2009年8月14日金曜日

『スウェーデンに学ぶ「持続可能な社会」』




このブログでも時々、「北ヨーロッパの社会」というカテゴリーでスウェーデンやデンマークのネタをテーマに記事を書いていますが、一般によく取り上げられる環境論と絡めたことはなかったと思います。が、小澤徳太郎『スウェーデンに学ぶ「持続可能な社会」』を「さまざまなデザイン」に以下レビューを書きながら、これはヨーロッパ文化部ノートのテーマに極めて近いと感じました。

http://milano.metrocs.jp/archives/1991

上記でも触れましたが、これは「全体から部分」というアプローチをとらなければいけない環境論において、どうしてそのアプローチをとらねばいけないか、それを日本で伝統的に傾向として強い「部分から全体」手法をどう覆さないといけないか、優れて文化理解をもとにした図式を描かないといけない問題です。小澤氏もこれは技術論ではなく、極めて政治的・経済的・社会的アプローチが必要であると説いていますが、残念ながら本書を読む限り、すくなくても社会的説得性は強化した方がよいだろうとの感想をもちました。

いろいろな政治・経済問題において、人々の心のありように信じられないほどに無防備になるのと同様、動物としての人間存在という事実も忘れがちです。小澤氏は後者を強調しているのですが、これは前者と並行して全体像を描いてこそ、よりリアルな現実を認識することを誘導できると思います。

小澤氏は「スウェーデンを真似しろとは言っていない」と盛んに書いています。「スウェーデン? 人口と経済規模が全然違うじゃない。そんな国をモデルにしろなんて非現実的」という反論を何千回も聞かされた人ならではの防御だと思いますが、ぼくは環境論のまったくの素人ながら、こと環境論のかなりの部分については、スウェーデンモデルを真似ることを厭わない「勇気」が必要かもしれないなと漠然とした印象をもっています。だから、文化的解決が非常に重要になります

今、「モノは所有しなくていいんじゃない。必要な時に借りれば」という発想が世界にじょじょに広まりつつあります。これはエコロジーとは別の次元で、モノへの執着から心が離れつつある現象として語られ、去年の経済恐慌で激減した自動車市場を前に、スズキ自動車社長の鈴木修氏が「経済が復活したとして、これまでクルマを買った人たちがクルマに戻ってくるだろうか?」と危惧するゆえんです。カーシェアリングはその象徴です。また、PCのハードディスクにデータをおかずにヴァーチャル上に配置するとの発想ーグーグルに代表されるーは、こういったスタイルの先鞭を作っているともいえます。

小澤氏の上記著書においてスウェーデンの大手家電メーカーが廃棄責任の問題の解決法として、洗濯機のいわばリースを実験的に行っていることを紹介しています。使用料は電気代と一緒に電気会社に支払い、修理がきかなくなったらメーカーが新しい製品を再度リースするとの方法です。これは環境保護のひとつですが、実際、だんだんと台頭しつつあるライフスタイルとマッチしているのです。つまり、文化的調和のとれる社会機運が整いつつあるとまでは言えませんが、方向としては「そっち」なわけで、これをどう加速させるかというステップであることは確かでしょう。


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