2009年1月22日木曜日

ヨーロッパ文化部への道-1




2009年を迎え、自分の発信地をもう一つ設けようと思います。そのもう一つは「さまざまなデザイン」(http://milano.metrocs.jp/)ですが、このブログは「ヨーロッパ文化部ノート」と名づけます。

昨日、約2週間の日本滞在を終え、ミラノに戻る飛行機を成田空港で待ちながら、ヨーロッパ文化部プロジェクトをどうしようか考えました。2007年夏、日本とヨーロッパの距離感を縮小する試みを始めようと思いました。そして、イタリアの40年近く住む建築家の渡辺泰男さんに相談しました。

それまでの17年間の欧州体験で、日本でヨーロッパを見るべき人たちが見ていない、それにより大きな経済的障害を負っていることを痛感してきました。特に日本のグローバル企業で働き、欧州市場を相手にする人たちのための文化理解を促進する活動の必要性を感じていました。

2007年秋、さまざまな文化人の意見を聞き、行き先を模索しました。多くのエキスパートを集めて何かできないか・・・というのが当初のアイデアです。しかし、一つの方向に集約させるのは極めて難しいと思いました。その後に書いたメモがあります。題名は『欧州文化部に関する企画メモ』(2008年1月7日)です。あくまでもアイデアを書き留めたもので、他人を説得するためのものではありません。

<ここから>

0、はじめに

 2007年11月6日、グーグルが携帯電話向けプラットフォーム「アンドロイド」の計画を発表した。ハードとソフトの境界がなくなりつつあり、全てはネットワーク端末となっていく。

シリコンバレーのベンチャーキャピタリスト・原丈人.が著書『21世紀の国富論』のなかで、近い将来には現在のPCはなくなるだろうと記している。あらゆる製品はハードとソフトが一体化したものとなる。そして人間が機械にあわせるのではなく、機械が人間にあわせるようになる。そのとき、日本は米国に対して有利に立てると書いている。ものづくりの伝統が残っている、ロジックではなく直感でアイデアを作っていくからだ、と。はたしてそうだろうか。少なくても、日本の弱い部分も指摘するべきではなかろうか。

 ソフトこそ文化性が強い。テイストだけの問題ではない。ユーザーの思考方法と密接な関係をもつという意味で文化性が強い。しかし、一体、日本のメーカーはどれだけ他国文化についての知識を獲得してきただろうか。あるいは、欧州の販売の前線で戦ってきた人たちの経験やノウハウが、どれだけ日本で商品を企画する人たちに伝わってきただろうか。

 ユニバーサルデザインは既に当然のものとして受けいれはじめている。が、この「ユニバーサル」は個々の文化を配慮したうえで企画されたものだろうか。

コンテンポラリーアーティスト・村上隆が『芸術企業論』で西洋美術におけるコンテクストの重要性を説いているが、これをものづくりのプロセスに置き換え、その意味することに気づき実行に移している人がどれだけいるだろうか。

 表層的な差別化に人々は飽き飽きし始めている。深いところでの価値共有や共感がない「もの」に目を向けない時代になりつつある。文化理解が必須科目になってきた。


1、『欧州文化部』が目指すもの

本メモのものづくりで指す「もの」は、いわゆるハード製品だけを示すのではなく、ソフトも同様に重要であり、また都市あるいは建築空間をも包括している。

我々の目的は二つある。一つ目は、これらの「もの」が欧州文化のなかに受容されるために必要と考えられる基礎知識やヒントを提供することである。二つ目は、良い「もの」を生み出すために役立つと思われる環境はどうあるべきか、特に日本の空間に対して指針を提示することだ。

すなわち、一つ目の目的は、ソフトも含むメーカーのビジネスを支援することを念頭においており、二つ目のそれは都市・建築空間を企画する人たちをアシストすることになる。この両方を目的とすることが、質の高いものづくり発信地であるための必要十分条件を整備することになると考える。

また、長期的な視点から、中央官庁や大学等の教育機関との連携も欠かせない。将来、商品企画を担当するだろう工学系統の学生達に「文化とは何か」と欧州を例にとりレクチャーする意味は大きいだろう。もちろん、地域研究専攻の学生に「文化知識の使い方」を教示することも重要である。

 『欧州文化部』は、アカデミズムでの範疇によれば、地域研究の領域になるだろう。したがって、歴史学、思想史、宗教学、社会学など従来の学問領域を横断的に巡ることになる。ドイツ学やフランス学など各国学の実績を十分に使いたいと考えているが、欧州に関する知の集積は膨大だ。これらを有効に活用していくにあたり、特に新たな視点として、文化人類学や認知心理学に頼ることは多いと思う。

2、「欧州」とはどこを指すか

 EUは旧共産圏である東ヨーロッパを含んでいる。過去、辺境とされてきたがゆえに、地中海世界と並んで文化人類学の重要なテーマ対象となる地域だった。そこで我々は将来それらの地域もカバーしたいと願っているが、スタート時点では北欧三国を入れた西ヨーロッパを対象としたい(フィンランドまでを西欧とするには色々と議論があろう)。「幻想としての西洋」を日本の人たちに実体像として解きほぐしていくという目的があるため、まず西ヨーロッパを理解することが出発点となる。他の地域はじょじょにカバーしていきたい。尚、あるテーマについて地域比較する場合、北欧・中欧・南欧といった三点から見ていくのが理想だが、二地点からのスタートになるかもしれない。

3、どのようなアプローチをとるか

我々はアカデミズムの成果と実ビジネスの経験という二つを組み合わせていく。アカデミズムにいささかでも貢献できることがあるとすれば幸いだが、実業界に啓蒙・貢献することを目的とする以上、ビジネス的な要求にミートさせるという立場は崩せない。ここで我々にとって重要なのは我々自身の「視点」と「表現能力」である。

指針として喩えると、NHKのドキュメンタリー番組が我々の理想とする表現レベルである。その分野とは無縁の人でも面白く理解できるが、該当分野に関わっている人でも唸らすことができる。書籍でいえば、ノンフィクションの世界だ。あまりに図式的なカテゴライズされた表現をできるだけ避けたい。記述方式をとり、次々と興味をひくエピソードの提示が自然と文脈理解につながるという形をとりたい。がちがちの論理ではなく、どちらかといえば、「ゆるい論理」でテーマを構成していく。いわば南欧知を活用して欧州全体をみていく。

4、「入り口」のテーマは何が考えられるか

セミナーなどを考える場合、「文化とは何か」「文化変容の意味するところ」「欧州の自然環境と文化的特徴の関係」など基礎的ステップを踏んだ後に、対象とする人たちが高い関心をもつテーマに絞込み、そのテーマの歴史的・社会的・文化的コンテクストを紐解いていく。TV番組や書籍の企画も、この趣旨にあった路線を探っていく。下記にそのアイデア例をいくつか列挙する。

4-1 北欧やドイツがエコロジー先進国と呼ばれるのは何故か

国際自然保護連合や各団体の指標から先進国と呼ばれている。どこに他国と違いがあるのだろうか。個々の政策や製品のレベルの問題なのだろうか。それとも全体的な文化価値体系のなかで、根本的な違いがあるのか。こういうポイントを南欧のエコロジーや、社会文化成熟度の指標となると言われる精神医療への取り組みなどを比較しながら突き詰めていく。

4-2 紀元前の船とアメリカズカップのヨットをつなぐもの

1983年、アメリカズカップに初めてイタリアチームが出場し、3位に入った。この「アッズーラ」を製作したのがマルコ・コバウ。その後10数年を経て、彼は2800年前にアドリア海を走った船を、材料も含めて図面から再現した。資金は刑服役者の社会復帰のためのEU予算を使った。彼の経験したプロジェクトを通じて、EUと文化のあり方を考える。

4-3 欧州に「自動車文化」はあるか

日本で都市部の若者がクルマに乗らなくなったという。クルマという乗り物自身に関心が低くなってきていると言われ、同時に「結局、日本に自動車文化は根付かなかったのだ」とも論評される。しかし、欧州に「自動車文化」というものが本当に存在するのだろうか。工業製品一般に対する文化的文脈の日欧の違いについて考察していく。

4-4 職人が生きられる都市空間とは

欧州の街のなかに、職人が仕事をする空間が残っている。靴、バッグ、楽器、色々な職人が、華やかなファッションストリートからそう遠くない所に工房を構えている。どうして彼らは都市郊外に追いやられずに生きれるのだろうか。 都市計画の歴史や都市空間のあり方を考えていく。

4-5 食文化に「豊かさ」は必要か

当たり前のように語られる地中海食文化の「豊かさ」であるが、生活の質が高いといわれる北欧で、どうして同様の「豊かさ」がないのか。それは、豊かさの表現方法が違うのではないだろうか。とすると、食文化における「豊かさ」とは、どのような生活文脈で捉えられるものだろうか。

4-6 ファッションの地域差の意味するところ

イタリアのファッション産業は、フランスファッションの下請けから始まったと言われる。しかし、それは単に繊維産業の基盤や人件費の問題だけでなく、ファッションセンスも問われただろう。どうしてドイツのファッションは「ダサい」のか。フランス、イタリア、ドイツの三極から、ファッションを巡る文化的背景を描いていく。

4-7「男らしい」デザインは化石か

ユニバーサルデザインとはジェンダーを乗り越えることではなく、ジェンダーそのものを尊重することではないか。それにも関わらず、日本製品のデザインの多くは中性化しつつある。一方、ドイツの高級車にみられるように、確固たる「男らしい」デザインが、よりジェンダーフリーと言われる欧州で絶えることがない。欧州におけるジェンダーとデザインの関係を考察していく。

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