2009年3月12日木曜日

歴史と現実的な行動を結ぶもの

昨日のエントリーに対する八幡さんのコメントをお伝えします。磯崎氏は公認会計士のようですが、IT業界に強いようです。

面白いブログのヒント、有り難う御座いました。

この、磯崎哲也氏の所論は、大変すっきり述べられていますが、理屈を明快にするために、幾つかの重要な歴史的局面を無視したり、単純な2項論理で片づけたりしているところが目立ちます。

いかにも、ソフトウエアエンジニアの歴史論らしいです。

日本はこうなのだ、と言いきれない屈折したアイデンティティを、アジアを取り込むことによって、コンペンゼーションしようとして、多分、無意識のうちに、無理なアジア第一主義みたいなことになっているような気がします

こういう議論の立て方は、自意識過剰な後進国〈かつてのソビエト、最近の中国など〉によく見られることですが。

このような、「転向と過去への回帰」が大受けするような雰囲気は、病的だとおもいます。

この類の「歴史のまとめ方」にぼくがいつも感じるのは、どうも無理に歴史をひっぱってきていることです。「国家の品格」の藤原正彦氏などもそうです。「自虐史観」の反対は「自己陶酔史観」です。どちらもどちらです。

欧州の伝統の使い方が欧州の力になっていることは拙著にも書きましたが、この磯崎氏のような使い方を見ていると、「まあ、こういう時を我々は歩んできたのだから、今の状況は仕方ないよね」ということではないと、ご本人は否定しながらも、結局は後ろ向きにならざるを得ない。八幡さんの言葉で言うなら、「無意識のうちに、無理なアジア第一主義みたいなことになっている」ということになるのだろうと思います。

今、欧州統合に動いたフランスのジャン・モネの回想録を読んでいるのですが、彼が第一次大戦のとき、「19世紀的なコンセプトで動いていたら負ける。そのコンセプトを知らない知性が必要」と悟ったことが書いてあります。アメリカとの商売で、彼はそういう見方を獲得したようですが、コニャックのビジネスマンらしい発想です。でもこれは時代の転換期には必要な発想です。

我々は歴史に学ぶことが沢山あります。同時に、より現実的である行動をしていかなといけません。その時に、こういう歴史の使い方は現実的だろうか、そういう疑問が頭にこびりついて仕方がありません。少なくても、以下のようなFTの記事が、日本売りに繋がることは自明です。

http://news.goo.ne.jp/article/ft/business/ft-20090309-01.html

尚、ダイアモンドオンラインの下記、中国から日本企業が特許侵害で訴えられるというニュースは、我々がノンビリ思い出に耽っている場合ではないことを物語っています。

http://diamond.jp/series/analysis/10068/

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