先週に引き続き、藤井敏彦さんが下記「CSRの本質」で北欧のCSRについて触れています。「北欧の企業はCSRのグローバルな性格を認めた」という部分がポイントだと思います。日本の企業はそうではなかったというのです。
http://wiredvision.jp/blog/fujii/200902/200902231300.html
この藤井さんが、半年以上前のエントリーで「あるルールが国際的な訴求力を持つかどうか、最大のポイントは理念の強さであって円滑な実施ではありません」と書いています。ここがよく日本サイドで「実施できなきゃあ意味ないじゃない」と言って、その理念のポジションを誤解する部分です。
http://wiredvision.jp/blog/fujii/200806/200806230800.html
「尖った」規制をつくることが日本は不得意です。いや、こう言うと語弊がありますね。正確に言えば、日本の社会は尖った規制をつくることに価値を置かない。
マスコミの報道を見ていれば明かです。ほんの些細な法令違反でも書き立てるのが昨今の新聞ですよね。法令は施行されたその瞬間から完璧に守られているべきだという社会的前提があります。このような社会的な状況下では、RoHS指令やその後のREACH(ものすごく革新的なEUの化学物質規制)のような鋭角的ルールは生まれてきません。
EUの法令は多分に理念的で、少なくとも当分の間きちんと実施されるなどとは誰も思っていない。法令違反の状態が一定期間続くことが暗黙の了解です。逆に言えば、それくらい革新性があるということです。革新性は環境保護の理念から来るもので、よって、他国の環境当局にとってとても魅力あるものに映ります。カリフォルニア州とかが真似する所以ですね。
日本は真面目なので規制つくるまでに徹底的に調整するでしょ。そして、施行当日からきちんと実施される。逆にいえば、実施可能なものしか法律にはならないのです。当然、角がとれる。あるルールが国際的な訴求力を持つかどうか、最大のポイントは理念の強さであって円滑な実施ではありません。
去年、ぼくが下記「さまざまなデザイン」で、アート作品やデザインの世界でも、ヨーロッパ人には抽象的な理念を説明すべきと強調したこととダブってくる内容です。
http://milano.metrocs.jp/archives/128
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