2009年7月14日火曜日

外国人の医者を巡って

前回の「フィンランドの外国人の医者」に対して八幡さんからコメントを頂きました。

およそ医者に身を預ければ、後は任すしかなく、言われたように動くしかないというのが患者の立場であり、病気の内容をよりよく説明して欲しい場合、それは知識の問題であることが多いので、日本の外国人看護の導入で言われる理由に怪しさがあるのは、ぼくも同感です。

もう一つ、プロフェッショナルな資格の普遍性という指摘は興味深いです。これはEU内での資格共有ができた大きな文化的背景といえそうです。もちろん、それでも、フィンランドで医者のライセンスを取得するのに、EU市民であれば言語テストがないのにEU外の場合はより厳しいという、この線引きの理由にいろいろと「鍵」があるかもしれません。

これ、ドイツでは、1960年代からあった状況です。私事になりますが、妻は、ドイツでも、何回も入院して手術を受けた(そしてその度に前よりも元気になる)のですが、ミュンヘン大学の付属病院に入院した時、執刀医はチェコ人、麻酔医はインドネシア人でした。看護師にも、フィリッピン人や韓国人がおりました。ケルンの病院でも、同様でしたね。

もともと、医学部は入学志願者が多かったのですが、それでも、医学部学生の定員の一割を外国からの留学生の為に空けてありましたし、ドイツ人の医学生が国家試験の前に義務化されている実習の場所も、ドイツ国外のどこででも好いようになっていました。法学部の学生もそうでした。

「母国語のレベル」といっても、どういう分野の、どの程度の言語能力かということが問題で、逆に、プロフェッショナルな世界では、特に、理学系・技術系の場合(医学もそれに入る)、テクニカルタームには大きな共通性があるので、言語能力の問題よりも、「うで」の方が重要だということではないでしょうか。

「母国語」のことも、人口10万人当たりの医師の数が、日本は198人(2002年)、ドイツは337人(2003年)、イタリアは420人(2004人)で(データ:WHO. 50年前と状況はあまり変わっていないようです)あることを考えると、むしろ、国外からの流入を阻止して、医師の収入を確保しようという魂胆の道具に使われている可能性があります。

さらに、ヨーロッパでは、以前から、プロフェッショナルな「資格」については、国境や文化の壁を越えて、大きな普遍性を認めあっていたように思います。

わたしも、いつか、コペンハーゲンの商科大学の研究所に3ヶ月ほど研究滞在した時には、おそくまで研究室にいると、最後に帰宅する所員が、建物のマスターキーをもって来て、あとは宜しくお願いいたしますというのには、ちょっと驚きました。

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