2009年11月25日水曜日

思想表現・伝達の論理

八幡さんより以下フィードバックをいただきましたので掲載します。語りつくすべき重要さを書かれています。

<ここから>
今月23日付けの『ヨーロッパ文化部ノート」の以下の書き込みを拝見しました。

彼らがよく喋るのは、「自社のブランドとは考え方であり、それをあらゆるアングルから伝達することによって相手に痕跡を残すことが重要なんだ」という思考が強いからだと再認識しました。

単一のメディアだけでは世の中に浸透しきれない時代になってきたという認識がもちろんありますが、そのことに対する危機意識が日本より強いのが、ヨーロッパの政治家であり企業なのでしょう。なぜなら、考え方を伝えるには、多面的でなくてはならず、その考え方に接する時間を受け手により持ってもらうことが大事だからです。視覚的に分かるもので自然な理解を求めるという手法は、「伝えるのは考え方である」という認識がないからでしょう。

池上英子さんの、『美と礼節の絆』は、米国の社会学、あるいは歴史学関係の年間最優秀賞を、計五つも受賞した作品ですが、日本の関連方面の専門家からは、真っ向正面からこれを取り上げた反応がいまだに見られないのはいささかフシギです。

この作品にはいくつもの特徴がありますが、その中の一つは、まさに、多方面から、手を変え品を替え、さまざまなヴァリエーションで、作者の頭の中にあるターゲットにむけて読者の説得する、日本的なこの手の著作としては、非常にこまやかな、かゆいところに手の届くようなステートメントとその多才な説明の仕方にあるといえるでしょう。

一つのアイデアを説明するのに、読者の意表をつくような、常識の向こう側から着想された具体例を幾つも提示し、それを、時にはユーモアを交え、皮肉を織り交ぜた言葉を紡ぎ合わせて、そのアイデアの位相や理論的な機能を描写して見せる、そのことによって、読者に彼女のアイデアを具体的な背景の中において想像させ、理解させてしまう表現方法です。

やはり、相当のエネルギーを注入して言語表現の組み上げに努力していることが伝わってきて、これこそ、アメリカやイギリスの社会学者のよくかけた作品に見られる特徴だな、と想いました。

池上さんの場合、使っているのは「書かれた言語」という一つのメディアではありますが、その使い方の多方面で多彩なこと、安西さんがイタリアのデザイナーとの会話で経験されることと、彼女の『思想表現・伝達の論理』は同根であるという感じがします。

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