2009年2月8日日曜日

MADE IN JAPANブランドの復活-0





英国誌『エコノミスト』が日本の電気業界の落下ぶりを以下のように伝えています。この最後のコメント欄をクリックして見えてくるのは、MADE IN JAPAN の存在感の低下です。が、それだけではなくこの現象が、欧州の人達にとって決して分かりやすいとは思えなかった戦略の結果である点にも気づきます。

http://www.economist.com/research/articlesbysubject/displaystory.cfm?subjectid=348969&story_id=13059765

さて、ぼくが「ヨーロッパ文化の理解」の必要性を強調するのは、他でもなくMADE IN JAPANブランド 復活のためです。残念ながら(?)教養主義を懐かしむためではありません。内需経済重視云々の論議は脇におき、自分の製品を世界中に売るために、何がユニバーサルな文化であり、何がローカルな領域であるかを把握するためのワンステップとしての「ヨーロッパ文化理解」です。上記のコメントのなかにも、「日本製品はインターフェースに弱い」という指摘があります。文化理解と大いに関連してくる分野です。

1月28日、「セカイカメラはフランスでどう評価されるか」(以下)を書きました。現実拡張としてのiPhoneの新しいアプリケーションを提案し、パリでのNetExplorateurにおける授賞式に向けての準備段階の井口尊仁さんのフランス文化に関する感想を紹介しました。

http://european-culture-note.blogspot.com/2009/01/blog-post_28.html

その井口さんが昨日パリのリュクサンブール宮殿で行われたイベントの模様を早速、自身のブログ頓智・日記でこう報告しています。

今回は、これも前日ギリギリまで粘って会場(=元老院=リュクサンブール宮殿)にエアタグを設置して、その場でライブ状態でお見せしたのですが、やはりデモビデオやスライドよりもこれが一番受けました。とにかく印象的だったのが、テレビ、新聞、雑誌などの既存メディアや元老院議員、銀行家、弁護士、博物館長など、エスタブリッシュメントにすごく歓迎されたことで、この勢いだと日本の総理大臣と面会するよりもフランス大統領と会談する方が早いのでは?と(いや、何を話し合うのだ?というポイントは全く不明ですが)。

コンセプトの受けがとても良かったようです。それもいわゆるネット世代ではなく、その上の世代や業界外の人達からも評判が良かったことがキーです。そして、以前にも紹介したように、新先端技術をどのような社会文脈におくかが盛んに語られたかと記しています。

とにかくITを含んだ先端技術をエコノミーやイノベーションとして語るだけでなく哲学的領域や社会学的文脈で理解・消化しようとする(傾向の強い)彼らの発想はユニークだと思いますし、産業見本市的な日本流のITイベントや TC50に代表されるようなイノベーションとエコノミーの化学反応を最大化しようとする米国(なかでもシリコンバレーですね)の流儀と比較して、より「人類的見地」とか「思想としての技術」とかに光を当てようとする今回の様なイベントは(どういう効果があるのか?は、僕もよく分かりませんが)非常に面白かったです。

井口さん自身、大学では哲学を勉強し、その後ソフト業界に入った人です。その間、松岡正剛氏とも仕事をしたことがあります。彼のフランスでの受けに対する面白がりを読み、ぼくは、ここにポイントがみえると思います。コンセプチュアルな議論に「如何にウンザリしないか」、これが欧州市場に入るための大きな資質であり素養ではないかと考えています。


<ここで書いていることは、もう一つのブログ「さまざまなデザイン」(http://milano.metrocs.jp/)で書いている「ミラノサローネ 2009」とリンクしています>

2009年2月7日土曜日

コミュニケーションにみる逆転の可能性

ぼくのプロフィールに記載してあるように、「さまざまなデザイン」(下記URL)というブログも書いているのですが、ここで「ミラノサローネ 2009」というタイトルの連載をはじめました。4月にミラノで実施されるデザインの祭典に関するレポートだけではありません。これを機会にデザインやそれを取り巻くものについて日々考えることを自分に課しています(?)。よって、この「ヨーロッパ文化部ノート」と交差することもままあります。振り子のように、「あっちにああ書いたから、こっちはこう書く」ということもあります。

http://milano.metrocs.jp/

今、社会トレンドと時間感覚ということについて、考えています。現代という時代の捉え方について書いているうちに、一つ、ぼくが本で書いた文章を思い起こしました。

言葉ができなくても心で通じ合えるから、言葉は外国人同士のコミュニケーションにおいて第一義にはならないという意見をよく聞きます。実にコメントしづらい内容です。正面から正確に話そうとすれば白けるし、笑顔で「そうですね」と頷くのも後ろめたさが残ります。

なぜなら、心で通じ合えたかどうかを身振りや目だけで判断しきれるかという問い返しが可能です。一方で、言葉でどれだけのことが語れるのか、言葉はコミュニケーションの一部でしかないではないかという問いかけもありです。

しかし、人が100%コミュニケーションするというのは、しょせん非現実的なことなので、言葉と言葉以外の両方の手段を使って100%を目指すという態度が重要になります。100%分かりあえたとある時思えても、後になって半分しか分かっていなかったというのが現実なのです。

 ぼくが色々な経験を積み重ねてきて思うことは、結局のところ、コミュニケーションは静的なものではなく、動的なものであることを常に頭のなかに叩き込んでおくことが大切だということです。そして必要なのは、これを悲観的にばかりとるのではなく、その逆に楽観的であるための根拠とすることではないかとも思うのです。逆転の可能性が常に潜んでいるのです。

 このコミュニケーションの楽観性に関し、欧州人は高い評点を与えているとぼくは考えるのですが、これが本章で繰り返し述べているコンセプトの大枠に柔軟性を提供する根拠ともなっていると思います。


この文章について、昨年5月の中旬、原稿の段階で、八幡康貞さんより以下のようなコメントを頂きました。

これは大問題ですね.実は、日本人の多くが、コミュニケーションについて、冷静な考え方が出来ないでいる状況があるように思えます。一方では、自分以外の誰かと、「完全にわかり合えるはずだ」、あるいは「完全にわかり合えた」と思いたい願望があり、それが達成されないと『裏切られた』と思ってしまう。

しかし、第一.自分自身の事を完全にわかっている人はいるのでしょうか?誰でしたか、ある哲学者が、『どこへ行っても、必ずあの自我 (Ego)という奴がついてくる』といってましたが、しょせん、友人は、『私』が、毎朝鏡の中で出会う『私』を認識して、声をかけてくるよりも、後ろ姿や、歩き方など、自分自身には見えない姿をみ覚えていて声をかけてくるのですから、私が自分自身のすべてを見ているわけでもないし、フロイドの例を引くまでもなく、自分の内部には、自分では思いもしないような情念や、衝動が隠れているわけです。

ぼくは、このあたりの視点がヨーロッパ文化のトレンド把握にあたり、かなりヒントになるのではないかと考えています。友人がみる『私』の姿を、どこまで『私』自身で見切れているか(あるいは見切ることを諦めているか)という問題と密接にかかわっているのではないか・・・と。

2009年2月5日木曜日

「今の資本主義はもう、やめてくれ」をめぐって




日経BPオンラインで昨日、今日とアクセスランキング1位となっているインタビュー記事があります。安田喜憲・国際日本文化研究センター教授が話しています。題名が「今の資本主義はもう、やめてくれ」と、昨今の話題を上手く衝いています。

http://business.nikkeibp.co.jp/article/manage/20090203/184786/

そして、その60以上の投稿コメントを読むと、今、皆さんが(良い意味でも悪い意味でも)「何を聞きたがっているのか?何をどう言って欲しいのか」ということが、おぼろげながらに見えてきます。

http://business.nikkeibp.co.jp/fb/putfeedback.jsp?_PARTS_ID=FB01&VIEW=Y&REF=/article/manage/20090203/184786/

これは下記で書いたヨーロッパ文化部セミナー構想にとても参考になるなと思いましたら、八幡康貞さんより、この記事と投稿コメントに関する感想をいただきました。

http://european-culture-note.blogspot.com/2009/02/1.html


アブナイ人ですね。

理系の頭の人がしばしば展開する、「単純明快」でよく判ると歓迎される、それだけに大衆扇動的な論旨ですが、むしろ、コメント投稿の大多数が、こういう意見を待ち望んでいたと思われる情況の方が怖いです。

「論理はどうでもいいから、こういうことを聞きたかった」というのは、左翼・右翼の別と関係なく、問題情況を限りなく単純化してくれる思想的扇動に、無批判に乗せられてしまう心理を象徴しているようです。

「今の資本主義はもうやめてくれ」と言うタイトルは、それ自体、好き嫌いの感情論が根底にあることを示唆しているようですね。一神教が森(自然)を破壊し、多神教は自然を守るみたいな宗教論は、それ自体、彼が批判する一神教的な性格の論旨であり、疑似一神教になってしまう結果に気がついていないようです。

ちなみに、かの有名なる中谷 巌氏の「なぜ資本主義は自壊したのか?」(集英社)と言う本も、話題になっているようですが、帯封には「構造改革の急先鋒であった著者が記す'懺悔の書'」とあり、第一章のタイトルは、「なぜ私は'転向'したのか」とあります。第五章は、「一神教思想は、なぜ自然を破壊するのか」とあります。

安田氏と同じように、論理がここまで単純であっていいのか、と思わせられる内容です。中谷氏の場合は、1960年代のアメリカに魅惑され、新自由主義の経済学に没入したのに、ウォール街発の経済危機およびその予兆によってその空中楼閣が崩壊したことでめざめ、「転向」したらしいのですが、彼が信じていた経済学は、「人間とその社会」をはじめから視野の外に置くことを宣言していた(理論の整合性を確保する為に!)訳ですから、現実に適合しない「ほとんど数学的な純粋理論」であることは明らかだった筈なのですが、その事実に、あとで気がついたようです。............

中谷氏が、指導的な地位でコミットしていた日本の経済政策が失敗であったとしたら、それを、一神教のせいにするのはどう'かと思いますね。資本主義も市場経済もダメだと言いたいらしいのですが、市場経済以前の日本の経済とは何だったんでしょう?

安田氏の場合も、中谷氏の場合も、日本古代史の世界や、縄文・弥生の時代を美化し、単純化し、そこへ帰りたい願望がちらほらしますが、どうして、一本道を行ったりもどたりする歴史観になってしまうのか、それこそが聖書の救済史観そのものを自明のこととして受け入れている証ではないのでしょうか?

歴史の展開を、進歩・後退としてではなく、多数のファクターの組み合わせの変化としてとらえれば、重心点の移動と、バランスの回復というコンテクストで、もう少し、宗教的・形而上学的なイデオロギーを抜きにして考えたり、議論したりすることが出来るであろうと思います。

計画されているセミナーでも、単純化された疑似歴史神学的な方向に、議論が進まないようにすることが肝要であると、安田、中谷両氏をはじめ、現今多数の同様の議論を見て感じています。

安田氏の長いインタビューに対する、コメントを見ますと、日経BP-Online の読者層ですらこれですから、合理性にこだわったり、批判的な議論をすることが何となく避けられてきた日本社会の危なさがよく見て取れます。

幾人かの人のコメントは、バランスがとれた批判的な内容であったことにはホッとしましたが、あまりにもその数が少ないのには驚きました。

ではまた!

『17歳のための世界と日本の見方』-3





七味オイルの開発ストーリーの最終回です。コラボレーションする何かを待つ姿勢でいたら、まさしく、その方向にマッチする話が向こうからやってきてくれました。それは長野から来たのです。

長野県上田市にあるギフト商品会社を経営する石森さんとのおつきあいは10年近くになります。2007年の2月、石森さんから「日本で三大七味唐辛子の一つと言われる善光寺の八幡屋礒五郎さんの七味とオリーブオイルのコラボ商品を企画してみませんか?」と提案がありました。私は、瞬時にこれは面白いと思い、アレキサンダーに伝えました。彼からも「是非、挑戦してみたい」との即答を得られました。

彼は七味唐辛子がどんなものか知っていました。そして、ミックスさせるものが日本の伝統調味料であることにも大きな魅力を感じました。早速、石森さんが試験的に作ったサンプルをテスティングし、「イタリアのペペロンチーノにはない奥深い味だ。しかも、デル・ポンテのエキストラヴァージンオイルの味と香りが十分に生きている!」とアレキサンダーは感嘆します。

ドイツと日本の哲学、イタリア文化、これらが統合され最後の刺激材料だけを待っていた状態だったのかもしれません。280年余続いてきた老舗七味唐辛子と地中海の典型的な調味料であるオリーブオイルの融合、七味オイルというコラボ商品の開発は、こうしてスタートを切りました。

石森さんとは現社長のお父様のときからお付き合いしてきましたが、今回の提案は三代目の現社長によるものでした。そして、八幡屋礒五郎の社長さんはぼくと同世代です。国文学で修士をとられた方です。世代と文化的素養がうまくミックスしています。

モンテカティーニはフィレンツェの西北にあたり車で1時間程度の街です。この街の背後に広がる山の中にアレキサンダーの邸宅と農園があります。ここに7-8人はゆったりと入れる和風露天風呂があります。洗い場もあり、和式の桶など日本から取り寄せました。アレキサンダーとファビエンが新婚旅行で日本の温泉地巡りをした思い出が、そのままあります。二人で日本のイメージを思い起こしながら、イタリアの建材を使って作りあげました。

湯の中に体を沈めると水面のはるか向こうには修道院が見えます。しかし、湯は日本を感じさせてくれます。2007年11月、八幡屋礒五郎の室賀さん、石森さん、アレキサンダー、そして私の4人で一緒にこの風呂に入りました。七味オイルのビジネスプランついて思い思いに語り合ったのですが、この和と洋の空気の調合具合が話をとてもスムーズなものにしてくれました。

「和洋折衷」という言葉は、今や若干古臭いイメージがついてまわるような気もするのですが、この七味オイルへの皆さんの反応をみていて、和洋折衷の積極的な意義をつくづく私は感じています。妥協ではなく、お互いが自分の価値をより高めながら距離を縮めあうその姿勢自身が潔く寛容であり、相手方の文化への敬意が表現されます。異なるものを全く入れないことで純粋性を保つ価値観もありますが、あえて違ったものと衝突しながら新たなものを目指す姿勢には、緊張感とスガスガ
しさが感じられます。この点に七味オイルの新鮮さが凝縮されています。

現在、この製品は八幡屋礒五郎さんのオンライン(下記)や日本国内のデパートで売られていますが、とても評判が良いです。次の製品も開発中です。このプロジェクトをみながら、やはり質の高いプロジェクトの実現には時間が必要なんだとつくづく感じています。熟成をさせる時間をどう見るか、これが文化差として地域によって異なるところです。

http://www.yawataya.co.jp/shop/product59.html

尚、写真はアレキサンダーとファビエン、結婚前の二人です。

2009年2月4日水曜日

『17歳のための世界と日本の見方』-2





松岡正剛氏のたらこスパゲティに対抗して(?)、七味オイルの商品企画の開発プロセスを、ドイツ人のアレキサンダーを主人公に書いたメモの続きです。上の写真はアレキサンダーのお父さんです。

日本学を勉強しはじめ、彼の生き方に変化が生じます。合理的でスピードがすべてという効率主義に疑問を抱きはじめたのです。きっかけは漢字の学習です。ここで効率以外の価値があることを見出したのです。アルファベットからすれば複雑な形状の漢字は、覚えるにも書くにも時間を要します。しかし、表現された漢字は沢山の意味を同時に伝えることが可能です。大きな驚きがここにありました。より広い構図からものを考える拠点を見出したと言ってよいでしょう。また漢字にある象形文字が、牛、馬、草、竹など農業に関係のあることに気づき、日常の生活からものを考える世界にも惹かれていきます。漢字を上手く書くために、左利きから右利きに変えました。

異文化との出会いが彼を変えたのは、日本だけではありません。イタリアもそうです。87年、それまでも頻繁にトスカーナを訪れていた彼の母親が、高級保養地として名高いモンテカティーニに別荘を購入しました。イタリアの有名なTVジャーナリストの所有だった邸宅です。それまで以上に、ここを訪れるようになった彼は、イタリアのライフスタイルにあるプラグマティズムを知るようになります。

フランスやプロイセンで貴族の称号を得ていた家系は、15世紀のイタリアのデル・ポンテ家に源流があります。5世紀以上の時を経て、彼は自分の血にもともとあったイタリア文化を発見したのです。そうなると、自分探しのための哲学がなんとなく色あせて見えてきます。アレキサンダーが哲学の試験勉強をしているとき、92年に結婚するベルギー人のファビエンが、オリーブの収穫を一人で仕切ることもありました。こうした姿も、書籍から学ぶことが中心だった彼の人生観を大きく変えていったのです。グルグルと回転しながら進む彼の思考が、じょじょに直線的になっていきました。

実は、このメモを西洋紋章デザイナーの山下一根さんに以前送ったのですが、そうしたら「この家系はマルタ騎士団と関係がありますね?」とコメントが返ってきました。それでアレキサンダーに聞いたら「確かに父親がマルタ騎士団だったよ。でも、どうして分かったの?」と逆に聞き返されました。山下一根さんは系図学の知識から類推したようですが、プロイセンという国は一つのキーだと言います。

それから、自分で何でも作るようになります。オリーブオイルのギフトボックスのデザイン(七味オイルのボックスもそうです)、後述する20トン近い大理石を使った和式露天風呂、林の中に飼っている豚から作る生ハム。これらは彼の「自作」のほんの一例です。子供の頃、ベルギーのお祖父さんの別荘で働く職人たちの仕事を熱心に眺めていた彼らしい成果です。しかし、とても慎重な男であることは変わりません。「自分が知っていることは分かっているけれど、知らないことは知らない」と言い、1999年、トスカーナに家族を残してブリュッセル自由大学でMBAを取りました。ビジネスの世界のことも、本で事前に分かることは全て分かっていた方が良いと考えたのでしょう。当然のことながら、オリーブオイルの味に対しても同様です。彼はトスカーナのオリーブオイルの質をテスティングする審査員の一人ですが、この資格も研修を受けて取得しました。

日本とのビジネスも軌道にのってきた頃、ある会社から、「オリーブオイルの質は問わないから」ペペロンチーノやハーブを入れたオリーブオイルを作ってくれないかとのオファーが寄せられました。アレキサンダーは、こう語りました。

「オリーブオイルの質が生きてこそ、デル・ポンテの製品と言える。そのようなリクエストをする会社は真面目とは思えないから、取引したくない」

そのとき、彼はエキストラヴァージンに何か別のものを入れることに否定的であったわけではありません。ペペロンチーノのオイルは昔からあり、それに批判的であったわけでもありません。しかも、日本の何らかの味との融合に関心はあったのです。しかし、その相手が何であればいいか、その具体的なアイデアはもっていませんでした。ただ、何か新しいコンセプトの商品への意欲は常にありました。

アレキサンダーは決してプロダクトアウト的な発想に固執する人間ではありません。常にマーケットを丁寧に見ています。もう15年近く前になりますが、日本でデル・ポンテ商品を売り出し始めたとき、デパートの地下食品売り場に立ち、毎日試食を自らお客さんに勧めました。自分でエキストラ・ヴァージンオイルに合うパンやハムなどを買い求め、全てをセットし、人々のもつ感覚に実際に「寄り添う」ことに集中したのでした。そうした彼にとって、「質は問わない如何にも売れそうなコンセプト」を提案してくる人間は、信ずるにあたらないと見えたのでしょう。

この続きは明日、書きます。

『17歳のための世界と日本の見方』-1




先月、都内の書店で棚を眺めていて、松岡正剛『17歳のための世界と日本の見方』(春秋社)に目が留まりました。どうしてかというと、拙著のアマゾンにある「この商品を買った人は、こんな商品も買っている」という項目に、この松岡氏の本が掲載されていたので、気になっていました。それで本を手にとってみると、先日「フランスでセカイカメラがどう評価されるか」で紹介した井口尊仁さんが、2002年にブックレットにまとめてくれたとあります。2年間で21刷という数字にも驚き、これは買ってみるかと決意した次第です。

これは大学で講義した内容を本にまとめたものですが、文化の関係性を如何に把握するか、その重要性を説いています。そして関係性の一つの例として、たらこスパゲッティをあげています。最後にこういう文章があります。
  

何度かたらこスパゲティの話をしましたが、朝食で食べるたらこと海苔が、スパゲッティというイタリアのパスタ文化と微妙に組み合わさったメニューが、とても好きなんです(笑)。ま、おいしいから好きなのですが、文明論や文化論としても、たいへん有効なメニューだと思うのです。


これを読んで、これなら、ぼくの関わっている七味オイルプロジェクトは実践的文化論としてよりトレンディじゃないかと我田引水的に思いました。これはトスカーナのエキストラヴァージンオイルと、日本の老舗の七味を混合させた商品です。そこで、この七味オイルの開発ストーリーをぼくが書いたことがあるので、ここにペーストします。



2008年7月下旬、私たちは長野の善光寺を散歩しました。既に日は落ちかかり、人も少ない、門前の商店も閉まっている。そんな時刻です。八幡屋礒五郎社長の室賀さんが、歩きながら39ある宿坊とその仕組みを説明してくれます。デル・ポンテ社長のアレキサンダーは20年もの昔、一人で半年ほど日本の各地を旅して回った自分の若き姿を遠くに見つめ、卍が寺を意味することを13歳の娘に教えます。都内の昔ながらの家に下宿し、日本人以外の付き合いを遮断しながら、冷える畳に正座してひたすら日本の哲学の本を読んだ日々を思い出します。

善光寺を散歩した後、参勤交代時に大名が宿泊したという元旅館の数寄屋造りの和室に入りました。道に面したファサードは大正時代のアール・デコ様式です。ここでイタリア・フランス・日本の各料理がミックスした懐石料理を頂きました。西洋と日本の美味が実に自然に表現されています。異文化交流が料理の世界ではスタンダードであることを今更ながらに再認識しました。マネージャーは、フランスのリヨンでコックとして働き、東京のヌーヴェル・キュイジーヌのレストランに長くいた方です。「フランス料理では20年も前から日本の蕎麦を試してきた」「私自身もオリーブオイルには七味唐辛子が合うと思い、2-3年前、自分で調合して試したことがある」というマネージャーの話しを聞きながら、今回の七味オイルのプロジェクトが料理の世界の文脈にしっかりと嵌っていることを私は確信しました。

私がアレキサンダー・ヴォン・エルポンスと出会ったのは、1993年冬です。彼はミュンヘン大学で哲学と日本学を勉強していたのですが母親が逝去。トスカーナの丘にある大きな邸宅と広い農園を遺産として継ぎました。 ある日、彼と私の共通の友人から、その頃住んでいたトリノの自宅で一本の電話を受け取りました。 「学究肌のドイツ人がオリーブ農園を持っているんだけど、日本文化に関心が強く、オリーブオイルを使ったビジネスで日本と関係を築いていきたいと言うんだ。一度、会って話を聞いてくれないか?」 これが全てのはじまりでした。

彼はお洒落なギフトボックスのデザイン作業を開始していました。ベルギーの大学でも法学部の学生だった彼に、グラフィックデザインの才能がこれほどにあるとは想像していなかった私は、驚きました。そして、香はまろやかで味は柔らかくなめらかです。「この味とセンスなら日本にも紹介できる」と考え、日本のインポーターを開拓していきました。

時をさらに遡りましょう。幼少の頃よりネクタイにジャケットで自宅の夕食の席につく環境で育ち、イエズス会の厳しい教育の高校生活を終えたアレキサンダーは外交官の道を望み、ルーヴァンカトリック大学は法学部へ進みます。しかしながら、教養課程で哲学に触れた彼は、法律に魅力を感じなくなっていきます。母親に「法学部を卒業すればあとは何を勉強しても良い」と言われた彼は、法学部に在籍しながらハイデッガーとニーチェの勉強を進めます。そこでハイデッガーと交流のあった九鬼周造に興味を抱き、『「いき」の構造』に出会います。禅の思想にも関心を持ち、ルーヴァンカトリック大学の教授に、ミュンヘン大学の日本学の教授を紹介されました。ドイツ人の父親とベルギー人の母親の間に生まれた彼は、スイスで生まれベルギーで育ったのですが、ここでまったく新しい文化と遭遇したわけです。


この続きは、明日、掲載します。冒頭の写真はアレキサンダーのご先祖です。

2009年2月1日日曜日

ヨーロッパ文化部第一弾セミナー構想(1)





「ヨーロッパ文化部」なるものをどう立ち上げようかと、もう1年以上考えてきました。とりあえずまず第一声ということで、『ヨーロッパの目 日本の目ー文化のリアリティを読み解く』(日本評論社)を昨年末に上梓しました。そして、第二ステップとして、このブログを1月22日からスタートしました。次なるアクションですが、セミナーを一度東京でやってみようかと考えています。組織的な整備は後回しでよいから、とにかく何らかの発信をすることを優先します。

そこで、講師として協力いただけそうな方に打診しました。一人目は35年以上イタリアで建築家として活躍する渡邊泰男さん。もともと一昨年8月に「ヨーロッパ文化部」構想を最初に持ちかけた相手が渡邊さんです。本の執筆にあたっても、多くのアイデアをインプットくださいました。二人目は、ミュンヘン大学で社会学修士をとられた後、ドイツに長く滞在し、帰国されてからは上智大学や日大で社会学や欧州地域研究などを教えてこられた八幡康貞さん。八幡さんにも本の内容については多大なる協力を頂きました。三人目が神学と紋章学で二つのPh.Dをもち、教皇庁立教会貴族外交学院で外交術も習得し、西欧伝統社会に残る名門貴族にネットワークを築きあげた山下一根さん。全員より、賛同をいただきました。

八幡さんより、以下のようなアイデア骨子を電話で伺いました。

「カトリックの勢力低下に見られるように、欧州でも価値観の空白地帯ともいうべきものが生じているが、今の教皇が10年前、ドイツの大学で『キリスト教にとって怖いのはイスラム教ではない。仏教だ』と語った。これはどういうことかというと、欧州で自然の上に立つ人間という世界にとって、自然と人間が対等に並ぶ仏教世界は脅威である。特にエコロジーが重要視される時代にあって、この傾向は強まる可能性がある」

このテーマを本セミナーの目的にどう落とし込んでいくか? これからの検討事項です。

「グローバルメーカーの事業・商品企画・マーケティング等で「欧州市場を考えざるを得ない」立場にある人達に、欧州市場で日本製品がより売れるための文化理解を促すことを目的とする」

時期は5月頃を考えています。このラフなアイデアをベースに、これから企画を練り上げていきますが、このブログを読んでおられる方たちで、こういう形はどうだろう、こういう場所でやったらどうか、こういう協力者がいるが紹介したい(もちろん、ご本人でも大歓迎!)・・・何でも結構ですから、アイデアなりがありましたら、ここにコメントいただくかメール(anzai.hiroyuki@gmail.com) ください。よろしくお願いします。