2009年1月26日月曜日

小国の重層的なしたたかさ





昨日の文章に、早速、八幡康貞さんよりメールで下記フィードバックを頂きました。ご意見に同感です。ぼくの昨日の文章で一つ欠けていた点を追加しておきたいです。ぼくが内向きを素の姿と表現しているのは、いかなる努力も放棄したネガティブな姿ではありますが、今の閉塞的な日本では、こういうベースから話すしかないのではないのかという認識があり、そのような書き方をしました。

ぼくは決して内向きを「自然のあり方」として肯定的に捉えているのではなく、「努力の欠如した」自然であるがゆえに否定的におさえています。昨日の文章の冒頭に海で戦うヨットマンのイメージを使ったのは、そのような姿を目指すべきものとして考えているからです。

<ここから引用>

内向きと外向きを較べれば、内向きの方が自然で本来のあり方だというのはどうでしょう。

古事記、日本書紀以前の日本は、結構外向きであったと思われます。朝鮮半島の諸王国とのかかわり合いがそうです。倭国・大和朝廷時代の日本を見ると、内向きが、すなわち日本人の自然の姿であるとは思われませんし、内向き一辺倒でなかったことが、日本の(柵封からの)独立、つまり、日本という固有の文明の成立に欠かせない条件であったように思います。

いまの日本が内向きに偏心している社会であることは、マスメディアのニュースの内容を、とくにヨーロッパのそれと比較してみるとよく判ります。世界の中での日本の立ち位置を、読者が判断できるようなニュース配分をしているとは言えないでしょう。日本という国の、サイズや能力から考えてみれば、日本人が自分の国の状態を、世界各国の政治・社会・経済・文化との関係で鳥瞰できるような心象地図をもてることが、生き残る為に重要だと思います。

マスコミ報道の内向き偏心も、翻訳物の文学作品が売れないというような現象も、現在の日本社会に蔓延している閉塞感、ペシミズム、いやむしろそこはかとなく漂っている一種のニヒリスティックな気分に対応しているのではないでしょうか。

国内市場が、人口構造の変化に伴って、さらに矮小化して行く近未来を考えると、外向きに舵を切り替えることこそが生き残りの条件だと思います。

幕末期の江戸幕府は、総じて日本国を『弱小』な『小国』であると、クールに認識していたからこそ、海外情報の収集と分析につとめ、ペリー艦隊の来航以前に、アヘン戦争やメキシコ戦争等の経緯を分析し、平和裏に、かつなるべく有利な条件で修好条約を締結する戦略を立てた上で交渉に当たった、しかも、当時はまだ超大国でもなく、海外拠点もなく、外交的にも弱体であった米国を、最初の交渉相手と狙い定めていた(加藤佑三氏、井上勝生氏など)そうです(ロシア、フランス、イギリス等からの修好・通商条約締結のアプローチは、ペリー来航まですべて断っていた)。湾岸戦争の時、ペルシャ湾諸国の新しい地図もなく、大慌てをした外務省のことを考えると、感無量というところです。

スイスやスウェーデン、フィンランド、など、ヨーロッパの『小国』の、外向きの、重層的なしたたかさに、日本はもっと学ぶべきではないでしょうか?

世界的に見れば、いまや日本は「大国」に取り囲まれています。EEC/EU 成立以前の、ヨーロッパの小国群と、相対的にきわめて似た状態におかれているわけで、もはや、内向きに舵を切るなどというゼイタクはやっている余裕などない筈です。

<ここまで>

八幡さんのおっしゃっている「大国」「小国」とは絶対的な人口や経済規模を言っているのではなく、「大国」「小国」とはあくまでも相対的な関係を示唆していると理解しています。ここに重要な視点があると思います。

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