段取りから、組織、責任分担、マーケティングの押さえ所、事業の資金計画など、事細かにかつ具体的に練り上げてくるというわけです。
コンセプトそれ自体の論理化と、実践の為のコンセプトという違いがあるのかもしれませんが、フランス人が受けるドイツ側についての印象が、日本人が、フランス人とコンセプトを語る場合に、フランス側から受ける印象に類似性もあります。
コンセプトという言葉が指す領域が違うことを指摘されています。ドイツでより具体的で実践的な部分を重視する傾向を経験された方の文章だったようです。以下で八幡さんは、フランスからみるドイツ、ドイツからみる日本、これらに似た点があるところを面白いとおっしゃっています。ぼくもデザインでコンセプトという時に、日本ではどちらかというと機能的な側面により目が行きがちで、そのデザインそのものの根本、いわばそのデザインがユーザーにとってどういう印象で頭に残るかを一生懸命議論するイタリア人を前に、その両者の違いを感じることがよくあります。
* さらに、日本の会社と、製造、開発、販売などで協力関係に入ったドイツ側の企業の人は、日本側の意思決定が長期にわたり、イエスか、ノーか、の返事すら聞こえてこない。堪忍袋の緒が切れそうになると、日本側から、協定調印の話が来る。代表者が日本に来てみると、調印を済ませたばかりの協定の為に、新しい工場の建設や、生産の手はずが整っており、様々なセクションや日本側の関係企業との間の話し合いも出来ていて、あっという間に事業は具体化されるのだ、と言っていました。根回しですね。
この場合も、フランス側が、ドイツの企業から受ける印象と、ドイツ側が日本企業から受ける印象が、似ている点が面白い。
どうも、それぞれの国(民族)独特の考え方というよりも、異種の集団が出合う「場」に望む際の、むしろ意識下の次元での思い入れや態度の違いが、こういう事例に出てくるのではないでしょうか。もっと、分析的に考えてみるべきだと思いますが、実例があまり出てこないのが難しいところです。当事者は、あまりそう言うことを語らないようですから。
勿論、日本と、スランス・ドイツ等の内だに在るコミュニケーションギャップの重大さは、問題として残ることは事実ですが。とくに、日本では、'言葉(論理)を道具として(武器として)使い切る為の訓練が不十分でることは否めないでしょう。
「それぞれの国(民族)独特の考え方というよりも、異種の集団が出合う「場」に望む際の、むしろ意識下の次元での思い入れや態度の違いが、こういう事例に出てくるのではないでしょうか」という部分、これからよく考えてみたいと思います。
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