以前に紹介したセカイカメラが、今週、東京で世界初公開されました。以下のように、色々と記事になっています。
http://plusd.itmedia.co.jp/mobile/articles/0902/19/news089.html
頓智.の井口尊仁さんが、ご自分のブログに以下を記しています。オープンプラットフォーム化を推進する理由を書いています。ヨーロッパ文化部ノートは、プラットフォームの形成にあたり主導権をもつことが大事と主張しているので、ケーススタディとしてレポートします。
http://d.hatena.ne.jp/roadracer/20090221頓智.の井口尊仁さんが、ご自分のブログに以下を記しています。オープンプラットフォーム化を推進する理由を書いています。ヨーロッパ文化部ノートは、プラットフォームの形成にあたり主導権をもつことが大事と主張しているので、ケーススタディとしてレポートします。
iPhoneで現実をタギングするという表現を最初に用いたのは、確か TechCrunch の Erick Schonfeld だと思いますが、この表現はシンプルでとてもいいと思います。しかもセカイカメラのソーシャル属性を適切に言い表しています。<中略>
そもそもリアルワールドのソーシャルタギング環境を、より厳格な意味でのAR技術にすべて収納してしまうことは不可能です。デジタルレイヤーで現実空間を拡張することは情報操作のアプローチとしては非常に有効です。ただ、それをアンビエントとして(=社会活動の一環として)あまねく利用可能な状態に拡張しようとした場合、デバイス・オリエンテッドなフロントエンド技術だけで実現するのは困難です(センシングやインタラクションは手段であって目的ではない)。
それと同じ意味でロケーションウェアとしてセカイカメラを語ってしまうのにも抵抗があります。なぜなら人の社会行動には場所以外に時間や状況など、より多層的なコンテキストが存在するからです。
セカイカメラをオープンプラットフォームにしたいというのは上の様な考え方がベーシックにあります。フロントエンドとしてのセカイカメラばかり見ていては見えない部分、バックエンドのクラウド領域は重要です。
ユーザーの社会的活動というクラウド(ソーシャルネットの束)と、インターネット側の多様なマッシュアップを実現するクラウドとの掛け合わせこそがセカイカメラの対象領域だと思います。
0 件のコメント:
コメントを投稿