「『売れているアーティストの国』という存在感」
http://business.nikkeibp.co.jp/article/tech/20090323/189733/
国際競争力として技術や品質に加えて、「壊れていいからイタリア車に乗りたい」とか「やっぱりブリティッシュでしょ」といった価値を、日本もつくっていかないとだめだろうと思っているんです。 国家戦略として、国が生き残っていくには、技術力、文化力、金融力の3つが必要だと感じています。ソフトパワーというのは、その3つの中のひとつの文化力のことです。「壊れてもいいからイタ車」という表現は比喩としていいと思います。イタリア車がこれで良いわけではなく、「もう一つの価値観」が捨てがたくあることを強調しています。「壊れてもいい日本車」という評判が獲得するには、品質を下げるかもしれないリスクを許容する価値観を作っていかないといけません。それは以前話題にした「正解主義との訣別」と言えるかもしれません。>システム側にいる人間は潤うけど、本当にモノをつくっている人のところにお金がまわらない構造になっている。
そうです。それが、きっと、さっきの「文化力」にもつながることだと思うんです。そこを変えてやれば、多様性や個性も、もっと前に出るでしょうし、そこがリードする国家モデルだってつくれると思うんです。ですから、国としても支援したいわけです。
とにかく「文化力」と技術力と金融力と並んだ重要な国力としているのは、プロジェクト・ヨーロッパ文化部の方向を考えるに参考になります。そして、クリエーターが、ピラミッド構造の底辺になるのではなく、マーケットと対峙しながら、お金の流通の現場に近づくストラクチャーの改変の必要性を語っています。これは、タメグチ的フラット志向と近接する方向です。これらの点で、この内容はよいと思いました。さて、以下が中編です。
「産業再生機構的発想でコンテンツ開発するものアリでしょう」
http://business.nikkeibp.co.jp/article/tech/20090330/190480/
日本のコンテンツをそのまま持っていって成功する可能性があるのは、どちらかというとアジアマーケットで、強いて言うとヨーロッパはその真ん中、やっぱり出し物を変えないとワールドワイドは厳しい、という現実があります。>そうすると、日本国内で売れるということと、世界展開とを、ある種複眼的にとらえて、先ほどのように勧善懲悪型だったり、ある程度シンプルにするとか、そういう作業が場合によっては必要になるかもしれない。
そうかもしれません。そういうプロデューサーが必要ということでしょうね。それには、やはり、経験が必要なんじゃないですかね。
ローカライゼーションの必要性と、それが地域によっていくつかのレベルに分かれるだろうという指摘です。そこには、経験豊かなプロデューサーがいないといけないという認識は的確でしょう。ある程度の地図を描ける人に任すシステムが必要だと思います。
20代向けファッションというコンセプトで商売が成立する日本は、海外での競争相手は少ないわけですから、勝算があるのではないかと。>そういうファッションに関する動きは、さきほどの「東京ガールズコレクション」だったり、いくつか「点」としては確かに発生しています。
それを、「面」でつなげたいですよね。
>ファッションに限らないですが、さまざまな点の活動を、面でつなげるために、どういう施策が考えられるでしょうか?ひとつには、海外展開ファンドをやりたいです。やり方としては、よく聞こえるか、ネガに聞こえるか、わかりませんが、「産業再生機構」型のやり方。つまり、国はお金を出すけど、プレーヤーは全部民間のプロの人、というスキームです。
コンテンツの海外展開や、ネットワーク展開というのは、そもそも、できる人そのものが少ないので、知恵を結集してやらなきゃだめだろうと。それがマーケットになる見通しが立ってきたら、その先は、ファンドを解散して各社でどうぞ自由にやってください、という形です。
そういうビジネスネットワークづくりと、海外展開ファンドの、いわば「実弾」みたいなものと、国内での広告主展開含めての普及啓蒙活動と、そうした組み合わせで新しい海外展開モデルを考えたいなと。
ここの仕分けは、かなりデリケートです。クリエイターと予算の問題は、英国の文化オリンピック(下記)でも話題になっていますが、しかし、点が個々に育つのをただ待っているだけでは遅すぎると思います。何らかのファンドが積極的に動き、評価や信用の体系を構築していく第三者の助けが欲しいところです。
http://www.guardian.co.uk/uk/2009/mar/20/olympics-cultural-olympiad
問題は、点を面とする上記の実施タイミングだと思います。早すぎずに遅すぎずのシナリオをどう描けるか、ということだと考えます。そして、プロジェクト・ヨーロッパ文化部の立場からすれば、この面をどう作るかという時に役立つ存在でありたいと思案しています。
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