(3)からの続きです。
A: そうねぇ。一人で全てを知ることはできないけど、どの点とどの点がどう繋がっているか?ってことに注意を向けていけば、自然と見えてくるものがあって、こういうことが分かってくると、色々な展開ができそうだね。
Z: それはそう。ヨーロッパのコンセプトを日本にどう持ってくるかという課題にも役立つね。とにかく、江戸時代以来、日本にはヨーロッパを学んだ人は山のようにいるわけだよ。今もあらゆる専門家がいるんだけど、ヨーロッパ人と何か一緒にコラボレーションするとか、ヨーロッパ人に何かを売るための文化理解はどうなのかというと、どうかな?というところだよね。相変わらずヨーロッパは勉強の対象だったりするんだ。
そして、「そもそも、それは18世紀のどういう考え方がもとで・・・」ということで、議論の大方の勝負を決めようとするんだね。それじゃあ、だめなんだ。近代の有名な哲学者の言ったことが重要じゃないとは言わないけど、今のヨーロッパの一般人のリアルな考え方や感覚の大雑把な傾向を、日本との比較のうえで知ることが最初にこないといけないのだと思う。それが、最初にいった心理的バリアをクリアするための必要条件でしょう。
A: じゃあ、最後になるけど、こういうヨーロッパ文化理解をプロモートしようという動機は?
Z: 自動車、デザイン、インテリア、電子部品、ユーザービリティとか色々な分野にビジネスプランナーとして係わってきて、電子機器のインターフェース、特にそのヨーロッパでのローカリゼーションに関与しはじめて、多くの問題が目に見えているのに、その問題に気づかない、あるいは「たいしたことないだろう」って思っている人達が多く、仮にそれに気づいていたとしても、解決に必要な文化理解が不足している。これを痛感したんだよね。確かに、これはある程度、経験や知識を統合して立ち向かわないといけないテーマで、「あっ、これは僕向きのプロジェクトだ」と思ったんだね。
それで、プロジェクトをやればやるほど、必要とされる文化理解レベルと実態のギャップに気づき、これは何とかしなきゃあと思った。下にあるような文化人類学のホールが提示した、ハイコンテクストカルチャーとローコンテクストカルチャーのような考え方を聞いたことがないというより、こういうことを一度も考えたことがない人が多いわけなんだ。これは、各文化圏の傾向を把握するのに、とっても役立つんだけどね。
そうしてあらためて日本におけるヨーロッパやその文化を眺めなおしてみると、ヨーロッパへの関心や認識が、ヨーロッパの世界のなかの位置づけと比べ合わせてアンバランスに低いということを再認識したんだ。で、『ヨーロッパの目 日本の目』という本やブログを書いたり、話すという活動をはじめたというわけ。
A: なるほど。上手くいくといいね。こういう方向が間違っていると言う人はいないだろう。テーマはヨーロッパ文化だけど、応用のきくというか、一般性の高い話しなんで、多くの人たちが問題の底にあるものに気がついてくれるといいね。
以上です。これだけのボリュームだと15分から20分の対談になりそうです。原稿を読んで話すと説得力に欠けるので、実際にビデオで喋る内容は、原稿と変わってくると思います。
2009年8月29日土曜日
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