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2009年12月9日水曜日

スウェーデンの外国人労働力

スウェーデンで外国人や外国の大学を卒業した人達が、スウェーデン国内の就職で苦労しているという記事がある。

http://www.thelocal.se/23732/20091208/

人種差別ではないとか、言葉の問題でもないとか、いわば暗黙知の問題ではないかとか、コメント欄も含めて賑わっている。あるいは、ドイツ人のようにはっきり差別するのではなく、そうとうの時間をかけないとスウェーデン人の差別意識には気づかないという意見も書かれている。

どこの国にもある問題であるといえばそうだろう。しかし、こんなにも差別ではないといいながら、実質的に差があることに対し、社会とはこういうものだという言い方を気楽に言えない、社会的特質がスウェーデンにはあるのではないかということは推測がつく。

どこか無理があるまいか・・・・?

2009年8月14日金曜日

『スウェーデンに学ぶ「持続可能な社会」』




このブログでも時々、「北ヨーロッパの社会」というカテゴリーでスウェーデンやデンマークのネタをテーマに記事を書いていますが、一般によく取り上げられる環境論と絡めたことはなかったと思います。が、小澤徳太郎『スウェーデンに学ぶ「持続可能な社会」』を「さまざまなデザイン」に以下レビューを書きながら、これはヨーロッパ文化部ノートのテーマに極めて近いと感じました。

http://milano.metrocs.jp/archives/1991

上記でも触れましたが、これは「全体から部分」というアプローチをとらなければいけない環境論において、どうしてそのアプローチをとらねばいけないか、それを日本で伝統的に傾向として強い「部分から全体」手法をどう覆さないといけないか、優れて文化理解をもとにした図式を描かないといけない問題です。小澤氏もこれは技術論ではなく、極めて政治的・経済的・社会的アプローチが必要であると説いていますが、残念ながら本書を読む限り、すくなくても社会的説得性は強化した方がよいだろうとの感想をもちました。

いろいろな政治・経済問題において、人々の心のありように信じられないほどに無防備になるのと同様、動物としての人間存在という事実も忘れがちです。小澤氏は後者を強調しているのですが、これは前者と並行して全体像を描いてこそ、よりリアルな現実を認識することを誘導できると思います。

小澤氏は「スウェーデンを真似しろとは言っていない」と盛んに書いています。「スウェーデン? 人口と経済規模が全然違うじゃない。そんな国をモデルにしろなんて非現実的」という反論を何千回も聞かされた人ならではの防御だと思いますが、ぼくは環境論のまったくの素人ながら、こと環境論のかなりの部分については、スウェーデンモデルを真似ることを厭わない「勇気」が必要かもしれないなと漠然とした印象をもっています。だから、文化的解決が非常に重要になります。

今、「モノは所有しなくていいんじゃない。必要な時に借りれば」という発想が世界にじょじょに広まりつつあります。これはエコロジーとは別の次元で、モノへの執着から心が離れつつある現象として語られ、去年の経済恐慌で激減した自動車市場を前に、スズキ自動車社長の鈴木修氏が「経済が復活したとして、これまでクルマを買った人たちがクルマに戻ってくるだろうか?」と危惧するゆえんです。カーシェアリングはその象徴です。また、PCのハードディスクにデータをおかずにヴァーチャル上に配置するとの発想ーグーグルに代表されるーは、こういったスタイルの先鞭を作っているともいえます。

小澤氏の上記著書においてスウェーデンの大手家電メーカーが廃棄責任の問題の解決法として、洗濯機のいわばリースを実験的に行っていることを紹介しています。使用料は電気代と一緒に電気会社に支払い、修理がきかなくなったらメーカーが新しい製品を再度リースするとの方法です。これは環境保護のひとつですが、実際、だんだんと台頭しつつあるライフスタイルとマッチしているのです。つまり、文化的調和のとれる社会機運が整いつつあるとまでは言えませんが、方向としては「そっち」なわけで、これをどう加速させるかというステップであることは確かでしょう。


2009年7月14日火曜日

外国人の医者を巡って

前回の「フィンランドの外国人の医者」に対して八幡さんからコメントを頂きました。

およそ医者に身を預ければ、後は任すしかなく、言われたように動くしかないというのが患者の立場であり、病気の内容をよりよく説明して欲しい場合、それは知識の問題であることが多いので、日本の外国人看護の導入で言われる理由に怪しさがあるのは、ぼくも同感です。

もう一つ、プロフェッショナルな資格の普遍性という指摘は興味深いです。これはEU内での資格共有ができた大きな文化的背景といえそうです。もちろん、それでも、フィンランドで医者のライセンスを取得するのに、EU市民であれば言語テストがないのにEU外の場合はより厳しいという、この線引きの理由にいろいろと「鍵」があるかもしれません。

これ、ドイツでは、1960年代からあった状況です。私事になりますが、妻は、ドイツでも、何回も入院して手術を受けた(そしてその度に前よりも元気になる)のですが、ミュンヘン大学の付属病院に入院した時、執刀医はチェコ人、麻酔医はインドネシア人でした。看護師にも、フィリッピン人や韓国人がおりました。ケルンの病院でも、同様でしたね。

もともと、医学部は入学志願者が多かったのですが、それでも、医学部学生の定員の一割を外国からの留学生の為に空けてありましたし、ドイツ人の医学生が国家試験の前に義務化されている実習の場所も、ドイツ国外のどこででも好いようになっていました。法学部の学生もそうでした。

「母国語のレベル」といっても、どういう分野の、どの程度の言語能力かということが問題で、逆に、プロフェッショナルな世界では、特に、理学系・技術系の場合(医学もそれに入る)、テクニカルタームには大きな共通性があるので、言語能力の問題よりも、「うで」の方が重要だということではないでしょうか。

「母国語」のことも、人口10万人当たりの医師の数が、日本は198人(2002年)、ドイツは337人(2003年)、イタリアは420人(2004人)で(データ:WHO. 50年前と状況はあまり変わっていないようです)あることを考えると、むしろ、国外からの流入を阻止して、医師の収入を確保しようという魂胆の道具に使われている可能性があります。

さらに、ヨーロッパでは、以前から、プロフェッショナルな「資格」については、国境や文化の壁を越えて、大きな普遍性を認めあっていたように思います。

わたしも、いつか、コペンハーゲンの商科大学の研究所に3ヶ月ほど研究滞在した時には、おそくまで研究室にいると、最後に帰宅する所員が、建物のマスターキーをもって来て、あとは宜しくお願いいたしますというのには、ちょっと驚きました。

2009年7月10日金曜日

フィンランドの外国人の医者




医者と患者の間のコミュニケーションが大事なのは当たり前ですが、OECDのレポートによれば、どこの国でも外国人の医者が増加しているようです。EU域内でEU市民は移動自由ですから、そこで増加するのは当然ですが、EU外の外国人も増えています。

http://www.helsinkitimes.fi/htimes/domestic-news/general/7014-immigrant-doctors-fill-a-gap-in-the-market.html

フィンランドもこの5年での伸びは大きく、ロシア語やエストニア語を話す医者が多くなっています。ここで興味深いのは、EU外の医者はフィンランド内で治療を行うに際し厳しい訓練を経てライセンスを獲得しますが、EU市民の医者はフィンランド語のテストさえ必要ないというのです。フィンランドではフィンランド語がメインでありながらも、スウェーデン語を話す地域もありますから、両方の言葉ができないと商売にならないというわけですが、この上の記事で気がつくのは、言葉によるコミュニケーションの問題を取り上げながらも、言葉の問題が医療活動の障害のメインとしては扱われてこなかったということです。ですから、EU市民であれば、語学テストが不要だったわけです。

「まあ、ちょっと時間が経てば、支障なくコミュニケーションができるだろう」という考えがあるのでしょうか。これは、複数言語を操るのが当たり前の社会での、極めて普通の発想であるということではないかと想像しました。医療活動の分野によっては、母国語と同じレベルでなくても「なんとかなる」という考え方が、こういう社会を作っていくのでしょう。あまり神経質にならないことの重要性を語っている。そのような印象をこの記事を読んで思いました。

2009年7月2日木曜日

スウェーデンの同姓婚に関するセミナー




以前、スウェーデンは国内の少数言語に対する社会的関心を高め、教育促進を図るよう努力をするべしという記事を読んだとき、「なるほどねぇ、EUの多文化主義にそうことが大事なんだ」と思いました。5月の以下の記事です。

http://www.thelocal.se/19300/20090507/

多数の言語がある社会がゆえの悩みといえますが、そのスウェーデンで7月1日付けで施行した法律の一つに、スウェーデン語をオフィシャルメイン言語とみなすという内容があります。

http://www.thelocal.se/20404/20090701/

社会的あるいは文化的な「分散」を尊重しながら、もう一方で、それらを統合する動きをしているわけです。そして、こういう複雑性をスウェーデンという国の「売り」にしているのではないかと思わせるのが、例えば、東京のスウェーデン大使館における、同姓婚を認めるよう婚姻法を改定したことに関する下記セミナーです。

http://www.swedenabroad.com/News____13369.aspx?slaveid=92915


以下、セミナーの内容をみると、これはスウェーデンの文化政策の紹介というイメージがあります。
どうやって実現できたのか?
成立に至る道のりは?
何を目的としているのか?
憲法解釈の問題か、それとも人権の問題か?
各国それぞれの状況はどうなのか?
賛成と反対、それぞれの意見は?
同性婚を受け入れた社会には何が起こるのか?

八幡さんが前回のエントリーで書いていただいたことを照らし合わせると、このセミナーの意義がよく分かると思います。文化がシリアスな問題になりにくい日本社会の弱点を逆に衝かれているような気もします。

ヘイトクライムは、日本では中々はっきりした形が見えませんが、現実に、異民族・少数民族が少ないこと、少なくともつい最近までは、社会階級の格差が、ヘイトクライムの誘因となるほどはっきりしていなかったことなどがその理由でしょう。



2009年7月1日水曜日

デンマークのDV




先日、スウェーデンのおけるヘイトクライムの報告書について触れましたが、今日はデンマークの女性救済のための国立センターの報告。

http://politiken.dk/newsinenglish/article743754.ece

2008年、このセンターに駆け込んだ女性の数は14%増加していますが、それは家庭内暴力が増えたというより、公的機関に助けてもらえることが分かったことにより訴えが増加したとセンターはみています。そして特徴的なのは、物理的から心理的へと女性が訴える暴力の中身が変わっていることです。2007年、前者が96%だったのが、2008年は76%になっています。

もちろん、これは暴力の「意識化」という側面があります。ただ、それだけでしょうか。人々の心がより敏感になりつつある、何らかの社会的要因があるのではないかということをぼくは考えます。青少年の非行現象が英国から大陸に東進する傾向を以前書いたことがありますが、もう一つの動きとして、北欧から南進することもあるので、この領域に対する記事に今後気をつけたいと思います。






2009年6月30日火曜日

スウェーデンのヘイトクライムレポート

短いですが、メモを記しておきます。

スウェーデンのヘイトクライム(hate crime) の2008年レポートが発表され、3分の2以上は、国籍や人種などの差別に起因しているとあります。そして、その多くは物理的暴力的ではなく心理的な威嚇や嫌がらせだといいます。

http://www.thelocal.se/20342/20090629/

一方、友人である「夜回り先生」こと水谷修さんが、中日新聞の連載コラムで、「ネットの怖さ、無責任な言葉は凶器」ということを書いています。

http://www.chunichi.co.jp/article/feature/yomawari/list/CK2009062202000222.html

この二つの記事を繋ぐもの・・・それは何でしょうか?

2009年6月24日水曜日

オランダは米英の逆へ向う





皆が東の方向を一生懸命見ているときに、いや、そのときだからこそ、西の方向に商材を探すべき・・・とビジネスマンのあり方としてよく言われます。パイの食い合いに金とエネルギーを費やすのではなく、自分の領域を創造するところに利益の源泉があるというわけですが、オランダの移民政策の変更に関する下記記事を読み、さすがはビジネスの国オランダだと思いました。

http://www.nrc.nl/international/article2279586.ece/The_Netherlands_wants_more_well-educated_foreigners

第二次世界大戦以降、途上国の頭脳を米国や英国は受け入れてきました。それが経済成長の大きな力になっていたのですが、昨年の経済恐慌を契機に、米国では今年1月、政府に救済された企業は自国民の雇用を優先する法案を提出。英国でも高い専門性を必要とする職は、英国民やEU市民を優先するようにとの方針を打ち出しています。

オランダは、これら「磁石の国」の方針変更を好機ととりました。高学歴者の滞在延長や留学生の招聘により力を入れようと検討を始めているようです。既に政府は2億8千万ユーロを用意し、自国民だけでなく他国民も含め、高学歴の人たちが企業や大学にそのまま留まれるような策をとっています。これらが長期的に、オランダ経済の力の強化に繋がるであろうとの見方をとっているわけです。

能力のある人材の確保を厳しい状況でも行うべきかどうかという議論もありますが、米国や英国などの方針転換を逆手にとっているところが、このオランダ政府の注目すべきところです。経済的に強く英語圏である米国や英国は、ほっておいても人材が集まる傾向にありますが、中堅国は機をみてすばやく動いてビジネス機会をクリエイトする・・・・これはとても参考になる事例です。

2009年5月2日土曜日

デンマークの社会主義者




メーデーにちなんだ記事で目を引いたのが、これです。デンマークの記事です。

http://politiken.dk/newsinenglish/article701442.ece

若者の労組離れという現象がありながら、調査によると三分の一の人達が「私は社会主義者である」と答えています。従来の社会主義と、もっと緩やかな共同体重視的な意味合いで社会主義と名づけている、二つのカテゴリーが混合しています。

右翼と左翼という区別もそうですが、何が右で何が左というのは、極めて定義づけが難しく、時代、国、テーマによって同じ内容が右にいったり左にいったりします。この調査をみて、「社会主義者」というのもポジションが変わりつつあるだけでなく、定義そのものが変化してきていることがわかります。人々がそう思い、そう使い始めれば、定義は変わるものです。

それが北欧の一国、デンマークでこういう変化が起きている。今後、フォローしていこうと思います。

2009年3月28日土曜日

スウェーデン学生の外務省人気





今日、以下でスウェーデンの学生の人気就職先が、イケア、グーグル、外務省と並んでいるのをみて驚きました。あまり給与が良くないという評判のイケア人気もやや意外ですが、これは記事にあるようにブランド力の強さが魅力というのは分かります。それより外務省に就職したいという学生が多い(この場合、法学部系です)のは、何故だろうと思います。

http://www.thelocal.se/18498/20090327/

イタリアの理系学生の人気一位にフェラーリが挙がっていたことがありますが、これまた随分と分かりやすいとの感想を抱いたことがあります。ぼくはヨーロッパの大学生の就職先人気については、日本と同じで米系金融会社やコンサルタント会社が上位に並んでいる以上のことは知らなかったので、この外務省人気に意外性があると思うのは、もしかしたら的外れかもしれません。ただ、ぼくは、外務省は比較的発展途上国で人気のある就職先だろうと想像していたのです。航空会社の乗務員と比べるのが適切かどうか分かりませんが、職業的特権でしか外国に出かけにくい環境が、航空会社や外務省を求めるのかと偏見がありました。

この国は中立政策をとっていますが、そうしたポジションにいることが、外交のポジションを国内で高め、それが就職先人気に繋がっているのだろうかとも想像します。いずれにせよ、外交官が人気のある環境とはどういう条件をもつのか、少々興味がでてきました(スウェーデンは公務員が多い国ですが、そのなかで外交官はマシということなのか?とも考えたのですが、もっと積極的な意味があるのではないかと期待したいです)。そんなとき、スウェーデンの外貨収入源のトップは音楽産業であるという記事を読み、またまた好奇心がでてきました。この音楽産業の内訳には、ミュージシャンのプロモーションビデオの撮影も含まれ、その規模が膨大ともありますが、ここにもぼくの知らないスウェーデンが語られていました。

http://business.nikkeibp.co.jp/article/tech/20090325/190043/


この記事では、知識産業の育成に力を入れていく点に焦点をあてています。工業のグローバル化がそうした方向を促すということですが、日本の場合は、工業をベースにどう知識社会を作るのか?というテーマになっていくのだろうと思いながら、この記事の2回目を楽しみに待ちたいと思います。

因みに、同じく知識社会を強く意識している、フィンランドの移民受け入れに関する調査結果もあわせてリンクを貼っておきます。極めて微妙な社会的バランスの上に、こうした話が成り立っていることを忘れないために・・・・。

http://helsinkitimes.fi/htimes/index.php/domestic-news/general/5561-attitudes-to-immigration-harden-in-finland-hstns-poll-