2009年4月16日木曜日

クールジャパンのゆくえ

コンテンポラリーアーティスト・廣瀬智央さんのローマにおける展覧会の反応を「日本人はコンセプトそのものを無視する?」というエントリーで紹介しました。この展覧会に関するレヴューが、早速下記に掲載されています。

http://www.exibart.com/notizia.asp?idnotizia=27183

さてこの展覧会の報告を、廣瀬さんは東京にいる小山登美夫ギャラリーの小山さんに送ったところ、小山さんが最近電通の新聞に書いた記事を送ってきてくれたようです。ヨーロッパ文化部ノートにマッチするその内容を以下転載します。タイトルは
「 『クールジャパンの行方』~アートの歴史を構築できるか~」です。
  
最近いくつかのインタビューで、「日本人のアーティストが世界で活躍されているみたいですね、そんなに日本のアートが注目されているのですか? ぜひ、その 状況を教えてください」と聞かれる。もちろん、何人かの日本のアーティストが世界のアートシーンで活躍していることは事実だ。

草間彌生、 杉本博司、荒木経惟、森山大道、村上隆、奈良美智らをはじめとして、多くの日本のアーティストが世界中のギャラリーや美術館で展覧会をしている。「日本の アートはやっぱりすごいんですねー、ヤッパリ!」とくる。そのときに私がいつもあまのじゃく的に言うのは、「何も世界で注目されているのは日本のアートだ けじゃないですよ。中国のアートだって、ブラジルのアートだって、ポーランドのアートだって、インドのアートだって、アフリカ諸国のアートだって、すべて 注目されてますよ。日本なんてまだまだです」と言い返す。
 
そもそもこういう話では、日本に注目している主体は必ず、アメリカや西欧の先 進国といわれる国の人たちで、あの有名な美術館が誰それの展覧会をしたとか、ロンドンやニューヨークのサザビーズ、クリスティーズのオークションで何億円 になったとかのニュースから、きっと私たち日本人を世界は認めているんだ、やったーとなるのだ。クールジャパンの始まりの構図がここにある。でも、ほかの 国は、たとえばクールアメリカとか、クールドイツとか言っているのだろうか?

大リーグの日本の選手の情報はいつもテレビで流れているか ら、松坂はすごいとか知ることができるけれど、他のアジアからも南アメリカからも多くの選手が大リーグで活躍していて、でも情報がないから(マニアな人は ちゃんと見ているのでしょうが…)日本人ばかりが活躍しているみたいに見える。そんな壁が、「日本のアートがいま世界で注目されている!」と思い込みたい 人には機能しているのだろう。もっと冷静に客観的に自分たちの位置を見てみた方がいいのではないだろうか?
 
言うまでもなく、現代美術は 西欧、アメリカを中心に発達してきた。日本人が誰でも知っている美術館は、ニューヨーク近代美術館であり、ポンピドーセンターであり、テートギャラリー だ。日本では美術館に一回も行ったことのない人たちも、観光旅行の際には必ず立ち寄る世界の大観光地だ。その美術館の人たちは常にアートの歴史をつくり上 げてきた。そして、日本やインドやブラジルなどのアートを、自分たちの美術の流れとは違う新たな価値観として注目したのも彼らなのだ。そのリサーチは周到 で、あくまで自分たちの美学的観点から新しいものを取り込み、さらに強固な歴史を構築していく意志がそこにはある。オリエンタリズム的な、あくまでも自分 たちの価値判断から理解しただけじゃないかとの批判もあるだろうが、自分たちの美術だけで成り立つ危うさを認識し、他者の価値を受け入れることをいとわな い勇気はやはり大したもので、歴史にアート作品を刻んでいく使命を確実に自覚していると思うのだ。

一方のクールジャパンはどうだろう。人 からおまえのところすごいぞと言われて、やっぱりそうなんだぁと見渡すとそばにすごい人がいて、言われなきゃ分からなかったよー、といった情けない状況 で、でもいったんそれに気付いたらニッポン、ニッポンばかりになってしまい、それで終わってしまう。
 
日本にすごい人がいるのは当たり前 なのだ。もちろんアメリカにも、インドにも韓国にもどこにでもすごい人はいると思う。でも目の前にいるすごい人をすごい人と分からないこと。自分たちの歴 史をアーカイブせず、見つめ直せないこと。それが、人から言われなければ気付かない体たらくの状況をつくっている。そして他者の価値を受け入れる勇気もな く、自分たちはすごいんだ!で納得して終わってしまうというのは何なんだろう。
 
以前、ロサンゼルスのあるギャラリーで私のギャラリーに 所属している日本のアーティストの個展があった。工藤麻紀子、日本人、当時二十八歳、女性。そのとき、ロサンゼルス現代美術館のキュレイターが見にきて、 すごく気に入って、美術館のコレクションとして購入してくれた。海のものとも山のものとも分からない、日本の二十八歳のアーティストの作品を、自分の目で 価値があると判断して歴史の先端に乗せてくれたのだ。このとき、ほんと、カッコイイと思った。この格好良さを獲得するにはどうしたらいいのだろう。これが 獲得できたとき、他者を受け入れる勇気を持ったとき、それが本当にクールジャパンといわれるものになるのではないだろうか? でも、きっと、そのときに は、もうクールジャパンという言葉はなくなっているだろう。(こやま・とみお=小山登美夫ギャラリーオーナディレクター)


こ れには色々なことを考えさせてくれます。ベーシックなところでは、他人の意見をあまりに気にしすぎて自分で最初の一手を打てない日本の問題点があります。 あるデザインをクライアントにプレゼンすると、日本の会社ではそこにいる一番上の人の顔色をみてから意見を言う傾向が強いですが、イタリアの会社ではそこ に社長がいようが新入社員でも「このデザインいいじゃない」と最初に発言する。そういう違いを思い起こさせてくれます。

自国を歴史や文化 を意図的に盛り上げる活動は、何も日本の十八番ではありません。どこの国にでもあることです。政府がジャパンブランドを促進していますが、それは意図とし て悪いことではないでしょう。ただ、その戦略的な部分で流される情報を本気でとってしまう人が日本には多すぎないか?という懸念があります。自国の人口の 10倍以上(7-8千万人)も世界中にいる「アイルランド系」も、実に多くの人達は何らかの形でアイルランドとの関係でビジネスをキープしていると知ったとき、国や民族の繋がりはすごいものだと思いました。日本はこういう強さがありません。だから日本の外の現実の本音(情報)の質が落ちるのだと思います。 海外情報にバリエーションが少ないのです。

実際、アルゼンチンでのイタリア系の強さを反映した両国関係に見られるように、各国市場へのア プローチはそう単純でなく、南米を攻めるにも北米や欧州経由であることのほうが有利であることは多々あります。昨年、リビアのガダフィの息子夫婦がスイス で拘留されたことが、スイスとリビアで外交問題に発展していますが、ここで仲介するのがリビアとの関係が強いイタリアです。こういう例は数多くなり、西洋 と北朝鮮の間ではスウェーデンが重要なインターフェースになっています。また一方、脱税摘発との関係で、銀行口座の情報開示問題で米国やドイツと強烈に衝 突したスイスなどを見ても分かるように、世界の標準戦略とは何もなく、それぞれの位置を利用して自分を有利にもっていく独自戦略しかありません。

話を小山さんの記事に戻すと、やはり日本の「正解主義」が多方面で袋小路を自ら作っている現状があります。 絶対評価ではなく相対評価の成績表に毒された嫌いがあります。これが外交の世界での不器用さを生む一つの原因になっていることは確かですし、自らが目の前 にあるアート作品についての判断を最初に下しにくい(他人の意見を待つ)傾向を生んでいると思います。だからこそ、「正解主義」からの脱却のもう一方で、 あなたの目の前で即断する人の考え方をよく知ることが大事なのです。廣瀬さんの作品に再び言及するならば、西洋的文脈でのコンセプトを理解するということ が大切ということでしょう。



0 件のコメント:

コメントを投稿