昨日、「さまざまなデザイン」に「辰巳渚さんの家事塾」を書いた。
家のことをやるのは、特に義務的ではないのと同様、趣味的でもなく、普通に生きることそのものであるということを説いている。当たり前といえば当たり前ながら、伝統的行事を家のなかで維持しようとすれば何らかの主張を求められたりする無理を解消していかないといけない。この活動が、ヨーロッパ文化部の活動と狙いは同じであるとぼくはみた。そして、この二つを同じ地盤でみられる考え方を説くことが重要ではないかとも思った。
文化とは芸術あるいはそれに近い領域を指すという立場がある一方、生活文化こそが文化の要であるとする立場もある。しかし、その立場は職業的それであり、人の生き方そのものではない。両方を包括してはじめて一人の生活が成り立つ。だからこそと言えるかもしれないが、だからこそ、あることが分かると、もう一つのほうも分かる。しかし、それは「一般化」ではない。
上記をすべての人に即望むのは、かなり厳しいと思う。それなりに多角的な経験を積んでこないとみえてこない場合が多いかもしれない。よって、まずは、これが見れる人がどの程度いるのか、それを確認していきたいと思っている。必ずしもヨーロッパを対象としなくても、趣旨が分かる人がどのくらいいるのか?という意味だ。
今、色々な人に会いながら、この確認作業を進めている。
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