2009年3月7日土曜日

「正解主義」ではなく「修正主義」だと言うが・・・




日本の企業がプラットフォームの主導権をなかなか握れないのは、いつもどこかに正解があるのではないか?というビクビク感が底にあるからではないかと思うのですが、それが先日コメント頂いた「お釈迦様の手のひらで上手く踊る」という表現に繋がっています。

だから、日本の「正解主義」が就労意識の低下を招いたという話題は、よく理解できる一方、何か五十歩百歩の話ではないかとも思えてしまいます。社会は「修正主義」と言われても、そう思っているなら、なぜそれがグローバルビジネスに表現されてこないのか?と問いたくなってしまいます。

これはリクルートから転職した元杉並区立和田中学校校長の藤原和博氏の発言です。ぼくも「正解主義」の日本の学校教育を受けてきましたが、今の若い世代の就労意識の低下を学校教育と結びつけるとなると、その「正解主義」がより強くなったのか?ということになります。仮にそうだとしても、やはりぼくが気になっている、日本そのものがかかえる世界全体をみた場合の「正解主義」の相対的位置とその弱み、これが視野に入らない議論は、どうも説得力に欠ける気がします。

現場を見るのは大切ですが、もう一つの目を維持するのはもっと大変かもしれません。この「もう一つの目」をどう獲得維持するかを、ヨーロッパ文化部でも考えていきたいと思います。


http://techon.nikkeibp.co.jp/article/NEWS/20090306/166888/



藤原氏の言う正解主義とは,学校で「問題の答えは一つしかない」という視点で教育をすること。「液体と気体の違いはこう覚えなさい」と,答えを限定して教え込むことで,子供たちは「すべての物事には決まった回答がある」と思い込んでしまうのだという。

ところが,社会人として仕事をするようになると,正解主義では通用しない。「仕事とは,(一緒に仕事をするチームが)ギリギリのベクトル合わせを常に続 けること。正解主義ではなく修正主義なのだ」(藤原氏)。若者の離職率が近年,増加傾向にあるのも,こうしたギャップに遭遇した若者が「自分にとっての正解がこの会社にはない」と判断を下すからだと藤原氏は推測する。

0 件のコメント:

コメントを投稿