2009年8月27日木曜日

YouTubeのストーリー(2)


(1)の続きです





A: じゃあ、意図は分かったけど、この文化理解を実際にどうすればできるのか?ていうことだよね。難しそうだなぁ。

: それを簡単とは誰も言わないよね。完璧な理解はなく、理解しようとする意志と努力があればいいわけだけど、なるべく日常生活に近いところで理解できればいいと思っている。ここで文化の定義について言っておくと、「文化とは生きるための工夫」であるという、政治学の平野健一郎さんの『国際文化論』にある表現を使わせてもらっている。いわゆる高級文化も含むけど、それだけではない。人々が生きるに際しての内面的外面的活動の全てを指しているんだ。それで、日常世界に話しを戻すと、デザインとか視覚的に分かりやすく、それも身近であったり良く馴染んでいるモノやコトから入っていくのがいいと考えている。

加藤周一の数々の本は、こういう比較例を満載しているけど、これを目で見て身体でわかってくると理解が相当違うんじゃないかと思うんだよね。世の中の事例には不足しない。でも、それをどう見るか?なんだ。日本は部分から全体を考え、西洋では全体から部分を考える。それぞれの代表例として、江戸時代の大名屋敷と、西洋のお城をあげているんだ。


これはまず全体を考えたということが想像しにくいよね。部屋をどんどんと足していった増築的なイメージがある。まさしく細かいところからの発想だ。それに対して、西洋のお城は最初に全体の姿を考えている。そして次に部屋割りを考える。当然なんだけど、皆が皆、こうしたはっきりした傾向を示すわけじゃないけど、このパターンが文化的に逆であるという主張は通りにくいと思うんだ。


こういう違いが、立体的なコンセプトを作るときのアプローチの差になって出てくるわけなんだ。この部分からみるというのは、固有性の尊重というか、二つのものに共通要素を見るより、差別化することに拘るという傾向を生むわけで、火山という自然でできたもののカタチに対しても同じ反応をすることになる。


これは日本の富士山に似ているけれど違う。本当は韓国の山なんだけど、これをみて「富士山は世界一美しい山だ」と言うのは、やはりおかしいと感じないといけない。富士山は美しい山とぼくも思うけどね。で、テーマは、こういう比較を実際にデザインを作るとき、あるいは見るときににどう活かすか?ということになると思う。


(3)へ続く・・・・


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