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2010年2月15日月曜日

三つの視点をもつこと

昨日、一橋大の学生たちと勉強会をやった。ユニバーサルとローカルの領域確定というテーマに殊の外、関心が強く、また視点を3点もつ重要性に予想以上に頷いてくれた。その詳細は、以下に書いたTwitterの# に記録が残っている。

http://milano.metrocs.jp/archives/2914

上記で3点とは、日本、アングロサクソン、大陸ヨーロッパとぼくの事例をあげた。もちろん、これはアジア、南米、アフリカという視点でもいい。問題は言語の違いが生む世界観や感覚の差異でお互いの距離感を知ることが必要という意味だが、これは言語的文化圏だけでなく、モノを考えるとき、生産者、小売、消費者という三つの立場を考慮するということも意味している。また、以下で書いたことも同様だ。

http://milano.metrocs.jp/archives/2884

テーマの対象となる主人公ー担架で運ばれる病人であったり、小さな子供であったりーがどう思うかよりも、それらに対面する人たちー救急署員や親ーからの視点が重視されていることに、少々違和感を覚えました。たとえば、電車のなかで子供たちは煩い。他の乗客は迷惑に思う。それを感じる親たちは肩身の狭い思いをする。だから、子供づれは別車両に分けて、気ままになれる空間を用意する。こういう発想プロセスになっています。弱者の周囲をテーマにしながら、弱者の目線に立とうとした軌跡がパネルにはないのです。

ここでは弱者の立場を強調しているが、子供車両のアイデアについて言えば、子供、親、他乗客という三つの立場を最低考慮しないといけないということだ。日常生活のなかで、常に三点とは何か?を「気にする」ことが大事なのだ。

2010年1月12日火曜日

「駄目モト」スピリットを育てる

昨夜、事務所から自宅に帰る途中のこと。感じのよい男性が近寄ってきて「すみません。この近くに住んでいるものです。今晩、友人を呼んだ夕食をするのですが、ワインがないことに気づきました。もう8時でエノテカは閉まって困っています。ワイン持っていませんか?」と質問。「〇〇通りはどこ?」「タバコの火はない?」ということは頻繁にあるが、ワインとはまた珍しい。どこかレストランに買いに行く途中、ぼくを見かけて聞いたのだ。もちろん、ワインを都合よく持ち歩いてはいない。もし持っていれば、今晩、ぼくが飲む分だ。

「えっ、ワイン?残念ながら、持ってませんよ」と答えると、「そりゃあ、そうだよね」とニコリと笑いレストランのある方角に彼は去っていった。アル中の風は全くなくーもちろん、ぼく自身、アル中と他人に思われることはないと(信じている)-、この会話、まるで山のキャンプ地じゃないか、と思った。ミラノの街の真ん中での普通の会話じゃない。しかし、それはどうでもいい。ぼくはあらためて「駄目モト」精神に感心したのだ。何か困っていることがあれば、まず一番近い場所で救いを求める。その相手がどういう人間か、助けてくれる可能性が高いかどうか、こういうことは殆ど考えない。「駄目モト」だ。

よく「ミラノで道を聞かれた。どうも現地に住んでいると思われたみたい・・・」と言う日本の人達がいるが、まず、そんなことはない。誰でもいいから、近くにいる人間から情報を獲得したかっただけだ。それ以上でもそれ以下でもない。コミュニケーションの敷居が低いだけの話だ。しかし、冒頭のワインを求める質問は敷居だけでなく、「駄目モト」でチャレンジする幅が非常に広いことを語っている。

この「駄目モト」が、ビジネスの場で不利に働くこともある。「そういうことを聞く奴は、付き合うに値しない」と思われるかもしれない。とてもリスキーだ。全てがダークになる可能性がある。が、「そう、そうやってオープンに言ってくれて嬉しいよ。じゃあ、手伝ってあげよう」と、もしかしたら言ってくれるかもしれない。多分、確率からすれば、前者のほうが多く、後者のほうが少ないだろう。しかし、似たようなメンタリティであればお互い様で、心配するほどには、そのポイントに「特殊視」はしない。

とにかく「駄目モト」スピリットは、生きていくに必要な素養であると思う。ビジネスの場で「駄目モト」をグッドタイミングで発揮するに、日常生活で「駄目モト」を日々使いこなすのは、思いのほか重要なことかもしれない・・・・と昨晩、再認識した次第。