上記の記事で、コンテンポラリーアートに関心が集まり始めていることは指摘している。そこで、最近、日経BPオンラインで読んだ記事を思い出した。「現代美術、難解だから売れないのか、売れないから難解なのか」というタイトル。
美術品全体で見ると、この分野には2つの市場がある。1つは「プライマリー市場」。これは作家が作ったばかりの作品にギャラリーが値段をつけて売る、最初の売買市場である。2つ目に、それが転売される市場があり、これを「セカンダリー市場」という。
両方あわせた日本の美術市場規模は1000億円といわれる(Art Trendy.net調べ)。国内オークション、交換会、百貨店美術部、美術商の取引 の合計である。このうち現代美術は約1割、約100億円程度と見込まれるが、これは世界の美術取引市場のわずか1~2%程度でしかない。
日本市場が小さいのは、エコノミストのデータにも出ているので、多分、およその傾向としてこうなのだろう。この引用した記事はこうデータをひいた後、コンテンポラリーアートの比率が特に低い理由を下のように説明している。
傾向としては海外のコレクターは好んで現代美術を買う。リスクは大きいが、値上がり益も見込めるからだ。これに対して日本のコレクター、特に公立美術館は保守的だ。リスクを避けて現代美術よりも近代作品を購入しがちだ。
今のところ日本の現代美術の市場は海外に比べると極端に小さい。いずれ追いつくと見ていいのか。どうもそうではないようだ。問題は一番最後の段落だ。「特に現代美術の場合は作品が生まれた背景や様式などの理解、つまりリテラシーが必要になる」の部分。学校で近代作品は学んでいると明記しており、そのため日本でも近代作品のリテラシーはあり、市場が成立していると言っている。別に自然な環境で近代作品を学んだわけでもないとするなら、どうして、現代美術に対して奇妙な説明を加えるのか? なんとも意味不明としかいい様がない。ここには言葉によってアートを説明することに対する嫌悪感が漂っている気がする。ある画廊経営者はこう言う。「欧米では学校の行事で現代美術館によく行く。だから抵抗感が少ない。日本人は学校では近代作品しか学ばない」
あたりまえのことではあるが、人は作品の価値を十分に理解しないと作品を買わない。見て美しい、感動するというだけではだめだ。特に現代美術の場合は作品が生まれた背景や様式などの理解、つまりリテラシーが必要になる。
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