2009年1月25日日曜日

内向きか外向きかは必要性の問題





先日、日本で色々な人たちから、拙著『ヨーロッパの目 日本の目ー文化のリアリティを読み解く』に関する感想を直接聞きました。ヨーロッパや異文化と付き合った経験のある方たちは非常に肯定的な反応を示してくれます。また、そういう経験を具体的にもっていなくても、ある種の想像力を働かして読み込んでくれていることが分かりました。ただ、「何でも日本よりヨーロッパのほうがいい、と書いているように読めてしまう」という人も中にはいました。これは僕の意図に入っていないことでした。そう読まれてしまう書き方をしたのは、僕の力の至らぬ点ですが、一方では「ヨーロッパのことを書く人間は、何でもヨーロッパを良しとしがちである」という固定観念にとらわれている人たちがまだいる、ということでもあります。

実際、多くの分野でヨーロッパそれ自身が優位性をもつ時代ではなく、分野によって優位性は世界各地に散在する時代に移行していると言うべきでしょう。それでもある力、特に統合力や標準化への仕掛けなどに関してヨーロッパは力を発揮しています。しかも、EUという5億人を超える大市場を構成してもいます。つまり、かつてのように一方的にあり難がる必要もないですが、無視すべき存在でもないと考えるのが合理的と思えます。ここで、ぼくのもうひとつのブログ「さまざまなデザイン」で書いた内容を紹介しましょう。1月7日の文章です。内田樹氏のブログを引用して語りました

<ここから引用>

もともと、内向きであるというのは素の姿なようなもので、外向きであるのは好んで外向きになるのではなく、「外向きにならざるを得ない」から外向きになるのです。外国文化や外国人とは、好奇心以外に何の動機もなければ、普通の人たちにとっては「変わったもの」であり、必要あって外国人や外国文化と向き合うものです。必要性を満たさないと生きていけないから国際交流への努力が要求されるのです。かつてのべネツィアも英国も、必要あって外にネットワークを張っていきました。

韓国の電子機器メーカーと日本のそれらを比較した場合、前者が欧州ローカライゼーションが進んでいるがゆえに市場がシェアを取れているのは、韓国市場が小さいからだと思います。外に出て行かざるを得ないのです。後者である日本メーカーは欧州ローカライゼーションが中途半端であるがゆえに、市場での地位を低下させたところが多いとぼくは考えているのですが、それは「中途半端」に日本の市場が大きいからです。「中途半端」に大きいから、日本市場を軸においてだけで、そのまま外に持っていこうとしてしまいます。それで外で十分にマッチする製品を供給できないという結果に陥ります。

日本が国内市場だけで生きていけるかどうか?それはかなりネガティブに考えざるをえないのが普通で、いずれにせよ国外市場との取引を捨てるなどという発想はおよそ現実的ではないでしょう・・・こう考えるのが、ぼくの「生活実感」です。内田氏の「生活実感」とぼくのそれの間には、大きな乖離があったわけです。そして、本テーマについて、このぼくの実感に近いところを衝いているのは、池田信夫氏の以下ブログではないかと思います。

http://blog.goo.ne.jp/ikedanobuo/e/ec32a60c32d34a92fb9026e3c1d1a9bf

<ここまで>

あえて言えば、こういうことになるでしょう。内向きであるにせよ、世界は動いていきます。内向きで何年か何十年か、それこそ江戸時代のように何百年もの間、内向きでいるとしても、その際に国外の動きを無視することは得策ではなく、好き嫌いではなく「ヨーロッパと付き合わざるを得ない」人たちがいるのが現実です。その人たちの目的にあったヨーロッパ文化の理解の仕方が重要ではないか・・・と考えています。


0 件のコメント:

コメントを投稿