2009年8月27日木曜日
YouTubeのストーリー(3)
(2)からの続きです。
A: 加藤周一の『日本文化における時間と空間』に書いてある、シンメトリーとアンシンメトリーの違いにあるバックグランドの説明なんかすごくためになるね。
Z: 西洋の都市や建築がシンメトリーであることが多く、日本がその逆であることを知っていても、それが謝罪の乞い方によくある、「すみません。昨日までのことは水に流して、なかったことにしてください」と関連付けてみれないといけないわけだね。日本では「今」と「ここ」が一番重要だという見方とアンシンメトリーの繋がりがみえてくると面白いね。シンメトリーは全体がつかめないと駄目だから。
A: その話しが、日本文化の軽さを重視する点とも絡むのでしょう?
Z: 西洋は大理石に象徴されるように、伝統的に重要なものは重いという価値があったよね。日本は木や紙などで軽く、それが洗練さを生むという評価をしてきた。その西洋でもだんだんと「重いだけじゃあ能がない」と考えつつある。でもだからといって、建築構造的な面を省略しちゃあいけないんだ。あくまでもストラクチャーはキープしながら軽くなることを求めるんだね。そういうところから、重さの変化の流れを徐々に知っていけばいいと思うんだ。軽さを主張するにもほどがあるってことだね。
A: そのほどを上手く表現した一つに、写真にある橋本潤さんがデザインした「蜘蛛の巣の椅子」があるんじゃないかってことね。ミラノサローネで前の作品よりヨーロッパの人たちの反応が良かったという理由をそこから想像するわけか。
Z: いろいろな理由があるだろうけどね・・・・。全体性あっての軽さ、断片的なはかない軽さじゃないもの、こういうのが受ける傾向はあると思うんだ。特に一般的な市場でね。昔、軽小短薄という言葉が日本の工業製品の強さを表現するのに流行ったけど、それを表立って悪口を言うヨーロッパ人は多くなかったと思う。でも、「なんか違うんだよなぁ」という違和感を長く持ってきたと思うんだよね。体が大きい、力があるという人間工学的な側面もあるんだけど、「これはかくあるべし」という認識と感覚の差も出ていると思う。これが文化差だと考えている。
A: だんだんとビジネス寄りに話をもっていこうか。文化が分からない実態みたいなのを。
Z: うん。対象が物理的なモノである場合は、違和感を引きずりながらも、高品質で適正価格であれば消費者もNOとは言わなかったわけだ。でも、高付加価値化ということが日本メーカーの方向付けにあって、やたら機能が増え、しかも価格が高くなってきた。するとニコニコ顔もひきつってくるわけだよ。作り笑いにも限度があってね。
が、流れはモノからコトというけど、ある意味、電子機器のインターフェースはコトに近いかもしれない。認知工学的な要求が大きくなってきて、作り笑いが苛立ちに変わってきたように見えるんだ。だって、ON、OFFだけじゃない抽象的プロセスの作業をユーザーは強いられるわけだから、分かりづらかったら、「もうイヤダ」とギブアップされる可能性が高いし、カーナビなんかでは、分かりずらさで人身事故を起こす可能性があるわけだ。
かつて原子力発電所や飛行機などに係わるエキスパートがインターフェースが原因で引き起こすトラブルが指摘されてきたけど、今はいわばアマチュアレベルにその問題が下りてきたってことなんだ。今後、あらゆるデバイスがさらにインターフェースが中心となってネットワークを作っていくから、人の頭のなかの働きを理解することがより重要になっていく。人は環境の動物だからね、思考習慣とかいろいろ違うわけで、文化理解が大切ってことだね。ただ、これは文化とビジネスを巡る問題の一側面だよ。
(4)へ続く。
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