2009年7月2日木曜日

近代社会に対する「近代性」の逆襲!

このところスウェーデンやデンマークのヘイトクライムやDVの記事を取り上げましたが、八幡さんよりコメントを頂きましたので、ご紹介します。先日、「さまざまなデザイン」で宮台真司『日本の難点』に触れましたが、「近代社会が自己回帰的に再近代化されることによる問題点」という視点が大事だということだと思います。そして、それを如何にビジネスの世界に引き込み実際に調整していくか?これがテーマになります。

ヘイトクライム、ドメスティックバイオレンス、いじめ、セクシュアルハラスメント、など、いずれも現代の、特に先進社会で、注目されている現象ですが、何しろ、国によってそれぞれの概念の意味にズレがあったり、どんな行為がそれに該当し、どれがそうでないのか、区別も様々で、実に難しい問題だと思います。

ヘイトクライムは、日本では中々はっきりした形が見えませんが、現実に、異民族・少数民族が少ないこと、少なくともつい最近までは、社会階級の格差が、ヘイトクライムの誘因となるほどはっきりしていなかったことなどがその理由でしょう。

政府の犯罪統計にも、単なる傷害事件や暴力事件の項目の中に埋もれてしまって、特記されていませんので、ある程度客観的な実相が掴み難いです。ヘイトクライムについて言えば、統一後のドイツで、旧東ドイツであった地方では、以前は、体制に適合し、目立たずに暮らしていれば、失業もなく、経済的には低レベルの生活水準ではあっても、競争がない、したがって人々の間に気安さと仲間意識があった、「暖かい社会」だったと、過去の東ドイツへのホームシックに駆られる住民が増えているそうです。

若者のネオナチ化、それと平行して、東独型社会主義復興の新左翼化が問題になっていて、彼らが外国人に対して集団暴行事件を起こすことも報じられています。個人の自由の不在、当時の統一社会党(共産党)の路線から外れた思想・言論の弾圧。Stasi(国家安全保障局)による全国民の監視、上からの独裁政治など、西側で言われていた東独の「正義無きシステム」は、東西ドイツ統合以後、初めて西側世界の生活を経験した人々にとっては、「統合によって楽園を失った」という思いが強く、ネガティブな政治原理のことは知りたくない、思い出したくない、庶民には所詮どうでも好いことであるようです。

このような背景から行われる集団的暴力行為も、ヘイトクライムでしょう。そうしてみると、なにか、昔から住み慣れていた、安定した、定常的な社会がどんどん変化して行って、そのスピードが加速度化されて行く。一方、政治の理念、手法、などは昔のまんまで、どんどん現実には合わなくなっている。いわゆる、ネーションステートが今でも、国家形態の世界標準になっていますが、独立主権国家であるはずなのに、実際は独立の実態も薄れ、主権の行使もままならない。その点では経済学も同じで、実際のところ、世界的な金融・経済危機の発生を予測できた経済学者はいなかったといっていい状態です。

こういう特に先進各国どこにも見られる、様々な社会生活の分野・局面での、急速な複雑化と不確かさの増大が、一連の社会病理的な逸脱的行動の多発に繋がっているように思いわれます。コンピュータのソフトウエアの肥大化、複雑化を経験すると、喜びよりも苦しみのおおい進歩・発展を体験しますが、ソフトウエアが簡単化することはないでしょう。

いったんは(産業革命によって)近代化した社会が、自己回帰的に再近代化されることによって複雑化し、不確実化し、社会心理的な不安を増大させて行くと言うメカニズムがこのような現象に通底しているというのが、いちばん、まともな見方であろうと思います。Ulrich BeckのいうRisc Societyや Anthony Giddens のいうReflexive Modernization がこの状況を示唆しています。

日本ならば、中年以降の特に男性の自殺の急増が、特に中・上級管理職に要請される、自己を殺して組織に献身する仕事ぶりから考えると、この湯女一般的な状況の変化に照らして、分かるような気がします。もっとも、個々の自殺の「理由」として上げられている事柄の多くは、おおいに気分をめいらせることではあるかもしれないが、自殺の直接の原因であるとは考えられないことがおおいですね。

こういう、現在進行中の世界規模の革命的大変動(近代社会に対する「近代性」の逆襲!)を把握し、対処する方策を見いだす為には、経済・文化・政治思想・歴史などを串しにした、哲学的なパースペクティブが必要なんだな、という感じですが、それは今のところ、カビの生えたアカデミズム(大学)には出来ないことでしょう。「欧州文化部」の将来に賭けてみたいですね。

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