2009年9月27日日曜日

経済問題の見方を考える

いわゆる西洋的価値観が形作る世界が音をたてて崩れていくような20世紀であった・・・・ということを、21世紀に入っての9年で実感している人達が多いのではないかという感じがします。そして、それがよりスピードアップしています。そういうなかでヨーロッパ文化を語る意味はどこにあるのか?ということをよく考えています。一つはヨーロッパ文化を例に、ものの見方をどうつくっていくかということで、以下にメモを書いてみました。

http://milano.metrocs.jp/archives/2222


もう一つ、多様な世界の実例を知ることが、精神的余裕を作っていくのではないかということも考えています。以下はその問題意識に対するダイレクトな答えではないですが、非常に密接な位置にあります。

http://milano.metrocs.jp/archives/2229


最近、ダボス会議の東京事務所ができたようですが、色々なところでダボス会議に毎年参加されている方の意見を読んだり聞いていて、「世界のリーダーが個人の資格で参加して新たなトレンドを作る」と説明するわりに、失礼ながら、どうもピンとこないことが多いです。ほんとうに状況が見えているのだろうか?と思うことが少なくありません。それだけのレベルを謳うわりには、三点観測から導かれたような意見であると思わせる印象をとんと受けないのです。

このあたりの違和感が、このごろ大きくなりつつあります。何かを語っているようで、何かとても大きな穴を見過ごしている・・・・という感じを強く受けるのです。これで本当にいいのだろうか・・・という気がして仕方がありません。ぼくはこのあたりの不安や不足感を根拠に今、自分で語れることの内容をひたすら探っています。

昨日、ローマ教皇が「経済に倫理を組みこむことが大きな挑戦的課題」という発言をしています。

http://www.corriere.it/politica/09_settembre_26/intervista-papa-gian-guido-vecchi_8639da18-aa95-11de-a0d4-00144f02aabc.shtml

これは先日の英国国教会の「経済はエコノミストに任せておくには重要すぎる」という発言と同じ問題意識に基づいています。

http://www.timesonline.co.uk/tol/comment/faith/article6836496.ece


宗教界が経済問題をこのように見ているなか、同じようなレベルで俗界の人達がものを考えているのか、それが気になります。それらしい言葉は聞くことには聞くのですが、宗教界が「大きな挑戦的課題」というほどにはダイレクトにシリアスに思っていないのではないか、それは宗教界のほうが状況の深刻さをより実感しているのではないか、という推測に基づきます。要するに、肝心なのは、目の前の現実をどう大きい範囲で深くみていくか?ということなのでしょう。




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