2010年3月31日水曜日

ローカリゼーションとは敬意の仕方

3月20日に六本木AXISにあるJIDA(社団法人インダストリアルデザイナー協会)で行った、デザインプロセス委員会のローカリゼーションマップ研究会キックオフについては「さまざまなデザイン」で即日に書いておいた。

http://milano.metrocs.jp/archives/3047

その後、色々と協力関係がもてそうな人や団体と話し合いをしたり、Twitterのログをどういうカタチで議論しやすいようなプラットフォームにもっていくかを検討している。内需不足で海外に進出するしかない住宅産業がローカリゼーションの問題に頭を悩まし、同様に国外ビジネスを増加させていきたいが、そのノウハウがなくて困っている中小企業も多いと聞く。結局のところ、ローカリゼーションのノウハウは個々の人やメーカーに蓄積されているに過ぎず、それが全体としてみることができないから、多くはテクニックの次元に即入ってしまう。テクニックが必要ではあるが、それは最後に来る話で、最初に来てはいけない。

入り口の見せ場としての事例である限りにおいてテクニックはよいが、そのテクニックに至った思考プロセスを理解できないと、応用がきかないから大きなミスをする。また、「全てはローカリゼーションしないといけない」という逆のプレッシャーに追い立てられ発想の貧弱な企画しかできない羽目に陥ってしまう。こういう問題点を解決するすべを提供していくことが大切だと思う。文化論がここまで重要になってきているのにも関わらず、ビジネス書のなかで文化論は殆ど省みられていないといえるし、文化論を専門とする人たちがビジネスの世界に貢献する方法が分かっていない。

こういったことはどこの世界でもあるといえばそれまでだが、少なくても「ローカリゼーション」というアイテムを囲んで、文化人とビジネスマンがどれほどに議論したことがあるか?と問えば、実に怪しい。あったとしても多くの結論は、「いわゆる文化は難しいね」というところだと思う。そこから一歩出て行くこと。それも果敢に。ローカリゼーションは相手側に全て従うということではない。差異にセンシティブであることは求められるが、その差異をなくすことがローカリゼーションの目的ではない。

ローカリゼーションとは二つが見合ったときの敬意の仕方ではないかと考える。

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