2009年11月11日水曜日

日本の文化産業を考える

昨日、「さまざまなデザイン」に「アニメや漫画で何を伝えたいのか?」を書きました。アニメや漫画というジャンルを語るにしても、この表現形式が何を伝えるのに適しているのか?という論議なしに、「日本の文化産業としてどうにかしろ」という方向に向き勝ちではないかと思ったからです。

先日も、東京で会った出版社の漫画担当の編集者が、「マンガ雑誌も単行本もメタメタですよ」と自嘲気味に市場の下降線を嘆いていました。一時、何でも漫画化されました。外務省の仕事も漫画で解説することで敷居を低くしようとしました。しかし、ぼくが思うに、しかるべき内容は漫画では伝えきれないし、だいたい、漫画という表現形式は難しいことを簡単に説明できる魔術ではないと思うのです。言葉の表現スペースが少ない分、逆により分かりにくい説明を余儀なくされることもあります。絵が言葉で伝えきれない部分を全てカバーするとはありえないのです。

しかし、何か漫画のほうが「文章より説明力に勝る」という思い込みが強くできたように感じます。ここにアニメや漫画の優位性を見すぎたため、海外市場が増えてきたとき、戦略のたて方を間違えた(もちろん、戦略などなかったというのが、多くの意見でしょうが・・・)一つの要因があったように思えます。特に、「難しいことは、如何に噛み砕いても、そのレベルを維持しながら説明する」という文化が強いヨーロッパにおいて、上述の思い込みは空振りを招く結果を促したと言えまいかと考えるのです。

今日の日経ビジネスオンラインに「アニメは次の成長モデルを作れるか?」という記事がありました。

社会が成熟する中で、これから重要な役割を担うのがアニメ、ゲーム、日本映画、クラシック音楽などの分野だ。これをビジネスととらえるならば、「文化産業 (クリエーティブ産業)」と名づけることができる。製造業が弱体化する中で、こうした産業は日本の次の成長の糧の1つとして期待される。

文化産業自体は昔から存在する。だがきちんと利益をあげる事業形態、つまりビジネスモデルの構築に成功したものは少ない。映像、アニメなど芸術文化のビジネスモデルは、まだ完成度が低い。こうしたビジネスでいかにモデルを構築していくのか。まず、アニメから考察していく。

上記が主旨ですが、この表現形式は何を伝えるのに優れるのか?という分析がされるかどうか、そこにぼくは注目してみたいです。

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