2009年11月12日木曜日

ヨーロッパのナショナリズム

先週書いた「相手にすべき対象はもっと大きいかもしれない」に、八幡さんがコメントをくれました。ぼくが「もっと大きいかもしれない」と書いたのは、文化を語ることがビジネスの枠外に出るかもしれないということなのですが、相手の姿が曖昧ではいけないので、ビジネス枠でそれ以外をどれだけカバーできる話しになるだろうかということでもあります。下記の八幡さんのコメントは、そのようなぼくの「思考の途中」をピタリとあててくれたような爽快さがあります。

来年の大学院の講座では,「ヨーロッパのナショナリズムと,統合EUの未来」という事にしました,ナショナリズムの本で大ベストセラーになったベネディクト・アンダーソンのImagined Community は,フランスあるいはアメリカのような,demotic (territorial) nationalism にはあてはまっても、中央ヨーロッパ、ドイツや旧オーストリア国支配地でのnationstate bilding,例えばコソボなどの現象を説明できません。

もっとも、demotic nationalism とethnic nationalism の区別をたてたのは、E.K. Francis (cf, Interethnic Relations, Elsevier, 1975) です。demotic nationalism の場合、或るテリトリー上で暮らしている人々全体を新国家〈nation state) の国民であると規定してしまうのですが、ethnic nationalism の場合は、建設されるべき新国家の国民である資格を有する民族的由来、歴史とその文化的性格の如何によって、どの民族集団が、新国家のメンバーであるかを決めることになります。

ナショナリズム革命以前に、すでに国家の範囲が明白になっていて、アンシャンレジームの中央政権をひっくり返せば、それで新しいnation state が成立したフランス、アメリカがこれです。しかし、フランス革命の年に、1789個の主権国家が存在していたドイツ語圏では、旧政権の転覆で革命を成功させるのはテクニカルな理由で不可能でした。したがって、さまざまな国に分かれて生きていたドイツ人を、その言葉、文化、歴史に目覚めさせ、ドイツ文化という共通意識を醸成させてから、それを新国家樹立の基礎にする方策がとられ、これが東ヨーロッパからバルカン半島にまで広がった、ドイツ発のnation state 建設のモデルになりました。

こういうことが、今でも、『文化』のそれぞれの国民での捉え方の違い、文化が入っている大枠の違いになるのではないかと思います。どのくらい続くか判りませんが、それぞれの国内に抱え込んでしまったムスリム民族に対する、例えばフランスとドイツのアプローチには、違いが見られます。経済的、政治的、社会的現象と一応無関係に、仏教がヨーロッパのそれぞれの地域でどのように見られ、扱われているか、面白いところですが、情報をあまり持っておりません。

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